3-22 学園から追放されそうでしたが、今度は男装して王子の従者として通うことになりました
公爵令嬢ヴィオラの従者であるリズはある日彼女の怒りをかってしまい、寮と学園から追放されることになってしまう。
そんな絶望の最中、ヴィオラの婚約者であるオルトワーズ第二王子に声をかけられる。
彼に相談しようか悩んでいるところにヴィオラが現れ言い争いを始めてしまう。
とっさにリズはある魔法を使ってオルトとともにこの場から逃げることに成功する。
リズの秘密を知ったオルトは彼女に学園に残り続けられる提案を持ちかけるのであった。
はぁ……と何度目かわからないため息がリズの口からこぼれ落ちる。
母からは「ため息はあなたの幸せが体から抜ける音よ」と昔からその悪癖を治すように口酸っぱく言われていたが、今の自分に幸せなるものが少しでも残っているなんて思えなかった。
ここでずっとこうやっていても何も変わらない。そのことは十分理解しながらもリズはもう一度大きなため息をつくと自分の主人であるフェディニール公爵令嬢ヴィオラの言葉を思い返していた。
「あんたのせいで大恥をかいたじゃない! 追放よ! 今すぐにここから出ていきなさい!」
普段からわがままで周囲の人間を困らせる人ではあったが、あの時ほど激高したヴィオラを見るのは初めてだった。
そもそも、ヴィオラは一昨日まで王家主催のパーティに参加していたはずでその後彼女の実家へ一度帰るという予定だったので、昨日彼女が寮に帰ってくるなど誰も予想していなかった。
今夜も平和に過ごせるねと同僚と笑い合っていたあの光景は彼女が帰ってきたことで過去のものとなり、寮にいるみんながリズの荷物を持って寮から追い出す準備をし始めた。
この寮にいる誰もがヴィオラには逆らえない。リズを含めて全員がフェディニール家から支援を受けることによってこの王立学園に通うことができているからだ。
みんながこっそりと「ごめんね」と謝る中、リズは一人、寮の外で一夜を過ごすことになったというわけである。
「どうしよう……」
リズにはヴィオラをあそこまで怒らせてしまった理由は分からないが、そこは問題ではない。
彼女に追放と言われてしまったことが問題なのだ。彼女の両親も彼女の意思に逆らってまでリズに支援するとは考えにくい。
となれば、リズは支援者を失ってしまい学園に通い続けるためには莫大な費用をフェディニール家以外から払ってもらわないといけなくなる。
別の支援者を見つけることができれば話は簡単なのだが、王国でも一二を争う名門であるフェディニール家から疎まれたリズを支援しようとするような存在が現れる可能性など皆無と言っていいだろう。
つまり手詰まり。学園からの追放確定というのが今のリズの現状である。
リズは唯一の持ち物である鞄を両手に抱えながら頭を抱えつつ、再度ため息を付いた。
「どうした? こんなところに一人とは」
思わず「ひぃ!」という声が漏れる。
「ああ、驚かせてすまない」
恐る恐るリズが声をかけられた方向を見て、慌ててベンチから立ち上がり頭を下げる。
「お、オルトワーズ様。ご機嫌麗しゅう……」
リズに声をかけてきたのはリズが想像もしていなかったまさか過ぎる相手だった。
オルトワーズ第二王子。いつまでもなくこの国の王族だった。
朝日によって見事に輝きを放つ短い金髪に、顔つきこそ強面ではあるが優しさを感じる声。
先程まで鍛錬をされていたのだろう、濡れた半袖の上着からはしっかりと鍛え上げられたその美しい体が透けて見えてしまっていて思わずリズは顔を赤く染めながら目を背けた。
「ここは俺のお気に入りの休憩場所でな」
オルトはそう言うと腰についていた水筒を取るとそのまま一気に飲み干した。
「いい具合に体も温まってきたので、そろそろ休もうと思ったところに君が座っていたのを見かけて声をかけたというわけだ」
彼は水筒を腰につけ直すと、そのまま柔軟体操をし始める。
「確か、ヴィオラのところの……リズだったな? なにかあったのか?」
「私のことをご存知で……?」
「俺は記憶力は良い方でね」
オルトは体を動かしながらリズと話し続ける。リズからしてみれば彼に立ち止まられて真剣に話を聞いてもらうなど恐れ多くて緊張してしまうので彼の配慮が実にありがたかった。
と言っても、リズとしても「実はヴィオラ様に『追放よ』と言われまして……」などと正直に話すことなどできなかった。
もし彼にその言葉を言うことができたのであればオルトはリズのためにヴィオラへ掛け合ってくれたかもしれない。
なにせ、彼はヴィオラの婚約者なのだから。
そうやってお互いに無言の時を過ごしていると別の人の声が聞こえた。
「そこで何をしているのかしら。オルト様」
「見ての通り、朝のトレーニングだが?」
声がした方を見てリズは全身の血が凍り付くような感覚を味わった。
ヴィオラ様だ。よりにもよって今は最悪のタイミングだ。
自分がオルト様と一緒にいるところを見られれば、彼女からしてみればリズがオルトに助けを求めているようにしか見えないだろう。
