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6.事の顛末

一方そのころ王都では、王女の住まいを移してよいという確約をもぎとったクラウスが久しぶりに屋敷へと帰宅していた。

「おかえりなさいませ」

いつものように執事長がクラウスを出迎える。使用人に気づかれないようこっそりと周囲を見渡すがイリーナの姿はない。それもそのはず、彼女が出迎えをしてくれたのはあのとき一回きりだ。

しかし、今日はすぐにでも会いたい。王女の住まいが決まったことを一刻も早くイリーナに伝えたかった。それなのに、

「いないってどういうことだ?」

「イリーナ様は領地へ向かわれたきり、お戻りになっておりません」

クラウスは思わず険しい顔になる。

「王女の命令か?」

「いいえ、領地でちょっとした訴訟がおきまして、イリーナ様が現地の様子を確認したいとおっしゃられまして」

それは普通のことだ、そういうことも含めての次期公爵夫人なのだから、それ自体はおかしなことではない。

「だからといって帰ってこない理由にはならない」

「領地のことを学びたいと各地を視察して回っておられるようです。そうおっしゃられたら、わたくしども使用人にはお止めすることは難しく」

明朗闊達な執事長が珍しく口ごもりながら続きを語った。

「最初からこちらにはお戻りにならないつもりだったようです。専属のメイドらに確認しましたが貴重品も持ってお出かけになられたそうですから」

気づかずに申し訳ありませんでした、と執事長は頭を下げたが、クラウスには彼をなじることはできなかった。そもそも王女と同じ屋敷に住まわせたのはクラウスだ。それを嫌って彼女が出ていったとしても文句を言うことはできない。

クラウスはため息交じりに言った。

「わたしのミスだ、気にしないでくれ。それより、王女の移送が決まった。ヤツが出て行ったら部屋の改装だ」

「イリーナ様とご結婚される前に改装済みですが」

その言葉にクラウスは心底嫌そうな顔をした。

「イリーナが使う前に王女が使ってしまったんだ。そんな部屋を彼女に与えるなんてできない」

費用は私費から出す、手配をしてくれ、と言い、クラウスは王女と対決すべく彼女が居座っている女主人の部屋へと向かった。



その翌日には王女の母国からの迎えが来て、彼女は無事、クラウスの屋敷から出て行った。

王女には別の国からの縁談が来ていたのだ、しかしそれを嫌った王女が勝手に国を抜け出し、クラウスの屋敷に転がり込んでいたというのが真相だった。

彼女がクラウスを見初めたというのは本当の話だ。しかし彼にはイリーナという婚約者がいたし、内々に王女に縁談が来ているという話を王太子から聞いていたから、常識の範囲内での対応にとどめていた。

それなのに、王女は勝手に婚約話をでっちあげ、クラウスを追いかけてきたのだ。

王女に甘い彼女の父、つまり国王はクラウスとの結婚を認めようとしていた。それを知ったシヴォス公爵は急いでクラウスとイリーナを結婚させてしまったのだ。

貴族社会において、死別の結果、新たな婚姻を結ぶことはあったとしても離縁はまずありえない。万一、クラウスの二人目の妻になりたいと言っても、家格がどうであろうと、あくまで最初に結婚した女性が第一夫人となり、王女はイリーナの下ということになる。

伯爵令嬢のイリーナの下に王族である娘を置くことはさすがの国王でも渋った。それでも王女は頑なにクラウスにこだわった。

王女が本当にクラウスを想っていたのか、単に縁談から逃げるための口実だったのか、今となってはわからない。

クラウスの左頬に残された平手打ちの痕をみて、王女の異母兄弟である王太子は遠慮なく笑っている。

「我が妹の非礼を詫びよう」

「大笑いのあとでそれを言われても、説得力がありません」

クラウスは王太子に呆れた顔を見せている。

彼は王女がこれ以上の暴走をしないよう、お目付け役としてクラウスとイリーナの結婚式以降、国に滞在していたのだ。先日、無事、王女が嫁ぎ先に入ったと報告があった為、彼もようやく愛する妻のもとへと帰ることができる。

