予感
目の前を暗闇が覆っていた。
腕や足は一切動かない……いや、そもそも全身の感覚がなく、自分の目が開いているのかすら分からない。
地面に立っている感覚もないため、どちらが上か下かすらわからず、ただ真っ暗な空間に意識だけがふわふわと漂っているといった感じだ。
寒さも暑さも感じない。
ただ、不快な感情は一切なく、心地よい安息だけが僕の意識を包んでいる。
死後の世界というやつは、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。
その場合、僕は死んでしまったということになるけれど。
一切変化しない世界では時間の流れが曖昧になる。
僕がこの世界を認識してから数秒しか経ってないかもしれないし、もしかすると数年ぐらい経っているかもしれない。
流石にそれはないか。
(......をつけろ)
ん?
今誰かの声がしたような...。
(...に気をつけろ)
誰かが話しかけてきている。
どこから声がしているのかわからない。
まるで脳内に直接語り掛けられているようだ。
(...リアに気をつけろ)
それらはすべて同じ言葉。
その言葉は一種の暗示のように、僕の頭に染みこんでくる。
――エラリアに気をつけろ――
僕の意識がゆっくりと浮上していく。
この声は、一体――
「...ここは...?」
僕が目を覚ますと、知らない天井を見上げていた。
何だか奇妙な夢を見ていた気がするが、どんな内容だったか思い出せない。
とりあえず身体を起こそうとして手をつくと、柔らかな手触りが返ってくる。
僕はどうやらベッドに寝かされていたらしい。
そして、すぐ傍に白衣を着た見慣れない女性が座っていることに気づいた。
「あら、起きたのね」
「えっと...」
まだ頭がうまく回っておらず状況を整理できていない僕を見て、女性は薄く笑った。
「まずは自己紹介が先かしら。マーズよ。教会から派遣されて保健室の先生をやっているわ」
「保健室...」
やっと思い出してきた。
そうだ、僕はカリアと戦って気を失ったんだった。
気絶する前のことを思い出し、僕は自分の左腕を見た。
「...左腕が治ってる」
「神聖術で治しておいたわ。その他の傷も含めてね」
それが私の仕事だし、とマーズは笑みを浮かべた。
話には聞いていたが、骨折みたいな大きな怪我もすぐに治せるというのは驚きだ。
「あ、そういえば武闘祭は!?」
「あー、それがね...怪我自体はすぐに治せたんだけど、君の意識が戻らなかったから棄権になったわ。力及ばずで申し訳ないわね」
「そうですか...いえ、怪我を治してもらえただけでありがたいです」
「そういってもらえると助かるわ」
僕が頭を下げると、マーズは苦笑を浮かべた。
「あの...」
「ん?」
「武闘祭は今どうなってますか?」
僕がそう尋ねると、マーズは少し困ったような顔を浮かべた。
「ごめんなさい、私も結果は知らないの。明日誰かに聞いてみるといいわ。そういえば、君が寝ているときに女子生徒が二人様子を見に来てくれてたから、その子たちに聞いてみたら?」
...結果?
そこでやっと、窓から茜色の斜光が差し込んでいることに気づいた。
カリアと戦ったのは昼過ぎだから、結構な時間が過ぎているようだ。
マーズの口ぶりから察するに、今日の試合は全て終わったのだろう。
「そうですね、聞いてみます」
アンリとフリージアが来てくれていたようだし、明日どうなったのか聞いてみよう。
もし二人が戦ったのだとすれば、それが見れなかったのは非常に残念だ。
「身体は大丈夫そうかしら?」
マーズが僕の顔色を窺うように問いかける。
僕は身体の調子を確認するように、捩じったり跳んだりしてみた。
「はい、大丈夫そうです」
「そう、よかったわ」
僕の言葉に、マーズは少しだけ安心したような息を吐いた。
「特に問題なさそうであれば、帰って大丈夫よ。荷物もさっき言った女の子たちが持ってきてくれたから、そこに置いてあるわ」
そう言って、マーズはそばに置かれていた籠を指さした。
そこには確かに、僕の鞄が入っている。
「わかりました。...治療、ありがとうございました」
僕の言葉に、マーズは少し目を細める。
「気にしないで。...あまりここには来ないようにね」
もう怪我するな、という意味が込められた回りくどい言い回しに、僕は思わず苦笑した。
僕は鞄を手に取る。
「気を付けます」
「よろしい」
にこりと笑ってマーズは僕に手を振る。
僕は扉に手をかける前に一度大きく頭を下げてから、保健室を後にした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「も~~悔しい~~~ッ!!!」
「ふふん、弟子が師匠に勝てるわけないの」
翌日、校門の前でアンリとフリージアと会うと、フリージアがにんまりとした笑みを浮かべて、アンリは地団駄を踏んだ。
その様子で昨日の結果がどうだったのか悟った。
「...どうやら、昨日はフリージアが勝ったみたいだな」
「当たり前なの」
アンリとフリージアが当たるのは決勝だったはずだ。
つまり二人とも決勝まで勝ち抜いたということだろう。
