第八話 アクシデント
そうして翌日早速出発しようと早朝チェックアウトと会計をリシアが済ませてくれたのだが。
「出発の前に君の食事だ」
「いや、いや!ほんとお腹すいてないのでお気になさらず」
「君は僕を人殺しにしたいのか」
「うっ」
穀潰しである。
旅がどれほどかかるか分からないがいくら普通の人間に比べて安上がりでもこの調子では大分世話になりっぱなしになる。拘束時間は無く、自分でもお金になったりリシアにできることとは何があるのか。
「……」
周囲からヒントを得ようと周りを見渡す。上を見上げれば雀に似た鳥が羽ばたいていた。それは街灯に下がる旗に止まってぴちりぴちりと可愛らしい鳴き声をあげている。
「…」
どれだけ鳥を見つめたとて彼等は首を傾げるだけだ。
そう易々と思いついたら人は苦労しないのである。
「パンだ…」
「ああ、美味いな」
「めちゃくちゃ美味しいパンだ……!」
早朝の街は夜の雰囲気とは全く印象が違かった。
澄んだ空気は水色の空の色を透かしていて太陽は見えないのにどこにも暗がりが無いほどに明るかった。
朝にやってる店は少なく、唯一開いていたご飯を買えるお店が快活なご婦人の営んでいたパン屋であった。とてつもなく良い匂いを放つ紙袋を携えて、傍にあったベンチで二人で座って早速いただいている。
リシアも必要のない筈だが一緒に食事をとってくれている。申し訳なくもあるがひとりで食べるのは気まずいので正直ありがたかった。
何より誰かと食べるともっと美味しいのだ。
ふっくらとしてもっちりと。焼きたての表面は柔らかくありながら、歯を立てればぱりっと音を立てた。こんなの向こうでも食べたことない。
涼しい風が頬を撫でるので意識して胸いっぱいに空気を取り込めば鼻腔に小麦と朝が広がって何にも代え難い至福の時間を得る。
麓の街アセンドラ。
誰も登ることの出来ない大きな山を一番近くで見れる観光地として時期が変わればとても賑やかになるそうだ。
灰色の壁をした洋風な建物はそれよりも薄い色のとんがり帽子のような屋根を被っている。
大きな石畳の通りに点在する建物によく似たシルエットの街灯は、夜の印象的な暖色は消えて、その下に垂れ下がった紫色の旗に目が行った。
そこには金で牛の模様が描かれている。
「あれ?そういえば賢者と塔を目指しているんだよね?」
「そうだ」
「…なんで都に向かってるんだっけ」
「すまない、説明し損ねた」
塔の名前をバベルという。
この世界で封じられた魔法。その方法、知識の記された禁書、或いは魔法そのものが眠るそうだ。無論一般人立ち入り禁止である。
その重要性からバベルはこの世界のどの組織にも属さず、しかし権利を分割しているらしい。
「バベルは大都市全てからの許可が降りれば立ち入りを許される」
「その許可ってそんな簡単なものなの…?」
「簡単では無い。ただ悪用しない人物である証明や確たる実績があればこの世界を発展させるものとしてその知識は拓かれる」
「悪用しない証明…確たる実績……」
「前者は言わば人望だ。後者は逆らうもの全てねじ伏せれるほどの力があれば構わないとされている」
「そんなのいいの?!」
急に脳筋で驚いた。
前者は向こうで言う、取り扱い注意のものでも扱っていいと許可される国家資格がある。危険物取扱者だ。
可燃物や爆発物、石油にガソリンに薬品。それらは人々の暮らしに大貢献しているため持ってたら凄い、でもとるのはめちゃくちゃ難しい。そんな有名な資格だ。
なのに力があればいいとは一体。
「この世界は争わない。力あるものには皆降伏する」
頭が混乱する。
「……つまり、戦争とか無いの?」
「ああ、残念ながら小さな争いは各地で起こっているだろう。しかし世界を巻き込み多くの無辜の犠牲が起こり得る場合は」
リシアは食べかけのシュガートーストを左手に、右手で空を指差した。
「ふぇんほうははへんはふはふはふ」
「なんて?」
「…、失礼」
ゴクリと飲み込んで肩にかけていたポシェットから水筒とコップを取り出すと、リシアと俺の分の紅茶も入れてくれた。澄んだ空気に溶けていく湯気をつい目で追いかける。この香りは恐らく昨日飲んだものと一緒だ。
「ありがとう」
「ああ、続きだが」
天上から天罰が下る。
それは月の島、第一都市アリエスから落とされる雷のことである。
各都市には教会が設置されており、聖職者からの監視が行われている。
もし戦争が起こる気配があれば一度目に忠告、二度目に警告、三度目に制裁の大きく被害が出る様な雷が落ちるらしい。
力の魔法、何より地の利においてどの都市も月の島には敵わないのだそうだ。
その分強国としての抑止力であり、決して他の国を支配することなく秩序を保つ。そんな不可侵の掟を体現した都市国家。
「焦らずともいずれ行かねばならない場所だ。楽しみにしているといい」
「今の話聞いてあんまり行きたいとは思わないかな」
「同感だ」
パンの最後の一欠片まで味わって紅茶を飲み干す。たった一つ食べた程度であったがこれで物足りなくならないのだから本当に便利な体である。
買った時にご婦人からの「男の子がそのくらいじゃ大きくならないわよ!」といった心遣いに曖昧な返事をしてしまう心苦しさはあるが。
片付けをしてベンチから立ち上がりスタスタと歩けばリシアは右手をぐっと握り、ぱっと開けば弾けるように箒が現れた。急に手からステッキが現れるマジックみたいだ。
「それじゃあ行こ」
「デイジーっ!!っああ、こんなところにいたのねデイジー!!」
途端、曲がり角から走ってきた女性がバッとリシアに抱きついた。女性は後ろにひとつにまとめてある髪がぼさぼさになって緩んでいる。
「……あ」
昨日の夕方に見掛けた玩具屋の前に居た母親の女性だ。
「ああ…デイジー……どうして……もう、もう心配したんだからっ……!」
強く抱き止められたままのリシアと目が合う。
どうしようと顔に出ていた。どうやら人違いの様だ。