3-11 傷心パティシエール、異世界転職しました。
──クリスマスイブ、世間では恋人たちの聖なる2日間だのリア充の巣窟だの色々言われていたが、主人公間宮 ひまわりはそれどころではなかった。
周りの同僚たちの厳しい目に頭を下げながら足早に帰宅すると彼氏は妹とじゃれついており、何度目かの記念日潰しに捨て台詞を吐き、実家に帰って寝落ちてしまう。
目を覚ますと見知らぬ場所にいた。豪華な大聖堂のような場所で歓声に包まれる。
混乱する彼女にこの国の王と名乗る男が重々しく伝えるのだ。
「この国の女神に異世界の菓子を捧げるのだ」
「自分で作れこのスットコドッコイ」
これはやさぐれたケーキ職人が織り成すラブコメディになるかもしれない物語。
──クリスマスイブ。
クリスマスカップルだのなんだの世間は騒ぐが私は1人やさぐれていた。
売れ残ったクリスマスケーキが次の日半額近く値下がるように、サンタの飾りをつけたケーキがクリスマスの時だけ少し値上がりしているように。
結局のところ、価値とは他人が決めるもので、他人の似たような主観が100人集まれば客観になるのだ。
そんな哲学的なことを考えながら私はケーキの入った箱を2つ、勢いよくゴミ箱に投げ捨てた。
ごとん、と意外と重たい音が響く。中に入ったクマの形をした陶器の音だろう。
「心のこもった素人のケーキがプロの味に勝てるなら、パティシエもシェフも要らねえんだよ!バーカ!」
胸の中で煮えたぎっていた言葉を思い切りゴミ箱に向かって叫ぶ。予想以上に響いて家族が寝ていることを思い出して慌てて口を塞いだ。しばらくして少し奥から父親のいびきが聞こえてきてそっと胸を撫で下ろす。
見下ろすとケーキを入れていた箱がゴミ箱の中で見事にひしゃげていて、その中から可愛いクマの器に入ったティラミスが溢れているのを見て、2時間前のやり取りを思い出して改めて血の気が失せていくのを感じる。
『やっぱりさ、最後は心よ。クリスマスに心のこもったケーキって最高に美味いじゃん?』
クリスマスイブの夜、半同棲中の彼氏のマンションに帰ると、そんな言葉と頭の悪そうな甲高い笑い声が聞こえた。
ケーキ屋のクリスマスイブの夜。何度も言うが今日はケーキ屋のイブの夜だぞ。
1年の中の最大の繁忙期にネジ巻人形のようにキリキリ働く同僚の目に怯えながら、無理を言って少し早めに返してもらったとはいえ、やはり家に着く頃には22時をすぎていたのだ。
夜勤明けの休みだ、きっともう寝る準備をしてるだろうからと静かにドアを開け閉したのが幸いしたのか、それとも災いしたのか。
彼氏と甲高い声の主Aは、玄関で凍り付いていた私に気付かずに馬鹿みたいな声量で話を続ける。
あまりに腹が立ったのである程度は略すが、彼氏曰く。
私が。そこそこ大きな街のそこそこ人気なケーキ屋で働いていて、クリスマスイブという名の最大の繁忙期でクソ忙しいパティシエールの私が、彼氏のためだけに作ったケーキ。
それは実は職場の売れ残りだったらしい。
初耳だ。クリスマス当日はともかくイブに、売り残りそうになるケーキなんて貰えるわけねえだろうが。売り残りなんてねえわ。
元はと言えば付き合いたての頃に、【記念日を大切にしたい】、【どんなに忙しくても5分しか祝えなくてもお互いの誕生日や記念日は手作りのケーキで一緒に過ごそう】と言ったのは向こうなのだ。
甘ったるいのはダメ、生クリームもダメ、栗も苦手、洋酒の匂いは苦手、生のフルーツは味と食感がゾッとする。チョコもあまり好きでは無い。霞でも食っとけ。
好き嫌いが多いくせに手作り以外は愛がないとアホみたいなことを抜かすバカな彼氏のために、店のものを私的に使う訳にもいかず。
結局疲れた体にムチを打ってケーキを作るのは私だけ。
甲高い声の主Aこと、彼氏の妹も食べられるように無糖のココアとオレンジピールで作ったティラミスは店の商品並みのクオリティだったらしい。
遠回しに褒めてんのか。ありがとよ。無駄に女心出して可愛い器を買った意味が出たわ。
そんなアホなことを考えながら無遠慮に部屋に入る。
当然ながら、暖房の効きすぎたリビングの空気は凍りつく。テレビから流れる、最近注目されてるアイドルたちのクリスマスソングが場違いにキラキラしていた。一番星の生まれ変わりか良かったな。
