第七話 旅の行き先
夢だと思っていたら迷い込んだのは科学の代わりに魔法のある別世界でした。
そんな兎を追いかけたつもりも無い草原で出会ったのは白い髪と銀の瞳を持った魔法を自在に操る人形の様な美貌をした中性的な少女、魔法使いリシア。
蝶の姿をしていた俺はリシアのかけた言葉を与える魔法により、人の形へと姿を変えた。
しかしこのままだと俺は夢から覚めることが出来ずに死んでしまうらしい。
せめてこの世界では死なないようにとリシアと俺は命を繋いだが、その効力のためにはお互いが離れてはいけないとか。
そして俺達はいち早く目覚める為の旅に出たのだが。
「そんなに科学が好きなんだ…」
「ああ、この世界のファンタジーとは主に科学を指している」
「サイエンスフィクションファンタジーだ」
「やめてくれその言葉は心が踊る」
リシアは両手で顔を覆う。彼女は科学という言葉の出た瞬間今日一の大声を出した。
今は龍の肋骨で出来たという山の麓のレトロでお洒落な街。
そこにある全国展開らしい大型チェーンホテルミューズの一部屋にいた。主な移動は明日で一晩はここで過ごすそうだ。
ミューズの象徴たる水で出来たクラゲの照明はロビーや廊下だけでなく部屋の中にもあり、ロビーのものよりは小さいがツインベッドをしっかり月明かり色に染めている。
時折ゆらりと揺れていて、飽きずに見つめていられそうだ。ふっと赤ちゃん用モビールが脳裏に過ぎる。あれはこんな感じなんだろうか。
「この世界で蝶は遥か遠く果ての世界から来た旅人とされている。彼等を守護すれば我々に祝福をもたらし、また彼等を害すれば災難に遭う」
「最初に聞いたやつだ」
「果ての世界とはあやふやだ。こことよく似て異なる歴史を辿った世界とか」
「パラレルワールド…」
リシアはツインベッドの間にあるクラゲ照明の浮いたサイドテーブルへと手をぐぐっと伸ばす。置いてあったポシェットを漁ると一冊の本を取り出した。紺色の装丁が施された分厚い本だ。
「これは僕の愛読書だ」
「どんな本?」
「科学の世界を書いた本だ。この著者、ユリシス先生はそういったファンタジーの本を多く出す。素晴らしい。最高。神だ」
純真な瞳で真っ直ぐ語る姿は少年ぽいが、語彙がオタクである。
「そのうち一冊では科学の世界は果ての世界と同一だと描かれ、この世界の蝶はそこで生きた記憶があるのだと記されていた」
どこかで聞いたような話だ。リシアはパラパラとページを捲るとぱたんと本を閉じる。どこか満足気な顔をしていた。
「この作品はフィクションだ。物語だ。…だが期待してしまったんだ、その世界の住人と話ができるのではないかと」
なるほど、経緯がなんとなくわかってきた。そして彼女が過度な程に罪悪感を抱えた理由も。
「僕は面白半分の実験で人を殺しかけている」
「そんなに気にしなくていいのよ…」
まるで躁鬱の様にさめざめと土下座の姿勢を取り出す彼女をどうすることも出来ずに声をかける。
「というか魔法で全く同じようなこと出来てない?」
「それとこれとはロマンが違うんだ!!!」
「あそう…」
シーツに顔を埋めているのでこもった声で反論される。地雷というやつか。とりあえず違う話をしようとそこにあった枕を頬杖のための肘置きとする。
そういえばまだこの旅の目的を聞いていなかった。今からどこへ向かい、何故そこに行くのか。
「俺達はどこへ向かってるの?都?だっけ」
「ああ、僕の家からは箒で三日程かかる。…飛ばせばもっとすぐなのだが都市や街の上空での違法な飛行は捕まってしまうからな。とりあえず山を越えて一晩はここで過ごす」
「なんで都を目指してるの?」
「正確には賢者と塔を目指している」
賢者、なんてファンタジーだ。
「賢者っていうのは…あの何でも知っている感じの」
「ああ、この世界で最も聡く思慮深い」
「どんな人なの?」
「……分からない」
「え」
曰く賢者についてなんの情報も漏らしてはいけないと魔法で約束した上で対価と引き換えに欲しい情報を与えてくれるそうなのだ。しかも魔法なので絶対に人に話せない。
「じゃあ賢者の会い方とかって」
「賢者の棲む場所は分かっている。会い方もそこを訪れるだけだ」
「何でも知ってる人ってとんでもなく会うの難しいんじゃ…」
「そこは情報収集だな」
「リシアは会ったことがないの?」
