vs アンリエッタ②
見えろ、と僕が念じた瞬間、目の前の風景が黒く食い破られた。
目を凝らしてみると、極小の黒が群れとなって渦巻くように辺り一面の風景を塗り替えている。
黒の渦は僕…いや、アンリを中心に回っているように見えた。
「な、なんだ……これ」
初めて目にする光景。
でも、微かな既視感を僕は覚えた。
すぐにその正体に思い至る。
――精霊、なのか?
初めて精霊を見た時も似たような感覚を覚えた。
通常の光を放つ精霊とは真逆の、光をのみ込む精霊。
実は、僕は精霊があまり好きではない。
理由は分からないが、生理的な嫌悪感があるのだ。
それでも――この黒い存在達には親近感を覚えた。
(ん、これは…)
黒精霊たちを眺めていると、今も僕を抱きしめているアンリの胸元に下げられている、怪しい輝きを放つペンダントが目に入った。
どうも、周囲を漂う黒精霊たちはこのペンダントに集まっているようだ。
僕は少し気になって、そのペンダントを手に取ってみた。
このペンダントを見るのは初めてだ。
にもかかわらず何故か、懐かしさのような感情が湧き起こった。
「アンリエッタ様から離れなさい!!」
僕が首を捻っていると、怒号が飛んできた。
声の方向を見ると、ウリドが憤怒の形相を浮かべて光の矢をこちらに向けている。
僕はギョッとして、抱きつくアンリの腕を引きはがして距離を取った。
次の瞬間、僕がいた場所を光の矢が通過していく。
(こいつ、アンリに当たってもいいっていうのか…?)
アンリと密着していた僕に躊躇なく矢を放ってきたウリドの行動に疑問を覚える。
一歩間違えばアンリに直撃する攻撃をするなんて、アンリに心酔しているウリドの行動とは思えない。
「何か、見えたの?」
後ろに立つフリージアは、苦しそうに眉を寄せていた。
抑えている肩からは制服の赤い染みが見える。
どうやらアンリとの戦闘で肩を負傷したらしい。
その額には脂汗が滲んでいた。
「アンリの周りに、黒い…精霊みたいなものが見えた。…それよりも肩は大丈夫か?」
「ちょっと油断しただけなの。心配無用なの」
力強い返事が返ってきたことに、少しだけ安心する。
フリージアが一歩前に出て、僕の横に並んだ。
「ルージュが見たそれが、多分アンリがおかしくなっている原因なの」
「…そうだな。アンリの胸元にペンダントがある。どうやら黒い精霊たちはそれに群がっているらしい」
「じゃあ、アンリを元に戻すためには…」
「ああ、ペンダントを奪えばいいと思う」
多分この推測は間違っていない。
急に現れた謎の黒い精霊。
アンリの豹変と無関係ではないはずだ。
「アンリエッタ様、早く奴らを片付けましょう」
「…そうね」
僕とフリージアが合流したのと併せて、ウリドもアンリと合流する。
アンリの横に並び立ったウリドの言葉に、アンリは首肯した。
「無慈悲な剣雨」
アンリの頭上に、夥しいほどの数の剣が生成された。
黒く塗りつぶされた刀身からは、泥のような黒い何かがドロリと滴っている。
いつもアンリが使っていた光剣のような神秘さは欠片もなく、ねっとりとしたどす黒い悍ましさが絡みついていた。
そんな剣の群れを従えるアンリはまるで悪魔のようだ。
「ルージュ」
不意に、アンリが僕の名前を呼んだ。
アンリが手のひらをこちらに向ける。
黒剣の剣先が、僕とフリージアに向けられた。
僕とアンリの目が交錯する。
僕は、息を呑んだ。
「…あれ、やばいの」
フリージアが緊迫感を多分に孕んだ目でこちらを見つめた。
こちらをロックオンしている一振り一振りに、とんでもない破壊力が秘められていることは想像に難くない。
「…避けないでね」
アンリが呟いた直後、黒の軌跡が幾重にも折り重なり視界を抉り取った。
それらはまるで意思を持っているかのように、僕たちに向かって一直線に飛来してくる。
「フリージア、僕の後ろから出るな」
「え?」
迫りくる黒剣に抗おうと片手で剣を取ったフリージアを手で制し、僕は一歩前に出る。
端から見たら完璧に自殺行為だった。
それはフリージアから見ても同じ。
「だ、だめッ!!!」
泣き出しそうな声が後ろから聞こえてくる。
僕はフリージアに笑って見せた。
フリージアに当たらないよう大の字に腕を広げた僕の全身に、黒剣が突き刺さった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ああああああぁぁぁッッッ!!!!!???」
泣き声交じりの叫びが他人事のように木霊する。
今まで聞いたことのない、私の声だ。
ルージュの身体が、人形のように力なく宙を舞い、地面に叩きつけられる。
何本もの剣が突き刺さったまま。
私は目を見開きながら、ルージュにゆっくりと歩み寄った。
凄惨な現実に目を背けたくなったが、剣聖としての冷静さが現実逃避を許してくれない。
ルージュの傍までたどり着いた私は、恐る恐るその少年を見下ろす。
力なく地面に倒れるルージュとの身体からは、夥しいほどの血が――出ていなかった。
「……え?」
私は目を見開く。
これだけ深々と何本もの剣が突き刺さっているというのに、身体からは一滴の血も流れていない。
いや、これは突き刺さっているというより――
(吸い込まれている…?)
