4.第二夫人の務め
クラウスの今の立場は次期当主というだけで、それほどの責務はまだ負っていない。それでも思った以上に仕事があり、特にイリーナが頭を悩ませたのは社交だった。
公爵ともなればそれなりの頻度で夜会や茶会を開催し、人を招かなければならない。その準備までが第二夫人であるイリーナの仕事で、実際に来賓をもてなすのは第一夫人である王女の役目だ。
しかし彼女がこの国の誰と親しくしているのか、その情報がまるでない。本当はクラウスに聞いてみたいのだが、先ほどの彼の様子からして、しばらくは王女の話題は避けたほうがよさそうだ。
となると彼女が連れてきた侍女に聞くしかないのだが、侍女には絶対に接近しないよう、執事長からきつく言い渡されている。
イリーナ付きのメイドに頼んでいるのだが、彼女らも侍女とはなかなか面会できないらしく、今朝頼んだ滞在予定すら聞き取れていない状況だ。
王族の侍女ともなれば貴族令嬢であることも多く、平民のメイドでは相手にされないのかもしれない。やはり、ここは自分が直接話を聞くしかないだろう、と偶然を装って侍女に接近してみることにした。
侍女というのはメイドと違ってメイド服を着ておらず、イリーナと同じくドレスを着ているはずだ。この屋敷でドレスを着ているのはイリーナと王女、あとは彼女の侍女だけ。
王女の顔は覚えたから、ドレスを着ていてイリーナが面識のない女性が侍女ということになる。
屋敷内の見回りがてら侍女を探してみるがそれらしき人物は見当たらない。
「イリーナ様、なにかお探しですか?」
メイドにそう聞かれ、王女の侍女をお探しです、とは言えず、
「いいえ、素敵なお屋敷だと思いまして」
と言うと、彼女は嬉しそうな顔をした。
「こちらはクラウス様がイリーナ様のためにご用意されたそうですよ」
なるほど、それで彼は王女のことを招かれざる客と表現したのだ。確かに、第二夫人のための屋敷に第一夫人がいるなど、おかしな話だ。
ここは王都の中心から少し離れている。しかし王都の中では公爵領に近く、領地を見るには持って来いの立地。
「おかげさまで仕事がはかどりそうです」
イリーナの笑顔にメイドはなんとも言えない顔をしている。
そのとき、廊下の窓からシヴォス家の馬車が入ってくるのが見えた。
「クラウス様がお帰りですわ。ホールにも近いですし、お出迎えいたしましょう」
もうひとりのメイドがそう言ったが、イリーナは首を振った。
「それは王女様がなさいますわ。鉢合わせてはいけませんから部屋に戻ります」
「でも、あの。侍女様とお会いできるかもしれませんわ」
その言葉にイリーナは自分の考えが正しかったことを確信した。
「あなたたち、まだ王女様の侍女とお会いできていなかったのね?」
「ええと、その」
メイドたちは口ごもってしまうがイリーナは優しく微笑んだ。
「やはり貴族でなければ面会してもらえなかったのですね、これはわたくしの落ち度です。あなた達のせいではありません」
それから少し考えて、
「王女様がクラウス様の出迎えをなさるのなら、その侍女も一緒のはずよね」
と言った。侍女が必ず主人のそばにいるとは限らないが、それでも一緒に行動していることは多く、今からホールへ向かえば会えるかもしれない。
「ホールに行ってみましょう」
イリーナの宣言にメイドたちは喜んで賛成をした。
クラウスはすでに到着していて、彼は執事長と話をしていた。しかし王女は見当たらず、となれば侍女もいない。王族ともなると夫の出迎えなどしないものなのか。自らの考えが浅はかだったことに意気消沈したものの、イリーナからクラウスが見えるということは逆も然りで、このまま立ち去るわけにもいかず挨拶だけすることにした。
「おかえりなさいませ、クラウス様」
「ただいま、イリーナ。君が出迎えてくれるとは思わなかった」
今日は機嫌がいいようで、イリーナの知っている優しいクラウスだ。
本当は王女の侍女に会いたくてここに来た、と言いたかったが、彼女の出迎えがなかったことでクラウスが傷ついているかもしれないと思い、曖昧な笑みを見せるに留めた。
「仕事が一段落ついているのなら、わたしの休憩に付き合ってくれないか?」
王女がいるこの屋敷の中でクラウスと共に過ごすなど、揉め事の種にしかならない。しかし、今日のクラウスなら王女のスケジュールを聞いても怒らずに教えてくれるかもしれない。
イリーナは美しい笑みを浮かべ、是非、と応じたのであった。
お茶は彼の私室に用意された。イリーナとクラウスは間違いなく夫婦なのだから、夫の私室に足を踏み入れることは非常識ではないのだが、イリーナはどうにも居心地が悪い。
しかもメイドたちはお茶を用意するとさっさと退室しようとする。
「あなたたちは残って頂戴」
彼女の発した命令にメイドふたりは顔を見合わせ、それからクラウスを見た。ふたりはイリーナ専属のメイドではあるが、雇用主はあくまでクラウスであり、彼女たちはクラウスの命令に従わなければならない。
イリーナは縋るような眼をメイドふたりに向けた。
お願い、いかないで!
