3-01 Sと、Fと、
【この作品にはあらすじはありません】
私は塔の一室で、どんよりした空を眺めながら憂鬱なため息をついた。
「なにか変わったことは無いか」
「いまのところはなにも」
「そうか」
王国の辺境に建っているこの塔は、私の研究施設として使っていた。
そこに魔術師を中心とした部隊が、王の命令書を持って到着したのが、十日ほど前。
私を指揮官とし、襲ってくる敵を撃退せよとのことらしい。
王からの命令では逆らうわけにはいかない。
平穏だった塔は、にわかに騒がしくなった。
今も数人の男女が『遠話』の魔法で塔の各所と連絡を取り合う声が聞こえてくる。
敵はどうも『空から来るもの』と呼ばれているらしい。
飛竜かなにかか、とにかく情報が少なすぎる。
「西から飛来する物体を発見したそうです、いかがいたしますか」
塔の上部に詰めている見張りから『遠話』を通じて報告が入ったようだ。
女性の一人が私を見ながら指示を待っている。
物体と表現するということは、生き物ではないのか?
「例の敵か?」
「おそらく」
「まずは様子を見る。『遠話』による通信を試みてくれ」
「わかりました」
私は手短に指示を出した後、口の中で小さく呪文を唱え『遠目』の魔法を発動させる。
急速に広がった視界が、近づいてくる異様な物体を捉えた。
「なんだあれは……」
思わず驚きの声が漏れた。
鈍く銀色に光る丸いものが複数、音もなく空を飛んでいる。
かなり大きい、人が五、六人は乗れそうだ。
「相手から返信ありません」
対話に応じる気がない、やはり敵なのか。
正体のわからない飛行物体は、音もなく塔へと接近してくる。
攻撃すべきか……迷いが判断を遅らせた。
不意に先頭の一体が放った光の矢が塔に当たり、ずずんと鈍い音を響かせる。
「防御魔法を展開、魔術師たちに各個に反撃させろ」
塔党全体が、防御魔法の薄い光に包まれ、魔術師たちによる炎や雷撃の魔法が撃ち出される。
飛行物体も負けじと光の矢を放ち、激しい火線の応酬が始まった。
光の矢は次々と塔に命中しているが、防御魔法のおかげで大きな損害は出ていない。
やがて雷撃の魔法を避けそこなった飛行物体のひとつが、火を噴きながら地面へと落下していった。
これなら問題はない、そう思ったのもつかの間だった。
飛行物体の遥か後方。
低く垂れ込めていた雲が、押し広げられるように吹き散らされる。
その中心、抜けるような青空をバックに、なにか巨大な物が浮かんでいた。
なんて大きさだ……。
おそらく小さな島くらいある。
ありえない……あんなものが浮かんでいるなど……。
「『轟雷』だ! 急げ!」
「え?」
「防御魔法を受け持っている魔術師も参加させろ! とにかく全力だ!」
「は、はいっ!」
指示を出す声が上擦る。
それほどに信じ難い光景だった。
幸いにしてまだ、かなり距離がある。
接近される前に、最大火力による先制攻撃しか手はない。
あの巨体に生半可な呪文が通用するとは思えない。
複数の魔術師により詠唱を束ねる『轟雷』は、その人数に応じて威力が高まっていく。
いま居る魔術師たち全員が詠唱したならば、その威力は天変地異に匹敵する。
あれならば。
塔の上で、魔術師たちによる一糸乱れぬ詠唱が始まった。
『轟雷』は、発動に時間がかかるのが欠点だが、まだ間に合うはずだ。
じりじりと時間が過ぎていく。
ふと、どこからともなく低い音が聞こえてくるのに気づいた。
「なんだ?」
「……わかりません」
空気が波打つような不快感が身体を突きぬけた。
今まで感じたことのない感覚だ。
あの巨大な飛行物体からの攻撃だろうか。
だが、塔に影響はない。
「『遠話』が……通じません」
担当していた女性が、消え入るような声で一言残すと、膝をついて倒れた。
同時に凄まじい脱力感が襲ってくる。
集中が散って『遠目』を維持できない。
最後に見た光景は、『轟雷』を詠唱していた魔術師たちが次々と倒れていくさま。
眠りの魔法とも違う、まるで身体から何かを抜き取られているような。
皆を退避させないと。
「動けるものは逃げ……」
凄まじい衝撃が塔を揺さぶった。
なにか硬いものに背中をひどく打ち付けて、呼吸が一瞬止まる。
だめだ、このままでは蹂躙されるだけだ。
気は焦るが、満足に起き上がることもできない。
二度目の衝撃、閉じた瞼を通してなお差し込んでくる真っ白な光。
身体が浮かぶ感覚。
薄れていく意識の中、私は死を覚悟した。
…………
………………
気が付くと、私はどこかに寝かされていた。
薄っすらと目を開けると、見た事もない部屋だった。