「会ったことがない……どころか自分には関係の無い話と切り捨ててきた。僕は賢者について一般人よりも情報が無い」
リシアは少し暴れたせいでくしゃっとしたシーツの上に胡座をかいて話している。自信が無いのか片膝に頬杖をついて何も無いところを見つめていた。
俺も反対側のベッドに腰掛けながら片手をついてクラゲ照明を見上げる。
リシアの家は信じられないくらい深くて明るい谷底の草原にあった。その周りには全く何も無くて、彼女の体質なら恐らく家から出る必要はあまり無いのだろう。
今日の様に出かけたりすれば話は変わるが。
ちなみに魔法使いの体質とやらは、食べなければ老廃物もほとんど無いそうだが、それでも外に出れば汚れるしお風呂にはちゃんと入るそうだ。血も涙も巡りがずっと遅いだけであるらしい。
実際俺は自分の体温をよく感じている。少し不本意だが。
向こうで人だからか俺はリシアより燃費が悪いらしい。普通の人間よりはずっと良いが。それはどのくらいか分からないので最低一日一回は何でも良いから食べるようにも言われた。
「どうやって気付いたの?」
「君を僕に繋いだからな。感覚的に伝わってくる」
「食べたら太らない?」
「食べ過ぎればな。その時は運動あるのみだ」
別世界でもそこはシビアらしい。今まで特に気をつけずとも標準体型だったが、これからは気をつけることにした。
ちなみにお腹は今の所全く空いていない。むしろ紅茶でお腹がいっぱいな位である。まるで中世のお貴族様だ。
話を戻そう。
「賢者にはここでの君の寿命を聞きに行く。出来れば帰す方法も。だが後者はそこまで期待していない。そちらの本懐は塔だ」
「塔」
「禁忌とされる魔法、方法や知識が記された本。つまり禁書が塔にはある。力足らずで申し訳ないが僕だけでは君の魔法をすぐには解けない」
「すぐにはって、もしかしてできるの?」
「ああ。例え話をしよう」
リシアは人差し指で宙をなぞるようにするとそこに杖が現れ、それを握る。弾くように振ると同時にぽよんと野球ボールほどのシャボン玉、いや水の玉が現れた。
「たとえばここに一滴のインクを垂らそう」
ポタリと広がる藍色のインクはマーブル模様に拡散した。それはじっくりと混ざりやがて薄く色の着いた水の玉が出来上がる。
「水は君の記憶、インクは僕の与えた言葉だ。この状態から水をそのままにインクだけを取り出すことはとても難しい。君だったらどうする?」
無理では。
「元の水になればいいんだよね?…うーん…濾過したりとかがいいのかな。あとは煮詰めて水蒸気が集まるようにするとか…」
「良い筋だ。その他にも一見透明に戻すだけなら新しい何かを加えるのもアリとしよう。だがしかし」
みるみるうちに水の玉は膨れ上がってそのまま床にバシャリと落ちた。一瞬焦るが、ベッドにまではねた水滴はシーツの上を転がり落ちていく。絨毯、壁。この部屋全てが撥水性抜群みたいな光景だ。
落ちた水はベッドの高さまで部屋を満たし、俺達はまるで海面に浮くイカダに乗っているような形になった。
リシアはベッドから身を乗り出し水面に杖の先を触れさせると広がる様に波が起きた。波同士が重なっては水滴が跳ね、壁に当たっては打ち返されていく。
「海に一滴のインクを垂らしたとしよう。僕らの体で、ここよりもずっと広い海からだ」
「…無理じゃない?」
「……ああ、だから僕は君にとんでもないことをしたんだ」
リシアが片手を振り落とす様にすると水はサイドテーブルと天井に収束していってそれはクラゲの形をとった。
「やってやれない事はない。だが途方もない時間を必要とする。塔に方法がなければそれをするしか無いな」
「ちなみにどうやるの?」
「僕が君の記憶を全て一から体験する。そうして混ざってしまった必要のない記憶を少しづつ取り除いていく。ヨウの年齢は?」
「十六歳」
「なら少なく見積って三十二年、君と僕は眠り続ける」
二倍の年月である。
「…ここに三十二年も居たら向こうでどうなってるんだろう」
「ああ、それが分からないからまずは賢者に会いに行く」
賢者はこの世界で全知であるから。
明透です せっかく書き溜めたのにも関わらず一日で放出しました。サイトに不慣れが過ぎます、愚かですね。 愚かなので応援やご感想いただけたらまたホイホイ大放出する気がしてなりません。よろしくお願い致します これは、媚びです。