第十三話 白黒のボーダーコリー
そうして日は暮れついには譲渡会が撤収する頃になった。
「あったんだ車」
「そういえば今日は全然見かけなかったな」
「ええ、交通規制が敷かれてたんです。景観を撮影するために定期的にあるんですよ」
この街が綺麗で統一感に溢れていたのはそれだけ観光のために力を入れていたということだった。
通りにはどこかで聞いたようなエンジン音が聞こえた。三台の大きな乗り物が広い通りの向こうから噴水広場へと向かってくる。
パッと見大型トラックに見えるそれらは車輪の代わりか四角い箱の上の四隅に小さな羽がついていた。
トラックは紫色のベルベットの布がかけられている荷台となる大きな箱と、フロントガラスのついた運転席らしい小さな箱で二つに分かれている。
運転席の箱にはサイドミラーとその上に二対の羽が横についていた。
「リシア、あれも魔法で動いてるの?」
「勿論だ。正確には魔法を利用した工作、仕組みによって動く運転者の魔力を使わない一種の道具だ」
仕組みとはエンジンやモーターのことだろうか。
「すごい、そんなの科学じゃん」
「そうだろう!!!!!!!!!」
「うわ声でか」
うっかり溢れた言葉に俺は適当に笑って、リシアはこほんと咳払いをして誤魔化す。メイスさんは帽子の影で目をぱちくりさせていた。
帽子といえばリシアは、メイスさんに名乗る時に大きなとんがり帽子を被って優秀な魔法使いと名乗った。そしてメイスさんは一瞬で信じた。
その帽子は衛兵と話した後にすぐしまっていたが、例えば弁護士のピンバッジ、警察の手帳。権限を持つ仕事には証明がついてくる。
この世界の魔法使いとは、リシアは一体何者なのだろう。
夕暮れのアセンドラがセピア色に染まる。
ここで育った訳でもなければ街が地元の景色と似ている訳でもない。それなのに夕方が寂しくなる。鮮やかな橙はいつかの思い出を揺さぶるのだろうか。
噴水広場まで到着した車は荷台の後ろについた扉を開ける。
関係者はテントの中からキャリーケースを取り出して地面に置くと、犬は一匹ずつ自ずとそこへ入っていった。
そのキャリーケースの積まれた魔法のトラックは一台、また一台と出発していく。それは順序良く進んでいた。
流石はエリート達である。
しかし最後の一匹になったところでそれは滞った。
先程の白黒のボーダーコリーである。
ボーダーコリーは柵越しに俺たちの傍でおすわりをしている。車が着いてからメイスさんへ優しく一度吠えると、そのままずっと待つように座っていた。
その視線は確かにキャリーケースへと向いているが、中へ入らずしっぽを振るのみで、関係者は首を傾げると一度放っておくことにしたのかテントから違うキャリーケースを取り出した。
その中では茶髪の少女が丸くなって眠っている。
「えっ?!?!」
瞬きをする。するとそこには小さめのラフコリーが丸まって眠っている。
しかしその犬の姿はぶれ、また少女の姿に、ラフコリーの姿にと重なって見えた。
間違いない。
「リシア!!あの子だ!!!」
「!分かった」
リシアは袖から杖を取りだし、杖先に光の粒子を集めるとそこへと飛ばすように振る。
放たれた光は煌めきを散らしながら関係者の持つキャリーケースへと届き弾けた。
その瞬間、ラフコリーの重なりは消えて少女の姿のみになった。
「デイジー!!!」
キャリーケースを持っていた関係者は状況がわからないといったふうに慌てながら、訝しんでキャリーケースの中を覗いて驚いた。
そして長いワンピースの裾を持ち上げて柵を飛び越えて駆け寄るメイスさんに、急いで上にもついている蓋を開けて少女を抱き上げる。
メイスさんは確かめるように片手を少女の頬へ当てると、張り詰めたガラスが崩れるような声を上げた。
「っデイジー!!ああっ!生きてる、生きてるわデイジー……っ!!!」
関係者はメイスさんにそっとデイジーさんを預けて他の関係者に怪しい人物は居ないか、他に子供は紛れていないか指示を出す。ざわめき立つ関係者はそれぞれ動き出した。
先程魔法を放ったリシアの元へとその関係者が駆けて事情を聞きに来て、リシアはポシェットから帽子を取りだして被った。
俺はそばに居たボーダーコリーを撫でようとした、その向こう。
三台目のトラックの荷台の扉が誰も居ないのにも関わらず静かに閉じた。
「…!ねえ、あそこ誰かいる?!」
「ッヴァン!ヴーッ、ヴォン!!」
ボーダーコリーは駆け出した。
しかしトラックはエンジン音を出して動き出し、羽がゆるりと羽ばたく。ぐるりと荷台を振り回すように旋回すると柵を弾いて木っ端微塵にして速度を上げて、周囲の人などお構い無しに通りへと向かおうとした。
噴水広場にはバキバキと木が折れる音とまだ残っている家族連れや住民の悲鳴が響く。
衛兵は転んで怪我をした子供や破片が突き刺さったのか腕から血を流す男性の元へと駆け処置をしていた。
誰も止められるものが居ない。
すると車の前へとボーダーコリーが飛び出した。
「危ない!!!」
しかしボーダーコリーはその場で逃げる様子はなく、四つの足で地面を踏みしめ遠吠えをした。
その瞬間噴水の水が勢いよく宙へと流れ、トラックの前面へとバシャリと飛びつくように水の玉となって道を塞ぐ。
「その手があったか!」
振り向けばリシアは片手で帽子を元の大きさよりもずっと大きく広げて、その後ろの人達を庇っていた。もう片手の杖をぐっと握りしめて力を込めるように水平にしている。
その手は強く力を込めているのか震えている。
しかしトラックはぎこちなくも水の玉を通り抜け、大きな体を押し出すようにゆっくり進んでいる。
「…くっ、あと一手が足りない!」
「あと一手…!!」
俺は急いでお飾りと化していた肩掛け鞄を開く。そして白みがかった水色の瓶を取り出した。それは持った瞬間常温の瓶よりもすっと冷たい。
きっとこれだ。
的は大きい。リシアは地面でもいいと言っていた。
夕日へと向かう真っ黒な四角い陰へと瓶が割れるように思いっきり振りかぶって投げる。
「とりゃあっ!」
瓶はぐるんと一回転をして放物線を描き、時に光を反射しながら荷台の背へと向かう。
しかしベルベットが邪魔をしたのかゴンと鈍い音を立て、その背へと乗ってしまった。
「そんなっ!」
「いや、十分だ。おい!お前なら出来るんだろう!!」
その声はトラック、その向こうへとかけられる。
ここからは荷台の背と水の玉で見えないが、そこには頼もしい仲間が居る筈だ。
返事の代わりにもう一度遠吠えが響いた。
水の玉はスライムの様に形を変えトラックの全体へとまとわりつく。
しかし同時に自由を取り戻したトラックが動き出したその時。
「凍れ」
リシアは頭上へと持ち上げた杖先をトラックへと真っ直ぐに振り落とした。
それは刹那だった。
ぶわりと吹き飛ばすような突風が空気を揺らし、パリンとガラスが砕けた音がした。
その時には既に肌が冷気を感じていた。
杖先の下、地面には放射状へと霜柱が立っていて、それはトラックへと近づくにつれ大きくなる。
その先には夕焼けを一身に受ける、トラックの氷像が出来ていた。