不自然なほど滑らかな壁と天井、不思議なほどに外の気配がしない。
起き上がろうとしたが、全身に貫くような痛みが走る。
思わずうめき声がもれた。
「気が付かれましたか?」
簡素な服を着た女性が、こちらを振り向く。
ぼんやりしていた頭が徐々にはっきりしてきた。
「私の塔はどうなった! 王国はいまどうなっている!」
女性が言い難そうに目をふせ、視線を外す。
「塔は完全に破壊されました。そして王国は『空からくるもの』と戦争状態にあります」
やはりそうか。
私が不甲斐ないばかりに。
「どうか落ち着いて、お怪我を治すことをお考えください」
私は無言で小さく頷いた。
痛みで指一本動かせない状態では、どのみち何もできない。
目を閉じた私は、引きずり込まれるように眠りに落ちていった。
献身的な治療と回復魔法を受けること数日。
ようやく立ち上がって歩きまわれる程度に回復した私の元に、初めて見る女性がやってきた。
「ずいぶん元気になられたようですね、ご気分はいかがですか?」
話し方や雰囲気に、貴族か王族が持つ上品さがある。
ここの指導者的な存在だろうか。
「おかげさまで、だいぶ良いです。危ういところを救っていただき感謝します」
女性は、銀の長い髪を揺らしながら、ゆったりと微笑んだ。
おっとりした仕草の割に、瞳の奥ではしっかりと私を値踏みしている。
油断ならない、そんな印象だ。
「私を助けた目的をお聞かせいただいても? まさか人助けが趣味というわけでもないでしょう?」
「やはりわたくしたち目に誤りはなかったようですね。あなたに『空から来るもの』と戦う力を貸していただきたいのです」
また、あれと戦えというのか。
私なんかが役に立つわけが……。
「なぜ私なんです? 私は成す術もなく奴らに敗北したのですよ」
「あなたの持つ魔法理論は切り札になりえます。あなたが負けたのは、相手のことを知らな過ぎたからにすぎません」
昨今では魔法を才能と感覚で使う者が多く、理論は軽視されがちだ。
私のように魔法理論に傾倒する者は珍しい。
「それは買い被りというものです」
「あなたは自分を過小評価しすぎです。敵を知ってこそ開ける道があるはずです」
真っ直ぐに見つめてくる銀の瞳を受けて、私は言葉に詰まる。
嘘やお世辞を言っているようには見えない。
「あなたがたが魔法を使う場合、『マナ』と呼ばれるものを使用する。そうですね?」
「もちろんです。マナは万物の象徴、この世界のあらゆる所に存在し、魔法の触媒となる」
私は急にふられた質問に、戸惑いながらも淀みなく答えた。
そんなことは基礎中の基礎で、魔法理論以前の問題だ。
さっきの話との関係がみえない。
「では、ある場所においてマナが枯渇してしまった場合、どうなると思いますか?」
「それはありえません。たとえどんな大魔法を行使したとしても不可能です」
「あくまで仮定の話です。想像してみてください」
「そうだな……まず、いかなる魔法が発動も維持もできなくなり……」
私はようやく質問の意図に気づいた。
あの時、私は異常な脱力感に襲われ、魔法を維持できなくなった。
おそらく塔に居た全員が同じ状態に陥っていたはずだ。
「彼らは、魔法にとって重要な要素であるマナを解析し、一定範囲のマナを消滅させる技術を開発したのです」
「思い当たるふしはあります。ですがマナが無いなら、どうやってあんな巨大な物を浮かせているのです?」
彼女の話が本当ならば、奴らだって魔法は使えないはずだ。
「彼らの持つ『科学』は、魔法とは全く異なるもので、マナを必要としません」
「あの空飛ぶ乗り物も、塔を破壊したのも」
「はい、すべて科学を使ったものです」
なんということだ。
魔法とは完全に異なる技術。
あんな方法を取られたら勝ち目などない。
「本題に入りましょう」
この強大な敵にどう対抗するのか。
手があるなら、聞いてみたい。
「わたくしたちが、あなたを彼らの中に送り込みます。そこで科学を学び、新たな魔法理論を構築してもらいたいのです」
面白い、意趣返しというやつか。
間者の真似事をするのだ、当然危険は伴うだろうが、もともと拾った命だ。
復讐心、知的好奇心、動機は十分だ。
「あなたたちは一体何者ですか?」
「今は言えません、ただこの戦争を憂う者としか」
「わかりました。では聞かなかったことにしましょう」
私は手を差し出し、彼女と握手を交わす。
これで表向きは仲間だ。
彼女たちが私にとって敵か味方かは、いずれわかる。
「保障はできませんが、全力で取り組みましょう」
「よろしくお願いします」
さあ忙しくなるぞ。