「イリーナ夫人はまだ帰っていないとか?」

「誰かさんがイリーナのために用意した部屋で好き勝手してくださったのでね。改装が終わってから一緒に戻ってきますよ」

「それは悪いことをした、費用は全額、俺が持とう」

「迷惑料込みで十倍の請求書を用意させていただきます」

クラウスの辛辣な物言いにも王太子は笑っている。このふたりの友情は本物で、親友と呼び合うにふさわしい関係であった。

「わたしはそろそろ行きます」

クラウスが立ち上がり、王太子もそれに続いた。

「俺もやっと国に帰れる。なんとか出産に間に合ってよかったよ」

王太子は明日、出国するのだ。

「子が産まれたら是非、イリーナ夫人と会いに来てくれ」

「そのためには彼女に許してもらわないといけません」

クラウスのため息に王太子は笑った。

「大丈夫、きっとうまくいくさ」





領地の屋敷の一室、イリーナの仕事部屋には今日もいい風が入ってくる。

誰もいない部屋で静かに仕事をしていると、馬車の音がした。今日は来客の予定はなかったはずだが、誰だろうと思い、間もなく報告に来るであろう使用人を待った。

やがて部屋のドアがノックされる。

イリーナは、どうぞ、と入室を許可したが、その人物を見て仰天した。

「クラウス様、どうしてここに」

「君を迎えに来たんだ」

その言葉にイリーナはわかりやすく顔色を変えた。

王女の住まうあの屋敷での暮らしはもうごめんだ。仕事部屋と私室だけがイリーナに許された居住範囲だった。ここでは自由にできる。庭を散歩しても、領地を視察しても、誰にも遠慮しなくていい。

やっと手に入れた安穏が壊されようとしていることにイリーナは愕然とし、色をなくした彼女に慌てたのはクラウスだった。

「イリーナ、落ち着いて。大丈夫、王女はもういないから」

「いないって、住まいを移されたのですか?」

「他国へと嫁いでいったよ」

「嫁ぐ?」

クラウスの言っている意味が理解できない。王女は彼と婚約中でいずれ第一夫人となるのではなかったのか。

考えの追い付かないイリーナはただただ驚くことしかできなかった。




クラウスの話を聞き終わって、イリーナは大きくため息をついた。

急かされた挙式の裏にそんなことがあったとは知らなかった。すべての原因はイリーナだ。クラウスとの挙式が決められてしまったことへの絶望から、両親とは一切、顔を合わせなかった。

少なくともマルティ伯爵はある程度、把握していたはずだ。そのうえでシヴォス公爵の申し出を受け入れ、挙式に承諾したのだろう。それをイリーナが、自分は第二夫人にさせられるのだと勝手に思い込んだ。

悲劇のヒロインを気取っていたことが恥ずかしい。

今思うと、披露宴の来賓は、第二夫人のそれには相応しくない錚々たるメンバーだった。それに第一夫人より先に第二夫人が式をあげ、さらにはその存在を大々的に披露するなどありえない。普通に考えたら先に婚姻をしたイリーナが第一夫人だし、そもそも今はまだ次期公爵というだけのクラウスに夫人はふたりも必要ない。

勘違いに気付ける要素はそこかしこにあったのに、イリーナはひとりで思いつめ、勝手に落ち込んでいたのだ。


「わたくし、てっきり第二夫人になるのだと思い込んでしまって」

羞恥から赤らんだ頬を隠すように手を当てるイリーナにクラウスは思わず叫んだ。

「君が第二夫人だなんて、冗談じゃない!」

思った以上に大声になってしまったことにクラウス自身も驚いたようで慌てて謝罪を口にしたが、イリーナはそっと微笑んだ。

「いいえ、わたくしこそ、なにもお伝えしなかったのですから」

「いや、わたしの責任だ。自分が第二夫人だと思っていた君なら黙って耐えることを選ぶだろう?」

その指摘をイリーナが否定することはできなかった。なにか言おうとするもそれは言葉にならず、結局口をつぐんでしまったイリーナの手をクラウスはそっと握った。

「君のそういうところは、公爵夫人としてはふさわしいのだろうけれど、わたしには遠慮しないでほしい」

クラウスの心遣いにイリーナも自然と笑顔になり、

「わかりました」

と応じた。


「君から王女の対応を勧められたのも、早く解決しろという意味だと思ってしまって、それで帰る時間も惜しんで奔走してたんだ。やっと目途が立ったと帰ってみれば君はいなくなってるし」

