3-20 夢入り少年は夢喰いバクの夢を見る
人の夢に入り込む不思議な体質をもつ少年、辻村絃は、ある日偶然入り込んだクラスメイトの夢の中で、夢を食べている少女、夢野麦と出会う。
絃の体質に目をつけた夢野は彼に、自分の悪夢を喰べる手助けをして欲しいと告げる。
「私が、力を取り戻した暁には、君のその体質、私が喰らってあげよう」
これは、夢に入り込んでしまう不思議体質男と自力では夢を喰らえない未熟な化け物が、互いの夢を叶えるまでの長い、夢のような物語。
──辻村絃には不思議な体質がある。
それは『人の見ている夢に入ってしまう』という、他の人には理解してもらえないもの。
夢の中では透明人間のように、相手に気づかれることも無ければ触れることも出来ない。入ったからといって直接的な害は特になく、この体質でかなり困っている、という事もない。
小さい頃は嫌だったりもしたが、慣れてしまった今では、あぁ、またか、位のいつものこと、の筈だった。
「久しぶりだったから、ついがっついてしまった」
なんて言いながら、倒れているクラスの女子を食べている化け物と出会うまでは。
街灯が薄暗く照らす、夜の見知らぬ住宅街。
そこで起こっている猟奇的な光景に、絃は目を見開いた。
倒れているクラスの女子、その身体から、黒い靄がモザイクのようにかかったものを引きちぎり、それを口に運ぶ謎の女。
「事件でしょ……」
思わず出た声は、自分でも分かるぐらい上ずっていた。
これが現実であれば大事件だ。きっと明日のニュースや新聞で大きく取り上げられる事だろう。
それにしてもクラスメイトからしたら、こんな得体の知れない人の形をした化け物に食べられるなんて最悪の悪夢だろう。あんまり、というかほとんど話したことのない子だけど、よほどなストレスでもかかっているのだろうか。
「あれ……?」
自分の言葉に、何かが引っかかった。
これは彼女の見ている夢だ。彼女が夢の主人公だ。
じゃあ、どうして。
夢を見ている本人が倒れているのだろう──?
「──あぁ、こんなところにもいた」
「……っ!」
突然掛けられた声に肩が跳ねる。見つかるわけがない、その筈なのに。
顔を上げると、いつの間にか目の前まで来ていた女は、絃をしっかりと捉えている。
「お残しはいけないからね。私がちゃんと全部、食べてあげよう」
口から覗く鋭利な八重歯から、楽しげに細められた赤黒い目から、身体を動かすことが出来ない。これが蛇に睨まれた蛙というやつなのだろうか。
ゆっくりと伸ばされた手に俺は目を閉じる。
夢の中で死ぬなんて本当にあるのかとか、こいつは一体なんなんだろうとか、状況が行き過ぎると意外と頭の中は冷静になるらしい。
「君は──」
閉じた視界の中で、小さく聞こえた声と、瞼の裏から当たる光に絃は目を開く。そして。
「──は」
目を開いた絃の視界に入ったのは見慣れた部屋の天井だった。
◇
昨日の夢はなんだったのか。
絃は、教室で友達と昼食を食べているクラスメイトを一瞥した。
あれだけショッキングな夢なら覚えているのでは、と思ったが、見ている限り夢を引きずっている様子もなく、顔色もスッキリとしている気がする。
本人は倒れていたし、覚えがないのだろう。
しかし、夢を見ている本人に意識がないのに夢が続く、なんてことあるのだろうか。
絃の脳裏に、昨日の光景が浮かぶ。
やはり、あの女が関係しているに違いない。
今まで、夢の中で相手に話しかけたり触れようとした事は何度もある。しかし、一度だって目を合わせることも、反応が返ってきたことも、相手に触れることすら出来なかった。
にも関わらず、あの女は絃の事を認識していて、ましてや、こちらに触れようとしてきた。
昨日の鋭い牙と目を思い出し身体が粟立つ。絃は、両腕を擦ると考えを振り払うように席を立ち、購買に向かおうと廊下に出た。
「そういえば」
購買を目指して歩いていた絃は足を止めた。
昨日、夢の中で最後に聞こえた言葉。あれは何が言いたかったのだろうか。
本格的に考え出した、その時。
ガラリ、と音をたてて絃の真横の教室の扉が開き、そこから覗いた手が絃の腕を掴んだ。
「え──」
絃が状況を確認するよりも早く腕を引かれ、そのまま暗い教室の中に勢いよく連れ込まれる。
「い"っ……!」
腕を強く引かれた反動で、絃は教室の床に尻もちをついた。走った衝撃に小さい呻き声が口から漏れる。
急に誰がこんなことを、と、がばりと顔を上げた絃は目の前の人物に驚愕した。
どうして、だって、こいつは──
「やぁ、昨晩ぶりだね、辻村絃くん」
絃に視界を合わせるようにしゃがみこんだ女は、特徴的な赤黒い目を細め、声をかけてきた。
ドクリと心臓が嫌な音を立て、背筋が冷えていく感覚がした。
なんでこいつがこんなところに? どうして俺の名前を?
