3-21 君がかわいかった百の理由
「先輩、愛してますよ」
谷村には高校時代、自分を慕ってくれる後輩がいた。慕うというのは、恋愛的な意味での慕うだ。かわいいと自称までする彼女からの熱烈なアタックに、谷村は嬉しくないでもなかったが、その理由のない好意がどこか不気味で、結局付き合うこともなく。そのまま卒業し、大学三年生になった今では疎遠になっている。
そんな折、谷村は同窓会で彼女の噂を聞いた。どうも彼女は谷村の卒業に合わせて不登校になり、そのまま失踪してしまったという。なんともいえない後味の悪さを感じながらの帰り道、彼の携帯に一通のメールが届く。
『先輩、お久しぶりですね』
彼女はなぜ谷村を愛し、そして消えたのか。愛に理由を求める愚かしさを紐解く、これはそういう、青臭い話。
「先輩、愛してますよ」
たまに夢に見る。高校時代の夢だ。
高校時代、通学する僕の後ろには決まって一人の女の子がいた。かわいい子だった。それは彼女が自分のことをかわいいと自称してやまなかったこともあるし、二つ結びにした黒髪の毛先にふんわりカールをかけていたことからでもある。カバンには常に有名テーマパークのマスコットが揺れていた。
僕はそんな彼女を、常に煙たがっていた。何せ、そんなかわいい彼女が何をもって僕を「愛している」と言うのかがわからなかったからだ。彼女は気づけば僕に求愛をしてきていた。
そんな彼女の愛嬌たっぷりの笑顔を、僕はたまに夢に見る。逆に言えば、僕と彼女は高校で出会って、それっきりだ。
◇◆◇
人気の少ない電車に揺られる。通勤の波も通り過ぎた夜の時間、今更どこぞに行こうなんていう呑気をしているのは、僕らのような大学生だけだろう。
そろそろ就活で忙しくなる人も多いし、大学三年生の今のうちに同窓会をしておこう。今日はそういう趣旨らしかった。大した理由でもないが、みんな集まる理由が欲しいだけなのだ。ただ、そんな気持ちも夏から少しずつ始める就活の憂鬱さを思えば理解できるし、すっかり面白みもなくなった春学期の中だるみ感を払拭するにはちょうどいいイベントだろう。
電車は高校の最寄り駅につき、電車を降りてみると隣の車両からも知った顔が下りてきたところだ。軽く挨拶をして、会場となる居酒屋へ向かう。今日は当時の担任も来るそうだ。
居酒屋は以前にも一度使った、駅前の目立つ立地だ。それぞれ順調に集合して、みんなの前に酒がいきわたる。
「それでは、久々の三年一組の集合と、小田先生との再会を祝して! 乾杯!」
名実ともにクラスのリーダーだった学級委員長の号令で、つつがなく会は始まった。
どうやら僕らのクラスは仲が良かったらしく、三分の二にあたる二十人くらいはちゃんと集まっていた。橙色の照明が照らすちょっと薄暗い店内はむしろ雰囲気が良く、隠れ家に集まった仲間たちという風情だ。僕らはいくつかのテーブルに分かれ、それぞれに酒と食事に手を付けた。
「しかし、お前らがもうすぐ大学四年生とはな。いつも思うが早いもんだよ」
僕の机には、小田先生がいた。机に腕をついて枝豆をつまむその姿は、愚痴を吐く中年サラリーマンの風情だ。前傾姿勢になったことで、髪の薄くなってきた頭頂部が見える。ちょっと悲しい。
「いやぁ、俺らも早いなって思いますよ。まだ遊んでたいっす!」
「ぬかせぇ。お前はさっさと社会にもまれたほうがいい」
「そんなぁ」
隣に座った川村が軽口をたたくと、小田先生は相変わらずの冷たい対応だ。ビールをあおる不愛想だが、受験期には一人ひとり個別に課題を出してくれたりと、なんだかんだ生徒のことを見て、考えてくれている先生だった。でなきゃあ、同窓会に呼ばれたりもしない。
「でも、俺は来年教育実習で行く予定なんで。先生が社会を教えてくださいよ」
「大学四年生にもなって学生気分で来るなら承知しねぇぞ」
川村はそんな先生にもどんどん話しかけていく。昔からコミュニケーション能力の高い奴だ。小田先生を主役に立てつつも、周りの同級生にも話を振っていく。教育実習に行くということは、将来は先生になるつもりでもあるんだろうか。こいつなら間違いなくいい先生になるだろう。
「そういえば、谷村はさ」
ぼーっとレモンサワーを啜っていたものだから、川村に突然水を向けられてはっとする。谷村とは僕のことだ。
「そうだ、僕が谷村だ」
「お前何言ってんだ?」
僕のおかしな受け答えに小田先生が苦笑する。
「谷村は、どこに就職するの? ある程度業種とかは考えてんだろ?」
「考えてなかったら承知しねぇけどな。お前は進路を決めるのも遅かった」
「ええと、それは」
口ごもる。全然定まってはいなかった。
とはいえ、それは別に特別なことではないのじゃなかろうか。大学の同期にも定まっていないやつは多いし、それを定めるために説明会などにこれから参加していく予定なのだ。
実際小田先生も半分冗談で言っていたらしくて、その通りに伝えればむしろアドバイスをくれたくらいだ。相変わらずわかりにくい先生だ。
けれども、それがうれしかった。大学では、高校よりよっぽど友人が作りにくい。課題を一緒にやる間柄ではあっても、そこまで深い仲だとは思えないのだ。