ルージュの身体に突き立っている剣、身体に埋もれている部分からは、まるで波紋のように微かに波打ち、今もなおルージュの身体に沈み続けていた。
そうだ、なぜすぐに気づかなかったのか。
これだけ長い刀身だというのに、ルージュの身体を全く貫通していないことに。
なおも、ゆっくりと黒剣はルージュを貫き、いや、ルージュに飲み込まれていっている。
(…はッ!黙って見ている場合じゃないの!)
剣聖の目を以てしても状況が分からない。
そんな事態は初めてだった。
それでも、ルージュの身に何か良くないことが起きているのかもしれない。
私は、今も刀身を短くし続けている黒剣を手でつかもうとした。
「う…ッ!?」
私が黒剣に手で触れた瞬間、バチバチィッ!!と黒い稲妻が走った。
驚いた私は、思わず手を放してしまう。
黒い稲妻に触れた個所をもう片方の手でさする。
「…痛く、ないの」
そこに傷などはなかった。
ただ驚かされただけ。
私はルージュの顔を見る。
(気にするなってことなの……?)
分からない。
分からないけど。
なんとなく、ルージュはそう言っている気がした。
私はゆっくりと立ち上がり、ルージュを背中に隠すように前に立つ。
腕をピンと伸ばし、剣先を目の前に向けた。
「私が守ってあげるの」
ブンッと刀身が蒼く煌めく。
私は、飛来する矢を真っ二つに叩き斬った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
身体の輪郭がぐずぐずに溶けて、魂だけが剥き出しになっているみたいだった。
世界との境界線があいまいになり、真っ暗闇に意識だけが浮かんでいるようなこの感覚、どこか既視感がある。
「昨日よりはましだな」
その声はやけにはっきりと聞こえた。
耳で聞いている感じじゃない。
脳に直接刷り込まれているような。
(…あなたは?)
そう問いかけたつもりだったが、声が出なかった。
というよりも口が動かなかったという表現が正しい。
もしくは口がないのか。
「俺の名前は、――だ」
…その声は、ノイズがかかったように名前の部分だけ聞き取れなかった。
こちらの声は出せずとも、意思疎通はできているらしい。
「どうせ聞こえなかっただろう」
…心を読まれているのだろうか。
声の主の姿は見えないが、声だけ聞くと若い男のようだった。
名前を言いなおす気はなさそうだ。
(ここは一体…?)
目の前に広がる、無限に思えるほど彼方まで続いている漆黒の空間。
何故か不安はなく、安心感すら覚える。
「この場所に名前はない。…あえて名前を付けるのであれば、『魔力の海』とでも言っておこう」
(『魔力の海』って?)
「お前が使っている『魔法』…と言ったか。それのエネルギーで満ちた空間だ」
(…『魔法』?この世界には『魔法』がないんじゃないのか?)
「以前はあった…というのが適切だろう。『魔法』のような名前はなかったが」
(なんで無くなってしまったんだ?)
「それを話すには時間がかかる。お前はこんなところでのんびりしている場合ではないんじゃないか?」
そうだ、今はアンリ達と戦っているところだった。
早く戻らなければいけない。
(そうだった、どうすれば戻れる!?)
「そう焦るな。用が済めば戻してやる」
その言葉の後、ドクンッと空間が波打った。
それと同時に脳が焼けるような熱さを訴える。
脳みそを直接触られているかのような不快感に、もし声を出せたならみっともなく喚き散らしていただろう。
(ぐ…な、なにを…)
「ちょっとした贈り物だ。最近少しばかり苛つくことがあってな。お前が解決してくれ」
(贈り物…?)
「『魔力の海』の権限をお前に貸した。一時的にだが。どういう効果があるかは現実に戻ればわかる」
具体的なことは何もわからなかったが、男が詳しい説明をする気がないことだけは分かった。
(…解決してほしいことっていうのは?)
「俺の私物を勝手に持ち出した上に、悪用している奴がいる。そいつを止めてくれ」
私物?悪用?
(…悪用してるって誰のことだ?)
「そろそろ時間だな。…頼んだぞ」
説明不足にもほどがある。
抗議しようとしたが、真っ暗だった空間が徐々に白みはじめていく。
どうやら意識が浮上しようとしているらしい。
それに抗うことはできなかった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
最初に目に飛び込んできたのは、身体の至るところから血を流している少女だった。
「…フリー、ジア」
「…ッ!?…ルージュはお寝坊さん、なの」
「…フリージア!?」
すぐに状況を理解した。
気を失っている僕をフリージアが守ってくれていたのだと。
限界が来ていたのか、僕が目を覚ました途端に崩れ落ちそうになるフリージアを抱きかかえる。
こちらが心配になるほど軽い華奢な少女は、荒い呼吸を繰り返していた。
「ありがとうフリージア。…あとは俺に任せて休んでてくれ」
「でも…」
「大丈夫だ。心配いらない」
抱きかかえていたフリージアをそっと座らせ、俺は黒剣を握っている幼馴染みの姿を見据えた。
いつも感情豊かに煌めいていたルビーの瞳は今や灰色を映すだけ。
俺は、傍に落ちていた自分の剣を拾い上げる。
「こっからは、幼馴染との喧嘩の時間だ」
俺は口の端を不敵に吊り上げた。
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