第十二話 譲渡会
「譲渡会、それも犬の使い魔のな」
「犬の…」
使い魔。それは魔法を使う人々の良き隣人であり、一生を共にする相棒である。そして絶対的な従者。
使い魔の種族に限りは無くどんな生き物でも使い魔とすることができるが、それはその個体に使い魔の資格が無ければいけない。
使い魔の素質とは魔力を持つか否かだ。
「使い魔の資格とは基本的に天性のものだ。稀に後天的に目覚めるものも居るがな。使い魔と主とは運命共同体だが、どちらかが置いていかれることも多い。そして一度人と暮らした使い魔は賢く、優秀で、有能だ」
不慮の事故で魔法使いを失った使い魔や、生まれてから長く相棒を持たない使い魔。そして捨てられた使い魔。
この世界には使い魔の素質を持たず家族として飼われる犬、つまりペットもいるがそれと似た位置付けらしい。
例えるなら牧羊犬だろうか。
柔らかな色をした木でできた柵の前で二人で中を見ていれば小さなトイプードルがこちらへかけてきた。それの後に続くように真ん丸な毛玉、基ポメラニアンが走って柵へぶつかりぽて、とひっくり返る。
「可愛い…」
とても可愛い。本当に可愛い。俺は犬派なのだ。ちなみに日本犬が一番好きである。
「こうして見るとただの犬みたいに見えるね」
「それでも実力は確かだ。なにせ都市の実施する譲渡会に参加している程だからな」
「エリートってわけだ」
「ああ…最悪の事態というわけだ……」
噴水の水を飲もうとするマルチーズや跳ねた水を口に含もうとするパグに、吹き出す水に威嚇するような低姿勢ではしゃぐビーグル。みんなしっぽがブンブンしてる。柵の中で犬と戯れている人や、子供と遊ぶゴールデンレトリバーの様子を見ながら譲渡会の関係者と話す大人。
柵の入口の傍には大きめのテントがあって関係者が配置されている。置かれた机では手続きを、入口では触れ合いの案内をしていた。
柵の近くではまた別の関係者が男性と話していて、会話の内容が少し聞こえてくる。
それは恐らく男性の抱き抱えているチワワの経歴について話していて、切ないそれを聞いた男性は穏やかに頷きながら『絶対にお迎えする』といった意志を瞳に宿していた。
暖かな日差しの中で小さな優しさと幸福が紡がれている。
しかし打って変わって隣の魔法使いは頭を抱えていた。
曰く都市によって行われている行事に魔法を使用するのは国家転覆行為、つまりテロとして連行案件だそうだ。確かに怪しい。
事情を話して現場の証拠を見せても『誰かが少女を連れ去った』という証拠はなく、それもまたテロのための工作として扱われてしまう。怪しげな人物として譲渡会が終わるまでやんわりと引き止められ後ほど詳しく捜査コースだそうだ。
「もしかして前例でもある?」
「ああ、だからこそ衛兵が配置されている。譲渡会は珍しいことでは無いが彼等が魔力を持つ分いざという時大事になってしまう。譲渡会を行わないというのも大事になってしまうがな」
「大事?」
「我々に尽くす使い魔を蔑ろにするのかと、一部から少なくとも声明活動。大きくて国家転覆だな」
「デモにテロかあ」
今更だがこの世界は国のことを都市と呼ぶらしい。
すると今度はボーダーコリーが柵まで駆け寄ってくる。
下を向いて眉をしかめているリシアの前でウロウロするとウォン!とひとつ鳴く。それに気づいたリシアが顔を上げるとボーダーコリーはくるくるとその場を回る。
そして後ろ足で立ちながら前足で柵をたしたしと叩いていて健気な瞳でリシアを見つめてもう一度ウォン!と鳴いた。
慰めてくれているのだろう、堪えきれないというふうに笑ったリシアが片手を伸ばして頭を撫でるとボーダーコリーはニッコリと笑った。ような顔をしている。
そしてその顔のまま俺の方を見るので、両手でわしゃわしゃと撫でてやるとまた嬉しそうに鳴いてしっぽを振る。
ああもう本当に可愛い。
「仕方がない。犬は可愛いからな」
「これは過激にもなるよ」
動物についてはいつも人の価値観が問われるものだ。
そうしている内に連絡をしておいたメイスさんが噴水の反対側から会場についた。
