あなたの隣で
それはまるで、出来の悪い人形のようだった。
異常なほどに丸々と膨らんだ胴体に、悪ふざけでつけたような短い手足が生えている。
体表に浮き出ている血管が、絶妙な気持ち悪さを演出していた。
もし人間のなり損ない、失敗作がいるとしたらこんな感じなのかもしれない。
「アアアアアアアアアッッッッ!!!」
異形の怪物がまるで赤ん坊のような声を上げる。
駄々をこねるように振った腕が地面を抉り取り、あらぬ方向に飛んでいった。
「きゃあああああッッッッ!!?」
高速で飛んだ岩の塊が観客席に突き刺さった。
周囲の観客は騒然となり、パニックに陥る。
色々なところから悲鳴が聞こえてきた。
自分の身に危険が迫っていると気付いた観客たちは、我先にと闘技場から逃げ出し始める。
「...くそ!!」
俺は思わず舌打ちしつつ、腕に抱いたアンリをちらりと見る。
眠るようにぐったりとした幼馴染みの少女。
どうにかしてこの少女を守らなければならない。
「フリージア」
俺は、隣に立つフリージアに呼び掛けた。
目の前の怪物――ウリド――を見て、半ば放心状態だったフリージアはビクッと身体を震わせた。
「な、なに」
「アンリを頼めるか?」
「...え?」
俺はアンリを抱えたまま立ち上がると、できるだけ優しい手つきを心がけ、フリージアにアンリを手渡した。
フリージアは何かを察したように顔色を変える。
「...ひとりで、戦うつもりなの?」
泣きそうな顔で尋ねるフリージアの声は震えていた。
俺は静かに首を横に振った。
「フリージア達が逃げる時間を稼ぐだけだ。まともにぶつかるわけじゃない」
「......」
俺の言葉に、フリージアは黙りこくった。
そういえば嘘も見破れるって言ってたっけ。
だったら俺の言葉が嘘だということが分かったのか。
「...わからないの」
フリージアは、静かに呟いた。
「あの怪物はとんでもないくらい強いの」
フリージアは、ちらりとサファイアの瞳をウリドへと向ける。
そして俺に視線を戻した。
「でも、今のルージュの強さも...底が見えないの」
フリージアはそう言って俯く。
その言葉に、俺は少し驚いた。
どうやら剣聖の目で俺が『魔力の海』とつながっていることを感覚的に理解しているようだ。
改めてその目の凄さを実感する。
「私はどうしたらいいの?アンリは守りたい。でも、ルージュにも傷ついてほしくない。でも、私じゃあの化け物に絶対敵わない。なんで私はこんなに弱いの?私はルージュを信じたらいいの?自分の弱さを棚上げして、ルージュに寄りかかればいいの?――なにもわからないの!」
フリージアは癇癪を起こしたように、首を左右に振りながら次々と言葉を吐き出していく。
その光景に俺は再度驚いた。
(いつも冷静だったフリージアがここまで取り乱すことがあるなんて...)
その様子は、伝説に残っているような剣聖の姿ではなく、どこにでもいる普通の女の子だった。
(...そうか)
アンリやフリージアのような人間と比べて、俺は自分のことを弱い人間だと思っていた。
いや、今でも思っているけど。
だけど、弱いのは自分だけではないのかもしれない。
誰もが本当は心の中に弱さを飼っていて、それをひた隠しにして生きているのかもしれない。
「ははッ」
思わず笑みがこぼれた。
フリージアが俺に怪訝な表情を向ける。
それもそうだろう。
俺自身、なぜ笑みがこぼれるのかわからないのだから。
「...なんで、笑えるの」
「俺のためにそこまで悩んでくれる人がいるってだけで、うれしいからだよ」
フリージアも、俺も、きっとアンリも。
決して、誰かのために生きているわけではないし、生きたいわけでもない。
それでも力になってあげたいと思える誰かに出会えたことは、これ以上ない幸せではないだろうか。
そして、誰かから自分もそう思われているのであれば、それ以上は何もいらない。
「じゃあ、助けてくれ」
俺の脈絡のない言葉に、フリージアの目が零れんばかりに見開かれる。
潤んだ蒼眼は、まるで宝石のようにきらめいていた。
「だから、私じゃ、勝てな――」
「俺にはフリージアみたいな凄い目がないからわからないけど、確かにフリージアだけじゃ勝てないのかもしれないし、俺だけでも厳しいのかもしれない。だから、助けてくれ」
フリージアの瞳が、困惑したように揺れる。
言葉の意味が理解できないというように。
「二人なら、勝てるかもしれないだろ?」
「......ッ!」
今までの人生で、助けを求められることは数えきれないほどあった。
公爵家の人間として、剣聖の力を持つ人間として、数々の困難を義務として課せられてきた。
でも、これは違う。
彼の『助けて』は、今までのどれとも違う。
私が知っている『助けて』は、私がすべてを背負って戦う『重り』だった。