絃は女の顔を見つめながらじりじりと後退をした。
「そんなに怖い顔をしないで? 流石に私も傷つくな」
警戒して何も喋らない絃に、女は困ったように眉を下げた。
「まぁ、昨日のアレを見ちゃったら、仕方がないのかな。少しがっつき過ぎたかもしれないし、君の事も食べてしまうところだったからね」
はしたなかったね、と申し訳なさそうに笑っているが、目の奥は濁っていて笑っていないのが分かる。
絃は床に着いていた手をぐっと握りしめ、意を決したように口を開いた。
「……あんたは一体なんなんだ?」
絞り出すような声で問う絃に女は、あぁ、まだ名乗ってなかったね、と続けた。
「私は、夢野麦。悪夢を喰らう者だよ」
女性にしては低い女の声が、言葉が、まるで身体にそのまま入ってくるような感覚に、絃は怪訝そうに繰り返した。
「悪夢を喰らう……?」
「そう。昨晩君が見たのは、私があの子の悪夢を食べているところだ。彼女は昨日、私に悪夢の相談をしに来ていてね」
その言葉に、昨日のクラスメイトの身体から黒い靄のようなものを口に運んでいた姿を思い出す。あれが、悪夢なのだろうか。
「その話を聞き、私は彼女の夢を食べるために夢の中にいた。あ、ちなみに、悪夢が食べられた事で彼女はこの悪夢を見ることも、思い出すこともない。もちろん、昨晩のも、ね」
パチン、とウインクをした夢野に絃は、頭を整理するため黙り込んだ。
人の夢を食べる、普通であれば信じられない話だ。しかし、絃は実際に夢の中で何かを食べているところを目撃しており、クラスメイトが教室で元気にしているところも見ている。
何より、絃は夢野と同じ『信じられない』ような体質がある。
「そこで、君を連れてきた訳なんだが」
「連れてきたというか……」
いきなり腕を引かれて連れ込まれたのだが。
「まぁ、やり方はちょっとだけ強引だったなと思ってるよ」
絃の考えてる事が伝わったのか、ちょっとを強調した。
「そんな事よりも、今度は君の話だ。君、ああいうの初めてじゃないだろ?」
夢野の大きな二重の目がすっ、と細められる。
嘘をついてもすぐ見抜かれてしまいそうな鋭い視線に、絃は押し黙った。
「あ、ビンゴかな? 昨晩の君を見た時に慣れていると感じたんだ。夢と間違えて、食べそうになるぐらいにね」
楽しそうに話しだした夢野は、言葉を続ける。
「なんだかまるで──いつものことのように」
心を見透かしているような言葉に絃は大きくため息を吐く。
「……体質だよ」
「体質?」
話し出した絃に、夢野は不思議そうに聞き返した。
「人の夢の中に勝手に入る体質。眠ると、望んでないのに夢の中に入るんだ」
「原因はわかるの?」
「分からない。分かっていたらこんなことになってないだろうね」
人に体質の話をしたのは久しぶりな気がする。昔は大人や同級生に話した事もあった。けど、こんな話は信じられる訳がなく、嘘だと思われ除け者にされたり、夢の内容を何故知ってるのかと気味悪がられたりした。
体質を治したいと思ったことは何度かあったが、人に相談ができない以上、治す術もなく、いつものことだからと、自分を納得させるしか無かった。
「……なるほどね」
自嘲気味に話す絃に、夢野は考えるように口元に手を当てる。
「君の体質は人には過ぎたものだ。……羨ましくなるほどに」
「……は?」
今こいつ羨ましいと言わなかったか。
「私はさっき夢の中に入り悪夢を食べる、と言ったが、困ったことがあってね。私はまだまだ未熟で、自力では夢の中に入ることが出来ないんだ」
「出来ない? でもあんた、昨日は──」
そう、夢野は昨日クラスメイトの夢の中にいた。そこで自分と遭遇したからこそ、今二人で話しているのではないか。
「あぁ、昨日はね、ちょっとした細工を使ったんだけど、もうその手段を使えなくてね」
困ったように笑う夢野は徐に立ち上がると、絃を見下ろしながら、そこで、と続けた。
夢野の表情に絃は、嫌な予感がした。
「君のその体質を使って、私の手助けをして欲しい」
「は……はぁ!?」
絃の声が教室内に響き渡る。
「君にも悪い話じゃないと思うよ。そうだな……私が悪夢を喰べ、力を取り戻したら君のその体質、私が喰らってあげよう」
体質を喰らう、その言葉に絃はぴくりと反応する。
「……体質を喰らったら、俺はどうなる」
「どうもならない。ただ、君はもう夢に入り込むことがなくなり、人として、普通に眠ることになる」
普通に眠る。誰かの夢の中に入ることもなく、ただ目を瞑り次に目を開けたら朝が来ている。
あぁ、それは、まるで夢のような話だ。
「私は、君の体質を喰らい、自力で夢に入れる力を。そして」
夢野は床に座り込んでいる絃に手を差し出す。
「──君には、もう夢に悩まされない安眠を」
この言葉を本当に信じてもいいのか。いや、こんな虫のいい話、疑うべきかもしれない。
それでも俺は、この少女の言葉に賭けてみたい。そう思ってしまったのだ。