もし犯人が居た場合に怪しまれないようにと伝えた通り、ベージュの春物のコートといったフォーマルな服装とは印象の違う爽やかな水色のカーディガンを着てゆったりとした白のワンピース、そしてキャスケットを目深に被っている。
俺も一見分からなかったがリシアが来た、と教えてくれたおかげで気付いた。そして手を振る。
しかしメイスさんは噴水と柵を挟んだ多少の距離はあれど、真正面に居る俺たちを探すように周囲を見渡している。
「あれ、気付いてない?」
「しまった」
リシアは軽く握った右手を少々乱暴に振りかざすとそこにぽん、と箒が現れる。そして跨り俺も乗せると、跳ねた。
いや、いつもの様に浮き上がっただけだが、一瞬で噴水広場も街並みもとんがり屋根も、果ては雲さえも下に置き去っていくのはまるで大きなトランポリンで飛び上がったか、瞬間移動の様だろう。
声も出ぬ間に世界が変わって目が白黒する感覚がした。
「魔法を解くのを忘れていた」
「あー……あれ、でもさっきの犬たちは気付いてたよね?」
「それが犬の使い魔の専売特許だからな。彼等の鼻は不可視の魔法じゃごまかせない」
「なるほど」
リシアはぱちんと指を鳴らすと俺たちから小さな煌めきが弾ける。
と思えば途端に周囲の景色が縦に伸びた。それは徐々に地面へ近づきトン、と地面に足元が着く。
夢の中で落下を経験したことはあるだろうか。まんまそれである。
「…!お二人ともそちらにいらしたのね」
「すまない、内容は伝えた通りだ……ヨウ?」
「うん…酔いそう……」
「はっ」
リシアはしまったという顔をして箒を背にしまうように消した。絶叫は苦手というわけでも三半規管が弱い訳でもないが、今のはちょっと別だ。素早く動くゲーム画面みたいな映像に、脳が処理に困っている。
あの速さが憧れるなんて言ったのは誰だ、生意気なことを言わないで欲しい。
とはいえ揺れのなかったそれにすぐ持ち直し、小声で話しかける。
「どうですか?メイスさんから見てこの中にそれっぽい子は」
「…………悔しいですが、わかりません」
「どうか気を落とすな。そもそもいるもいないかも確証がない」
「リシア、デイジーちゃんの方から見つけてもらうことは出来ないのかな」
「…恐らく可能なはずだ」
しかし柵の中に入って犬と戯れようと、噴水をぐるりと回ろうとそれらしき反応を示す犬は居なかった。
段々と日は頭の真上を通り過ぎていく。俺達は柵を出てまた小さく話した。
「足跡の大きさ的に中型か小型っぽいんだけど…」
「そして魔法の性質上人間の時と同じ毛色をしている」
「……多いですね」
デイジーさんはメイスさんと同じ茶髪だそうだ。飴色の犬はもう片手の指いっぱいには見た。
胸の底がざわめく。こうしている間にもデイジーさんがどこか遠い場所に移動していたらという不安と、犬たちの愛らしさで思考が嫌に綯い交ぜになっている。
「っ、やっぱり私街の外も探してきます。もう人の姿に戻っているか、怪しい人物を見た人が居るかもしれません」
「ああ、僕もここに居ては魔法が使えない。そちらに同行しよう」
「じゃあ俺も行」
くい、と服が柵に引っ張られる。先程のボーダーコリーがローブの裾を柵の隙から前足で引っ掛けている。
一瞬デイジーさんかと期待したがそのボーダーコリーの毛色は白黒だ。
「あの、俺達そろそろ行かなきゃいけなくて」
「ウォン!ウォッフ!」
「えっと、離してほしいかも…」
「ヴォン!」
「………どうしようリシア」
リシアは俺とボーダーコリーを見て、少し考える。
「ご婦人…いや、メイス殿。やはりもう少しここに居よう」
「でも、こうしている間にもデイジーは!」
「彼等は使い魔だ。…そして僕達は優柔不断で決心のつかない譲渡会の参加者だ。きっと最後まで選べないかもしれないな」
リシアは肩を落として片目を瞑り溜息をつく。そしてアイコンタクトを受けたメイスさんは深呼吸をして頷いた。
俺もしゃがんでボーダーコリーを撫でて「まだ居るよ」とローブを離してもらった。