戦うのは、頑張るのは常に私一人で、みんな後ろに立っていて、隣には誰もいない。
それが私の知っている『助けて』だ。
潤んでぼやけた視界の中に、彼が立っていた。
名前も知らない後ろに立つ誰かではなく、私のすぐ近くに、隣に立っている。
私は、彼の手を取った。
「...どうなっても知らないの」
「頼りにしてるぜ、相棒」
この胸の温かさの正体を、私は知らない。
心臓の音がいつもよりうるさい。
でも決して、不快ではなかった。
「すぐ戻ってくるの」
フリージアはそれだけ言い残すと、回れ右をしてアンリを抱えたまま闘技場を飛び出していった。
逃げたのではなく、アンリの安全を確保するためだ。
僕はそれを見届けてから、ゆっくりとそれに向き直る。
「待たせたな」
俺は人の形を捨ててしまったウリドに話しかける。
その声に反応したのか、ウリドの顔らしき部位がこちらを向いた。
むっくりと腫れ上がったような瞼に押しつぶされ、眼球がこちらからは見えない。
それでも、向こうは俺の存在を認識したようで、妙に甲高い声と共に、太い腕を叩きつけてきた。
『守護者の盾』
巨大な魔法の盾と剛腕が衝突し、轟音が鼓膜を揺らす。
「アアアッ!!」
俺を叩き潰せないことに苛立ったのか、ウリドは駄々を捏ねるように腕を振り回してくる。
ビキリッと盾に罅が入った。
「...ぐッ!?」
かなりの魔力をつぎ込んだというのに、とんでもない怪力だ。
普段の俺だったら五秒と持たなかったかもしれない。
盾がバリンッという音と共に粉々に砕け散り、盾を突き破った腕を俺は後ろに大きく跳んでかわす。
「今度はこっちの番だ」
俺は魔力を練り上げる。
身体から漏れ出た魔力が黒い雷となりバチバチと暴力的な音を奏でた。
『ファイアストーム』
俺の想像に膨大な魔力が輪郭を与える。
闘技場を突き抜けるほどの巨大な炎の竜巻が顕現した。
「ギャアアアアアアアッッッッ!!!」
耳をつんざく悲鳴が轟いた。
ウリドの巨躯を炎の竜巻が蹂躙していく。
激しい苦痛に襲われているのか、ウリドはじたばたと手足を振り回して暴れまわった。
叩きつけた手足が地面を割り、時折石礫となって襲い掛かってくる。
『守護者の盾』を即座に展開して石礫を防いだ。
やがてぷすぷすと肉を焦がす匂いが俺の元まで漂ってきた。
抑えきれない不快感が胃からせりあがってくる。
俺は何とかこらえながら、ウリドの様子を観察した。
超高熱の炎に焼かれて炭化した皮膚は、暴れているウリドが掻き毟ると容易く抉り取られる。
それだけでかなりの激痛が走るのだろう。
ウリドは耳を塞ぎたくなるような叫び声を上げながらも、その行為をやめようとしない。
「うっそだろ...」
ウリドが自ら抉り取った皮膚。
その傷口がぼこぼこと泡立つと、肉が盛り上がるように急速に再生されていく。
信じられない速度で元通りになっていく様子を見て、俺の脳裏に一つの言葉が浮かんだ。
――神聖力。
まさか、と俺は頭を振る。
何度か神聖力による治療を見たことがあるが、決してあんな悍ましいモノではなかったはずだ。
(...本当にそうなのか)
あの怪物の元となった人物は誰か。
その天恵は、何だったか。
やがて魔力という燃料を使いつくした炎の竜巻が消失した。
傷など元からなかったかのように完全に再生した異形の怪物が、哭く。
ウリドは、グワッと大きく腕を引いた。
「...まずい!?」
俺とウリドの間にはそれなりに距離があり、その短い四肢では届かない距離。
だからこそ油断していた。
向こうにも遠距離攻撃の手段があるというのを知っていたのに。
ウリドは無造作に腕を振り払った。
――地面を大きく抉り取りながら。
岩の散弾が風切り音と共に俺に襲いかかってきた。
「うおぉぉぉぉッ!?」
俺は慌てて『守護者の盾』を再展開する。
しかし、突然のことで十分な魔力が込められず、全ての岩を受け止めることはできなかった。
すぐに音を立てて割れてしまう。
「...ぐあぁぁぁッッッッ!!?」
一抱えほどもある岩が俺に直撃した。
『身体強化』をかけているにもかかわらず、かなりの衝撃が俺に襲い掛かる。
たまらず俺は吹き飛ばされ、誰もいなくなった観客席のフェンスに強かに身体を打ち付けた。
肺の中の空気が強制的に押し出される不快感。
酸欠で視界が明滅し、思考が停止する。
顔を上げた目の前に岩の塊が迫っていた。
(あ、これまず――)
目の前で、蒼髪が揺れた。
綺麗に四等分された岩の塊が、俺の左右を通り過ぎフェンスにめり込む。
「戻ってきたらいきなりピンチなの。やっぱり、ルジーだけだと危なっかしいの」
俺の相棒が得意げに笑った。
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