「やっぱりすごいな、二人は」
「...何が?」
...思ったことが口に出てしまっていたらしい。
不思議そうにこちらを向いたアンリに、僕は頭を掻いた。
「ほら、二人とも決勝まで行ったのがさ。僕は一回戦を突破するのがせいぜいだったわけだし」
「それは違うの」
フリージアが僕の顔を覗き込む。
サファイアの瞳には、どこか咎めるような色が宿っていた。
「じゃあルージュの相手...カリアはすごくなかったの?」
フリージアの問いかけに、僕はハッとした。
僕が自分を卑下するということは、カリアを悪く言っているのと同じだと気付いたからだ。
「いや、カリアはすごかった。とても」
「うん、私もそう思うの」
透き通るような笑みを、フリージアは浮かべる。
そして余計な一言を付け加えた。
「私は負けないけど、多分アンリだったらカリアに負けてたの」
「な...ッ!?」
フリージアの言葉にアンリは憤慨した。
「確かにカリアさんは強かったけど、私だって負けないわよ!」
顔を真っ赤にしたアンリがフリージアを睨みつける。
フリージアはやれやれといった感じで首を振った。
「まあ、それでもアンリが私よりも弱いことには変わりないの」
「ぐぬぬぬ...ッ!!」
アンリは何か言いたげだったが、昨日フリージアに負けたという事実もあってか悔しげに唸るだけだった。
「きょ、今日こそ勝って見せるわ!」
「そんな奇跡起こらないの」
昨日の個人戦に引き続き、本日はタッグ戦が開催される。
僕はフリージアと組み、アンリは――
「アンリエッタ様、ここにいらっしゃったんですね」
曲がり角から姿を見せた人物を見て、僕は思わず眉をしかめてしまった。
アンリの今日のパートナー、ウリド・ブルームだった。
「...ウリド卿」
アンリが振り返って声の主を確認すると、先ほどよりも熱量の下がった声でウリドの名前を口にした。
「本日はよろしくお願いいたします。未熟な身ではありますが、アンリエッタ様のお役に立てるよう誠心誠意――」
「あー、それやめてくれる?堅苦しいのは好きじゃないって何度も言ってるでしょう?」
ウリドが片手を胸に当てて礼をしようとしたが、アンリが手で制する。
「失礼いたしました。以後、気を付けるようにいたします」
はあ、とアンリが疲れたように小さく息を吐く。
何度もこのやり取りをしたことがあるのだろう。
アンリはこちらに向き直り、口を開いた。
「今日は敵同士。お互い全力を尽くしましょう」
「...分かったの」
僕はアンリの言葉に頷く。
いつもなら軽口を返すフリージアだったが、そんな雰囲気ではないと思ったのか、素直に頷くだけだった。
「じゃあ、またね」
アンリが僕たちに背中を向けて歩き出す。
ウリドはそのすぐ後ろを付いていこうと踵を返した。
(...なんだ?)
ウリドが振り向くとき、一瞬目が合った。
ウリドからはいつも睨まれたりとよくない感情を向けられるため、目が合った瞬間ウリドの顔を見ていたのは失敗だったと思ったが、今日のウリドの様子はいつもと少し違った。
敵意でも好意でもなく、もっと別の何か...言いようのない感情を向けていた気がする。
その目を見たからだろうか。
今日は何か起きそうな、そんな不吉な予感がした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「アンリエッタ様」
ルジーとジアと別れてから少しして、闘技場まであと少しというところでウリドから声をかけられた。
「...どうしたの?」
少し棘のある言い方になってしまっただろうか。
私は心の中で少し自省しながら、振り返る。
「教皇様から預かりものがあります」
ウリドはそう言って、懐から純白の布に覆われた何かを取り出した。
ウリドは手のひらの上にそれを置くと、もう片方の手で布をはがしていく。
それはペンダントだった。
銀色の鎖につながれた先には、綺麗な紫色の宝石が煌めている。
何故だろうか。
私は何となく、そのペンダントに親しみを覚えた。
「これをつけろって言うの?」
「はい」
ウリドからペンダントを手渡される。
それを見つめる深紅の瞳に紫の輝きが混じった。
断ってもいいことはないだろう。
これを断ると、恐らく私の自由はなくなる。
そうすればルジーに会えなくなってしまう。
「...わかったわ」
私はペンダントを首から下げた。
胸元で紫色の宝石が怪しげな光を放っている。
何だかその光を見ていると、思考に靄がかかったような気がしたけれど、大したことではないだろうし気にしないでおこう。
「ウリド卿、行きましょうか」
「はい、アンリエッタ様」
ウリドが珍しくその口を笑みの形に歪めている。
それを見て、少しだけ気分がよくなった。
(何だか、何でもできそうな気がするわ)
きっと今の私なら、フリージアにも負けない。
彼女に勝てば、きっとルジーも私のことを見直すだろう。
ケタケタという笑い声が聞こえた。
自分の笑い声だった。
あー戦いが待ち遠しい。
私の口は形を忘れたかのように、しばらくの間笑い声を溢し続けた。
「いいね」ありがとうございます!