ヴィオラに追放されたこの現状で婚約者であるオルトに相談するなどという行為がバレたら二度と許しては貰えないだろう。
幸いヴィオラの位置からはオルトが壁になってくれていることでリズの顔までは見ることができなかった。
「トレーニングついでに女の子に声をかけていると。第二王子様は手がお早いようですわね」
「困っている人間を無視できるほど俺は薄情な人間ではなくてね。それより君こそ異性の関係には気をつけたほうが良いと思うが」
あれ? 二人ってここまで仲悪かったっけ? とリズの頭の中で疑問が浮かぶが今はそれどころではない。
二人が言い争っている間になんとかしないといけない。だが、逃げる場所などなかった。
やるしかないと、心に決めてリズは鞄からフードを取り出し深くかぶることで顔を隠す。
大丈夫。バレない。
自分にそう言い聞かせながら魔法をかけ続ける。
自分はリズではない。私は……。
「そこのあなた! いい加減こそこそと隠れていないで姿をお見せなさい!」
ヴィオラはオルトの隙をついて彼の背後に回り込みリズのフードをめくりあげる。
「なに?」
ヴィオラによって剥ぎ取られたフードから現れたのは、ヴィオラが思っていたぼさぼさの黒髪で顔を隠す地味なリズではなかった。
短く切り揃えられた小麦色の髪、ナイフを感じさせるような冷たく鋭い翡翠色の瞳、少し丸みを帯びた尖り耳。
ヴィオラも思ってはいなかった人物だったためか、少し言葉を失いかけるがすぐに元の調子に戻る。
「なに? ではありませんわ! あなた、私が何者なのかわからないの?」
「さぁ。あたし北の生まれだから」
普段のリズの言葉遣いではなく、少しなまりが混ざった王国北部出身者に多い特徴的な口調で彼女の言葉に反応する。
「……ただ、喧嘩売られてるのはわかるよ」
リズは立ち上がると顔を近づかせてヴィオラを真っ直ぐに見つめ返す。
鼻先が触れるではないかと思う程に顔を近づけたこともあったのか、ヴィオラが顔を赤くし一歩後ずさる。その一瞬をリズは見逃さなかった。
「ねぇ、助けてくれるって言ったよね」
リズはそう言いながらオルトの腕に自分の腕を絡ませると、有無を言わさないまま彼を引っ張っていく。
ヴィオラが落ち着きを取り戻してしまう前に、二人はうまくその場を逃れたのであった。
どれほどの距離を逃げたのか、リズにも分からなかったが逃げ続けたことによる息苦しさで限界を迎えてついに立ち止まる。そしてそのまま壁にもたれかかってしまった。
「き、緊張しました……」
「君は一体……?」
ヴィオラに見せた先程までの凛々しさはどこへ行ってしまったのか、リズはいつもの口調に戻っていた。
「どうしましょう! わ、わたしヴィオラ様にあんなことしてしまいました……」
リズからしてみればこれしか手がなかった状態であるのだが、それでも主人に反論し、第二王子の腕を掴んで逃げるなどという到底許されるものではない。
「……そうか、変身魔法か」
冷静さを取り戻したオルトの指摘にリズが「はい」と言いながらゆっくりとうなずく。
これこそがリズがこの王立学園に来ることを許された最大の理由だった。全く別の人間に成り代われるというこの変身魔法を使える人間は希少でフェディニール家からしても欲しい人材だったというわけだ。
「噂には聞いたことがあったが、これほどとは。俺も別人だと思ってしまったよ」
「お恥ずかしい限りで……」
リズの魔法が解け、元の黒髪へと戻り始める。そのまま前髪が彼女の顔を隠してしまう。
変身魔法は本来姿を変えるだけで、身体能力や性格を変えるわけではない。
だが、リズにとってこの魔法は自分ではない存在に変われる魔法なのだ。
そして先程の女性は、かつてリズが酒場で手伝っていたときに見ていた女冒険者で、リズにとっては勇気を象徴する存在だった。
彼女であれば凛としてヴィオラに立ち向かうだろうと。そう思ったから。
リズは残っていたもう少しの勇気を振り絞って、オルトに昨日の晩からヴィオラに追放されてしまったことを含め自分に起きた出来事を正直に話した。
話を聞き終わった後オルトはしばらく悩んでいたが何かをひらめいた様子を見せた。
「リズ。君は男に変身することはできるか? できれば学園の人間が知らないやつであれば理想だ」
リズは頷く。リズの変身魔法は自分が知っている姿であれば誰にでもなれるので問題はない。
「よし。ならば俺の従者になってくれ」
「ええ!?」
「うちは男性寮だから君をそのまま入れてあげることができない。だが、男になれるのであれば話は別だ。制服などの準備はこちらで用意しよう。そうすれば君は学園に通い続けることができる。悪い話ではないはずだ」
まだ、自分は学園に通うことができる……。自分には幸運が残っていたのだ。
思いがけない提案にリズは大きく頭を下げる。
「オルト様。どうか私を従者にしてください!」
今の彼女にそれを断る理由などなかった。





