終幕
「戻ってきたらいきなりピンチなの。やっぱり、ルジーだけだと危なっかしいの」
サファイアの瞳に優しい光を湛えた少女が、俺の目の前に立って手を差し出してくる。
俺は迷わずその手を取った。
「随分早かったな。アンリは無事か?」
「バーモン先生に預けてきたから大丈夫なの」
知っている名前が出てきて少しだけ安心する。
バーモンであれば信用できるだろう。
「そうか、ありがとうフリージア」
「……それ禁止なの」
俺が礼を言うと、突如フリージアが表情をムッとさせる。
何故フリージアが不機嫌になったのかわからず、俺は首を傾げた。
「ルジーは私の相棒のはずなの。相棒ならニックネームで呼ぶべきなの」
こいつはこんな状況で何を言ってるんだ?と思った俺は悪くないと思いたい。
目の前のウリドを無視して、フリージアはずいっと顔を寄せてきた。
「ジアって呼ぶの」
「おい、今はふざけてる場合じゃ──」
「ふざけてないの。ルジーが、そう呼んでくれなきゃ勇気が出なくて戦えないの」
「んな訳あるか!」
俺が大声を出すのと同時に、ズシンと地面が揺れた。
俺の声が原因……であるわけがなく、ウリドが四つん這いになり移動を開始したのだ。
鈍重な動きではあるが、こちらに向かって確実に近づいてくる。
フリージアは、俺の方を見たまま振り返りすらしない。
あの巨体な身体にフリージアの華奢な身体が押し潰される光景が頭をよぎった。
「フリージア、後ろ!」
「ジア」
「あーもうッ!ジア、避けろ!」
埒が開かないと思い、フリージア──ジアの要望通りに呼ぶ。
ニンマリとジアの唇が弧を描いた。
「ふ、ふふ」
堪えきれないと言った様子で肩を震わせたジアはその場から動こうとしない。
そうこうしている間にも、ウリドはそこまで迫ってきている。
「ジアッ!」
「あははッ!」
サファイアの瞳が美しく煌めく。
シャリンッと滑らかに抜刀された剣は、淡い蒼の燐光を纏っていた。
「今いい気分なの。邪魔しないで」
己の身体を踏み潰さんとするウリドの足を、黙って見上げるジア。
一瞬、ジアの身体がブレた。
「ギャアアアアアアアアアッ!!?」
赤ん坊のような変に高い声がねっとりと耳に絡みつき、怖気が走る。
ウリドは踏み潰そうとしていた足を戻し、その場でゴロゴロと転がりまわった。
振り回している足からは紫色の液体が飛び散っている。
...どうやら今の一瞬で斬ったらしい。
全く見えなかった。
これが剣聖の本気ということか。
(それにしても...)
一瞬ジアに移した目を再びウリドへと、いや、正確には飛び散った液体へと向けた。
紫色の血――。
それは、モンスターが持つ血の色だ。
「...むぅ」
転げまわるウリドを見てジアが眉根を寄せた。
ジアが斬りつけた場所がぼこぼこと泡立ち、傷が塞がろうとしているところだった。
「あいつはとんでもない再生能力を持ってる。やみくもに攻撃するだけじゃだめだ」
「そうみたいなの」
もし、人間がモンスターに変異したのだとしたら――。
その想像の醜悪さにブルリと背筋が震えた。
「どうするの?」
サファイアの瞳がこちらを見ていることに気づいた。
「さっきの血の色、見たか?」
「...うん」
ジアがウリドを見つめながら断言する。
「あれはモンスターなの。人間じゃない」
「何が起こってるんだ...人間が、モンスターになるなんて」
「それは分からないの。だけど...楽にしてあげるのが、多分一番いいの」
少し、憐憫の色が混ざった目でジアはウリド――いや、ウリドだったモンスターを見つめた。
「...そう、だな」
変わり果てたウリドの姿を見ても、心の中に引っかかっていたことがある。
とても人間と呼べるような見た目でなくとも、確かにそれはもともとウリドという人間だった。
そんな存在を殺してよいのだろうか。
どう言い繕ったってそれは人殺しに違いないのだ。
(それでも...)