それに対し、喋りたいときに喋って、この場にいることに何の気後れもない今の状況は、とても居心地のいいものだと、今は感じられる。
同窓会は時間が進むと、席替えのタイミングになった。
せっかく来てくれた小田先生だ。全員が話す機会を持てるようにという趣旨なので、僕らが小田先生のいるテーブルを離れ、ほかのテーブルの人たちと入れ替わる形。先生が動いたほうがよっぽど早くはあるが、まさかゲストにいちいち席替えをお願いするわけにもいかない。
僕と川村のいるグループは、小田先生テーブルの隣に移動した。
「それで谷村君よ。最近はどうなんだ」
「どうって、なにが」
「そりゃあ、せっかく先生のいない席になったんだし。彼女とか、そういうのできたかっていう下世話な話よ」
「いや、別に何もないけど……」
そもそもそういう話なら、川村のほうがありそうなものだが。
「そっかぁ。お前高校の時もモテてたし、意外だなぁ」
「モテてた? 僕が?」
「モテてただろ。ほら、あの……」
川村が眉間にしわを寄せる。同級生の名前ならなんでも覚えていそうなこいつが悩むということは。パット頭に一つの顔が浮かぶ。何より、僕がそんな「モテてた」なんて表現をされる相手は一人しか思いつかない。
「それって、坂田さんのこと?」
ちょうどその名前を口にしようと思ったタイミングで、割り込んでくる声。
明るい茶色に染めた髪の派手な彼女は、高田さんだ。惚れた腫れたの話は大好物。
「えー、谷村くん、結局あの子とくっつかなかったんだぁ。かわいかったじゃん」
「そりゃまぁ、自分でも自分をかわいいって言ってる子だったけど」
「あんなに懐かれてたんだから、付き合おうって谷村くんがいえばそれでハッピーエンドだったでしょ」
「まぁ、付き合えてたとは思うけど……」
果たして、それがハッピーエンドだかはわからない。
坂田有海。いつの間にか僕に惚れていて、いつの間にか付き纏われていた。僕が駅に着くとホームで待ち構えていて、そのまま僕の後ろにひっついて通学してくる。帰りもまた然り。何度周りから「付き合ってるんだろ」と揶揄われたことか。
けれど僕は、かわいい子に好きだ好きだとついて回られる面映さもありつつ、その理由のない好意に不気味さを感じる瞬間もあって。
結局連絡先の交換などは一切せず、彼女もそんな僕の気持ちを察してか、卒業式の日には顔を見せなかった。
「今どうしてるんだろうね。まだ谷村くんのこと好きかもよ?」
「そんなことないでしょ。どうせ若気の至り? 青春の気の迷いでしょ」
「いやー、わかんないよ」
高田さんはニヤニヤしながら、自分のカクテルのグラスをマドラーでかき回している。僕の過去話をまぜっ返して遊ぶだけでは足りないらしい。ガラスの中で氷がカランと回り、ピンク色のシロップが透明な海の中にゆらりと広がる。
小学生の頃、水の中に垂らした絵の具のような。あるいは。
高田さんはふと、マドラーを回す手を止めた。
「だってほら、坂田さん、私たちが卒業した後、不登校になったって話じゃない?」
驚きに声が詰まった。
坂田さんが不登校? 彼女はどこかストーカーじみていたが、あくまで「じみていた」で済むくらいには、陰気さとはかけ離れた明るさ、溌剌さを持っていた。
「おいやめろって。おふざけのネタにするにはちょっと悪趣味だぜ」
川村が諌める。
「ごめんごめん。でもこれ、失恋のせいだとしたら、やっぱり谷村くんのこと本気で好きだったって、そういうことじゃない」
「まぁ、そうかもだけど……」
それは流石に、行き過ぎというやつじゃないだろうか。
そこまで愛してもらうほどのことは、彼女に付き纏われる前にも後にもしてきていない。かわいい子に言い寄られてちょっと嬉しいかもだからではなく、少し責任も感じてしまうから、やめてほしかった。
なんというか、ちょっと引く。
「おい高田。また人の色恋に口出してんのか」
「えっ、いやっ。そんな口出すってほど口出してないですよ〜」
隣のテーブルで話していたからか、小田先生が首を伸ばして話に入ってくる。おかげで、どうやらこの話はここで終わりそうだった。僕はぐいっと、喉の奥までレモンサワーを飲み干していく。
「川村の言う通り、坂田の話で盛り上がるのはやめておけ」
だから、先生の追撃は完全な予想外だった。
「あいつ、行方不明になっちまったんだからな」
◇◆◇
終電に揺られる。ガタンゴトンという定期的なリズムは、僕の脳を揺さぶって余計なことを思い出させる。目の前の座席に寄りかかりあって眠るカップルが座っているのも良くなかった。一方的にすり寄ってきた坂田のことが、どうしても頭によぎる。
あの柔らかそうな髪。弾む声色、女の子らしい汗の匂い。
きっと僕は、ちょっとの不気味さに引き留められていなければ、彼女に惚れていたのだ。
それももう、今となってはだけれども。せっかくの同窓会もこれでは台無しだった。
スマートホンに浮かぶ時刻表示と無感情に睨めっこしていると、唐突にその画面に浮かぶメールの通知。
『先輩。お久しぶりですね』