「クラウス様がお戻りにならないから王女様がピリピリしてらして。あのお屋敷にいるのが耐えられなかったのです」

「本当にごめん、まさか追いかけてくるとは思わなかったんだ。君のために用意した部屋も勝手に乗っ取るし」

王女が使っていたのは女主人の部屋で、クラウスの寝室とは内扉でつながっているはずだ。彼の様子からふたりの間になにかあったとは思わないが、それでも気にはなる。

「クラウス様はどの部屋を使っておられたのですか?」

「離れに避難していた。他人の屋敷に勝手に入り込むような女だ、寝込みを襲われかねない」

それはまるで女性が貞操を心配するような口ぶりで、イリーナは思わず笑ってしまった。

「まさか。いくらなんでもそこまでなさるかしら」

「平気で初夜を邪魔できる神経の持ち主だ、寝室に忍び込むくらいはしかねないよ」

そこでイリーナは自分たちが未だ白い結婚であることを思い出した。

花婿から贈られたウェディングドレスは贈った本人の手によって脱がされ、初夜を迎えるのがしきたりだ。しかし、クラウスのそれはイリーナがひとりで脱いでしまった。それきりふたりの間にはなにもなく、今日(こんにち)に至る。

黙ってしまったイリーナの手をとったクラウスはその指先に口づけを落とした。

「わたしたちが屋敷に戻るまでには、部屋の改装が終わっている。そうしたら初夜をやり直そう」

それは初めてクラウスと出会った時の甘さを持っていて、はいともいいえとも言えないイリーナはまたも顔を赤らめることしかできなかった。




クラウスと共に屋敷に戻ったイリーナを出迎えた使用人たちは一列に整列している。

「旦那様、奥様、おかえりなさいませ」

代表して執事長がそう言い、使用人たちは笑顔を見せている。この屋敷があるべき姿になったことに皆、喜んでいるのだ。

「イリーナ、おいで」

クラウスはイリーナに手を差し伸べるとそのまま彼女を横抱きにした。

「クラウス様、自分で歩けますから」

慌てるイリーナの耳元に彼はささやいた。

「花嫁は花婿の手によって寝室へと運ばれるんだろう?」

クラウスの言葉でイリーナは彼が今から結婚式の夜をやり直そうとしているのだとわかった。

使用人たちの見守る中、イリーナはクラウスに寝室へと連れ去られ、初めての甘い夜を過ごしたのであった。




翌日、目を覚ましたイリーナにクラウスは紅茶を運んできた。

「おはよう、イリーナ」

「おはようございます」

イリーナの声は少し枯れていて、それにクラウスは苦笑した。

「大丈夫?無理をさせすぎたかな」

そう言われて昨夜の痴態を思い出し、イリーナは顔を赤くした。そんな新妻にクラウスは軽く触れるだけの口づけをし、

「ダメだな、もっと可愛いがりたくなる」

と熱のこもった視線を投げかけてくる。

イリーナは迷ったものの、遠慮しないでほしいというクラウスの言葉を思い出し、彼の首に腕を回した。

「もっと可愛がってほしいです」

彼女の甘い懇願にクラウスは容易く陥落し、イリーナが彼の持ってきたモーニングティーを飲んだのは、すっかり冷めきってからのことだった。

「新しいものを持ってこさせるよ」

クラウスの勧めにもイリーナは首を振った。

「いいえ、クラウス様が用意してくださったものを飲みたいんです」

そう言ってふんわりと微笑むイリーナにクラウスはまたクラリと来てしまう。

彼女が飲み干したティーソーサーをやや乱暴に奪い取ると、そのままの勢いでのしかかった。

「クラウス様、ちょっと待って」

「待たない、君が可愛いのが悪いんだ」


結局、この日は一日中ベッドで過ごすことになってしまった。

居並ぶ使用人たちの視線から逃れるため、うつむいてばかりいるイリーナにクラウスはいけしゃぁしゃぁと、

「わたしたちは新婚なのだから当然だよ」

と言っている。

なにがどう当然なのか、イリーナは疑問には思ったものの、誰に気兼ねすることもなくクラウスと過ごせるようになったことは素直に嬉しく、

「そうかもしれませんね」

と微笑んだのであった。

もう少し話が盛れたと思いますが、そもそも前後編程度を想定して書いていた作品なので、これで終わりとしました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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