イリーナの心の声が通じたのか、クラウスはふたりに出ていけとは言わず、彼女らは壁際に控えることになった。
「仕事は順調?」
「お屋敷内のことは問題ございません」
イリーナが頭を悩ませているのは社交のことだ、招待客をどうするか、実際に対応するのは王女なのだから、彼女の意向を聞き取らなければならない。
クラウスからそれとなく聞き出すことが今のイリーナの任務なのだが、王女との仲違いはもう解決したのだろうか。
「今は頑張りすぎなくていいよ。状況が落ち着いたら、母上から教わっていけばいいことだから」
クラウスは穏やかに話をしていて、これならば王女の話題を出してもよさそうだ、とイリーナが口を開きかけたその時、
「クラウスはもう帰ってるのでしょう?」
廊下から聞こえる王女の声に、思わずクラウスを見た。彼もまたイリーナを見てそれから指を唇に当て、静かに、というように合図をよこした。
その意図は掴めなかったものの、イリーナは口をつぐむことにした。室内には、使用人とやり取りしているのであろう王女の声だけが聞こえてくる。
「先ほど馬車が入ってくるのが見えたわ、クラウスが帰ったのではなくて?今すぐ会いたいの。目障りなあの女をさっさと領地に送ってほしいのよ、不愉快だわ」
王女が『あの女』と言っているのは明らかに自分のことだ。やはりひとつ屋根の下でふたりの夫人が共に生活するなど、うまくいくわけがない。
身を固くしているとクラウスの手が伸びてきてイリーナの手を握った。驚いて顔を上げるが、彼は廊下の向こうにいるであろう王女のほうを苦々しい表情で見つめている。
この屋敷はクラウスがイリーナに用意した屋敷だと言っていた。それにここは王都の中心からは遠く、例えば集まりを催したとしても客を招待するには向いていない。クラウスのことだから王女のための屋敷もどこかに用意しているはずだが、まだ彼女を迎え入れるだけの準備が整っていないのだろうか。
王女はしばらくごねていたがやがて静かになり、気を利かせたメイドのひとりが部屋の外にいた使用人に確認し、彼女が立ち去ったことを告げた。
それを聞き、クラウスは思わずというようにため息をついた。愛する人とは言え、ああも強く言われては彼も疲れるのだろう。
イリーナは言葉を選びながら言う。
「王女様のお屋敷はまだ用意が整わないのですか?」
イリーナの問いにクラウスは眉間にしわを寄せた。
「準備を急がせているんだが、なかなか難しいようだ」
今日もその件で王宮に行ってきた、とクラウスは疲れた顔を見せている。
王女の国の法律に詳しくはないが、通常は女性は嫁いだら王族から外れることになっている。しかし、王家の血を引いていることに変わりはなく、それなりに警備の整った住まいが必要となるのだろう。
クラウスが王宮に行ってきたということは、国家レベルで動いているのだ。
となると、イリーナにできるようなことは何もない。ならばせめて、この屋敷のことだけでもクラウスの手を煩わせることなく捌かなければならない。
そう考えたイリーナは、王女のスケジュールをクラウスから聞き出そうとすることを止め、彼の心が安らぐように努めながら、共にお茶の時間を過ごすことにしたのであった。
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