恋人のようにベッタリと腕まで絡めて寄り添う兄妹の目の前には、一口も食べられずに置かれているティラミスと半分ほど食べ進められている5号サイズのショートケーキらしきもの。
甘ったるい、生クリーム、生の果物のスリーアウトだが心がこもってるからチェンジは無いのか。
そんなくだらないことを思いつつ、固まる2人を無視して、無言でキッチンからフォークを持ち出し、目の前でショートケーキに突き刺して食べてみる。
スポンジはキメが荒いせいでザラザラするし、シロップも染み込ませてないせいでパサついている。生地の質感からして多分配合も間違えているし、ベーキングパウダーも入っている。
いちごも切り方が不揃いでよく切れない包丁を使っているせいか舌触りがそんなに良くない。
『心がこもってたらプロより美味しいってマジで言ってる?これで?』
そして極めつけは、ケーキを覆う白いクリーム。これは生クリームではなくホイップクリームだ。馬鹿かお前は。
『お前の妹のさ、記念日潰しほんとウザかったけどもういいわ。このケーキもお前がダメなやつ全部入ってるけどそれでも気にならないんだろ?』
自分からクソ忙しい、本当にクソ忙しいこの時期にケーキと早退を私に強請っておいて、こうなったら声も出せない馬鹿2人を睨みつける。
『正直。いい大人のアンタと高校生の妹が、イブからクリスマスまで、泊まりがけで寄り添ってデートして。こうやって彼女のケーキをこき下ろしながらクリパしてんのゾッとするほど意味がわからないんだけどもういいよ。これも私食べるから、じゃあね』
クリスマス出勤のサービスに貰ったケーキの詰め合わせは2箱分。中途半端に空いていたところにティラミスを入れるとなんとジャストフィット。これが運命。不人気商品の押し売りだと思ってマジでごめんね店長。
後ろで可愛げがないだの、愛が足りないだの、構って欲しかっただの、嫉妬して欲しかっただの、お兄ちゃん1番大事なのはあたしでしょだの深夜に喚くバカ共に背を向けて私は鍵を2人に投げつけてから実家に帰った。ここまで2時間。
「私のケーキ、心こもってないとか馬鹿じゃねえの……」
手間をかけるよりも、心を込めろとあいつらは言いたいらしいが、心を込めてるからこそ手間をかけていることになんで気付かないんだ。
クソ忙しい、本当にクソ忙しいクリスマスの時期に馬鹿みたいに好き嫌いの多い2人のためにわざわざ好みを合わせてやったケーキを作ったのだ。
スポンジをわざわざ自宅で焼いたり、オレンジピールを家で作りながら家事をして、せっかくの冬休みだから遊園地に遊びに行くとほざいた2人のために小遣いまで渡していたのだ。
鬱々と、それはもう鬱々と落ち込む私の思考のお供は製氷機の氷のガラガラという落ちる音と元彼になった男からのしつこい連絡のスマホのバイブのみだった。
「あ、ケーキ……捨てなきゃ良かった」
捨てなければ父と母に食べて貰えるものも、捨ててしまえばただのゴミだ。ゴミ箱に投げ捨てられたケーキと、散々記念日を潰され、恋人らしいことも出来ずに作ったケーキをこき下ろされた自分が重なり余計に惨めになる。
今季1番の寒気がどうのこうのとテレビで言っていたせいか、床張りのキッチンは酷く寒い。
寒くて寒くて、でも自分の部屋に帰ることも億劫になった私はそのままキッチンに蹲って眠り込んでしまった。
──眠り込んだはずだった。
目が覚めるとサクラダファミリアにいた。
「神の御使いが目を覚ましたぞ!」
正確には素人が思うなんか大聖堂っぽいところに最後の晩餐のように知らんけど偉そうな人達が沢山集まってどよめいている。
「御使いよ、そなたに頼みたいことがあるのだ」
どよめきの中でいちばん偉そうなやつがドジョウ髭を弄りながらモゴモゴと話しかけてくる。
「我が国を守る女神への捧げ物になる菓子を作って欲しいのだ。ちなみに避けるべき材料はこちらにまとめてある」
偉そうなやつが近くの偉そうなやつから巻物を受け取り、ひとつずつ読み上げていく。バター、卵禁止、果物も禁止、クリーム禁止、できるだけ見た事のない異世界の料理を求めているが奇を衒い過ぎたものは禁止。以下省略。
どこかで聞いたことのあるような禁止リストに私は後先考えずに叫んだ。
「自分たちで作れこのスットコドッコイ!!!!!」