ジアの言葉で俺はハッとした。
モンスターへと変わり果ててしまったウリド、彼は一体何がしたかったのだろうか。
アンリを狂わせ、挙句ジアを殺させようとした。
それは到底許せることではない。
だけど、
「...これはあんまりだろう」
確かに罪を償わなければならなかった。
しかし、それはこんな人としての尊厳を失うような、悍ましい形では決してない。
彼自身がそれを望んだのだとしても。
これは俺のエゴかもしれないけれど。
――俺が怪物を殺してやる。
「ジア」
「ん?」
俺の呼びかけにジアはわずかに首を傾げ、目線をこちらに向けた。
俺は薄く笑う。
「今から作戦を説明する」
長かった武闘祭も、終焉の時が近づいていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
『魔力の海』から躊躇なく魔力を吸い上げる。
体内に収まりきらなかった魔力が、黒雷となってバチバチと凶悪な音を打ち鳴らした。
ジアに話した作戦は至極単純。
俺の魔法で隙を作って、ジアがとどめを刺す。
この世のすべてのモンスターには、核と呼ばれる結晶体が体内に存在する。
それは人間にとっての心臓のようなもので、いくら再生力に優れたモンスターとは言え、体内の核を破壊されれば確実に絶命する。
俺の魔法でまずはウリドの分厚い肉体を吹き飛ばし、露出した核をジアが砕くということだ。
だが、ウリドの核を露出させるには『ファイアストーム』よりも威力の高い魔法が要る。
俺は集中して魔力を練り上げていく。
「ルジーの邪魔はさせないの!」
俺の存在が危険だと気付いたのだろう。
ウリドは全力で俺の邪魔をしようと迫ってくる。
でも今の俺には、頼れる護衛がいた。
ウリドが振り落としてくる手足、投げ飛ばしてくる岩を尽くジアが斬り落とす。
俺の元まで攻撃がたどり着くことはない。
イメージは、雷の槍。
どうやら俺は雷系統の魔法と相性がいい。
制御しきれない魔力が雷の形態をとるのもそのせいだ。
額に汗が滲み、自然と息が荒くなっていく。
前方に翳した両手の先には漆黒の槍が生成されつつあった。
表面はバチバチと放電しており、凄まじいエネルギ―が内部で渦巻いていることが分かる。
しかし、俺はそこで止まらない。
更に魔力を込めていくと槍はその大きさを増していく。
『轟雷の極槍』
俺の身長をはるかに凌駕するほどに膨れ上がった雷の槍が顕現する。
これ程の魔法を使うのはこれが初めてだ。
多分闘技場ごと吹っ飛ばしてしまうだろうが、こればっかりは仕方ないだろう。
「行け」
空気を引き裂く音がずしんと身体に響いた。
途方もないエネルギーを内包した雷槍が、ウリドへと飛翔していく。
「ギャアアアアアァァァァァァァァッッッ!!?」
命中、そして爆散。
ウリドを中心に発生した衝撃波が、地面をめくりあげフェンスをへこませる。
俺も例外ではなく、衝撃波を諸に食らった影響で大きく吹き飛ばされぼろ雑巾のようにゴロゴロと転がった。
「うう...」
呻き声をあげながら、自分の戦果を確認するべくウリドへ視線を向けた。
上半身がほとんど吹き飛び、露出した肉がプスプスと黒煙を上げている。
そしてちょうど臍の位置あたり、それが見えた。
紫色の結晶、モンスターにとっての心臓である核。
「ジアァァァァッッ!!」
ジアの姿が見えない。
もしかしたらさっきの衝撃に巻き込まれたのだろうか。
はやくしないと、ウリドが再生を始めてしまう――!!
そんな俺の心配は全くの杞憂だった。
ウリドの頭上、数メートルも上の場所に彼女の姿はあった。
衝撃波を利用して高く跳躍した、蒼髪の少女の姿が。
「やあぁぁぁぁッッ!!!」
初めて聞くような裂帛の雄叫びと共に、少女は墜ちる。
渾身の一撃を携えて。
キィィンッッ!!!という音がここまで聞こえてきた。
ジアの剣と核が激突した音だ。
ピシッ、パキン。
紫色の破片がパラパラと宙を舞う。
砕かれた核が、急速に色褪せていく。
渾身の一撃を叩きこんだ少女が、ドサッと地面に落ちた。
「ジア!?」
俺は慌ててジアのもとに走り寄る。
「ち、力を使い果たして受け身を取れなかったの」
思ったよりも無事そうな様子に、思わず安堵の笑みがこぼれた。
それを見たジアが、笑ってる場合じゃないの、とぷりぷり怒ったような様子を見せ、さらに笑みが深くなる。
「...あ」
視界の端に、核の破片が転がってきた。
ウリドの方を見ると、核を破壊されたためか、ぼろぼろと身体が崩れ落ちていっている。
その巨躯はどんどん小さくなっていき、最終的に全てが灰のように崩れ落ちると、まるで最初からいなかったかのように何もなくなった。
元のウリドの姿すらも。
俺は、視界の先に転がった紫の破片を拾う。
ウリドだったもの、それが唯一残したもの。
改めて、俺はウリドという少年について何も知らないと思った。
何故アンリを利用したのか、なぜ俺に敵意を持っていたのか。
少し涼しさを孕んだ風が、瓦礫にまみれた闘技場で砂埃を巻き上げる。
気づけば赤みを増した太陽が、地平線から少しだけ顔をのぞかせるようにこちらを窺っていた。
何とかなったという安心感と、少しの後味の悪さを、俺は飲み込んだ。
いいね、ありがとうございます!!
武闘祭編もあと少しで終了です!
引き続きよろしくお願いしますッ!!




