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渡り世のストレンジャー  作者: 瓜橙 南
クランタ都市圏/はじまりの渡り世人
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第42話 然りとて災いは終わらず


 『襲来』は終わった。


 規模と被害を考えれば、大勝と断言出来る戦果だろう。

 それは誰もが認める事であり、疑う余地はない。


―――だが、忘れてはいけない。


 襲来が起きた元凶は討伐出来た。

 しかし、()()()()()()()()は分かっていないのだ。


 確かに今回の勝利はただ勝ったというだけではない。過去のトラウマを払拭し、人々に勇気を与えた。そういう意味では大きな勝利と言えるだろう。



 ただ残念ながらそれは根本的な解決にはならない。

 忌々しい事だが根本の問題を究明しない限りは、これからも災害は起こり続けるのだ。




 ◇  ◇  ◇



 これは祝勝会が開かれるよりも前の出来事になる。

 『緋刃舞踏』が元凶を打ち倒した後、まだ冒険者らが各地で諸々の戦後処理をしていた頃だ。


 ここにも、仕事のため訪れた者達が居た。



「おお……コイツが例の……。もう動かないってのが分かっててもゾクゾクするな」

「おい、集中しろ。俺らが警戒してなきゃ誰が警戒すんだよ」

「悪い悪い、分かってるよ」


 そう言い合ってはいるが、警戒を怠っている様子はない。2人は如何にも冒険者といった風貌で、いつでも武器を抜く用意が出来ているようだった。

 そんな2人の側には、もう1人男が居た。

 

「それじゃ、俺たちは警戒してるから。そっちの仕事は頼んだぜ」

「勿論です。すぐに始めます」


 その男の格好は何かの作業員の様で、戦えるようにはまるで見えない。代わりと言ってはなんだが、男は背負った鞄からいくつか道具を取り出すと”目的のモノ”の前に立った。

 それは男よりも大きく、覆い尽くさんとする程だった。



―――それは魔物だ。


 しかもただの魔物ではない。

 『仄火の誓い』と激戦を広げ、金ランク冒険者のメルースが圧倒した、『異形の魔物』だった。



「いやはや、頼もしいね」

「何がです?」

「だって新種だろ、こいつ? ……あー、何だっけ? 何とかタウロスとか名付けられた」

「『エニュオタウロス』ですよ」

「そうそう、それ! その魔物、新種だってのに分からんまま、あーだこーだ言いながら解体するんだろ? 大変だろうなあ……ってさ」

「まあ……それが仕事ですからね。それに、今ここで解体をするわけではありませんよ?」


 そう言って様々な道具を手にした男は、エニュオタウロスの全身を調べ始めた。身体を触りながらメモをしたり、スケッチをしたりと、手早くも詳細に記録を残していく。


 その行動から分かる通り、男は魔物を調査する研究員。

 そしてこの者らの正体は、調査のために先触れて派遣された先遣隊だったのだ。



 出来ればじっくりと腰を据えて調査をしたいところだが、樹海内でそれは危険過ぎる。そのため遺体をギルドまで運び出してから本格的に調査を開始する手筈になっていた。

 しかし運び出すにしてもこのサイズだ。準備も必要な上、運搬に使用する道具をここまで持って来なければならない。そうなるとどうしても大なり小なり時間が掛かってしまう。

 更に樹海に転がる死体は、他の生き物の糧となるのが世の常。全て持ち去られるには時間が掛かるだろうが、調査を考えると出来るだけ完全な状態で確保したいのが心情だ。


 だからこそ先遣隊となるわけだ。

 最低限の荷物でいち早く訪れ、本隊が到着時にも円滑に事を運ぶために派遣されていた。



「ん? ここでバラさないのか?」

「おい、お前……会議の話聞いてなかったな?」

「い、いやいや! そんなわけないだろ相棒! 場合によっちゃバラすかもって言ってたからそれでよぉ……!」


 慌てた様子でもっともらしい釈明をする。

 怪しさはあるが、相棒と呼ばれた男はそれで一旦は納得した様だ。


「まあ護衛の方の仕事に影響はほぼないので問題はありませんよ。それに現地での解体、といっても基本は必要があれば刃を入れる程度ですので」


 フォローするつもりはないが、研究員の男は魔物から目を離さないまま言った。

 この間もずっと調査の手は止めない。


「へ、へぇ……なるほどなあ」

「此処はクランタから遠くなく、地形も複雑ではない。魔物も特に可笑しな状態ではないので、そのままでも運搬に不都合はありません」

「なるほどなあ」

「……ホントに分かってんのかよ」


 同じ言葉を繰り返し、うんうんと頷く男。

 相方からは呆れたツッコミが入った。


 とは言え護衛としての仕事に支障はないのだろう。それ以上の指摘は特に無かった。

 事実、彼らは冒険者として優秀だ。

 首から下げられたギルドカードの色は『赤』。最上位の『金』には及ばぬものの、その一つ下のランクだ。

 ギルドから一級品と認められた実力の持ち主、その証明だった。


 戦いを知らない研究員が調査に専念するのも頷けるというもの。本隊が到着するまで、このまま周りを気にせず調査を続けるのだろう。

 それを想起させる様に今も、呑気に思える護衛を気にも留めずに1人ぶつぶつと呟いていた。


「むぅ……何ともこれは……。腹部まで鎧のようとは……凄まじいな」



 そうして自分の世界に旅立った研究員だったが、護衛の男は疑問に思ったのか今度はこんなことを聞き出した。


「そうなると『緋刃舞踏』が倒した……あー……魔物はどうすんだ? 場所はかなり奥地だったよな。それに随分と変わった体躯してたらしいじゃねーか。やっぱバラすしかないのか?」

「『エニュオタウロス』、『ティタンプレド』、それから『ディノグライア』ですよ。彼女らが討伐したのはディノグライアと名付けられた個体になります」


 やはり名前は覚えてなかった様で言葉を詰まらせたが、研究員は淡々とした口調で教えた。

 それで大丈夫かと思わせる言動ではあるのだが、研究員としては護衛の仕事さえしっかりと遂行出来るなら問題無いらしい。全く気にしていない様子だった。


「そのディノグライアを運搬する際に解体が必要かどうかは……現物を見ていないので何とも言えませんね。―――研究を生業とするものとしては、あちらに参加したかったですが」


 研究員はここで初めて感情らしい感情を吐露した。

 余程ディノグライアの調査に赴けなかったのが悔しいと見える。ここまで事務的だった声色に抑揚がついていた。


 そんな研究員に対し、今度は注意を促した方の護衛が反応を見せた。

 真剣な面持ちではあるが少し困惑した様子だ。


「ディノグライアか……。特徴を聞いた程度だが、あれは冒険者としての立場から見ても奇妙な生態だったな」

「あ、分かる。聞いた外見から想像しても「ホントに合ってる?」って思ったくらいだし」

「全くだ。近縁種すら分からん。魔物に詳しいとは言わんがこれでも冒険者なんだがなあ。……やはり奥地、未開拓地の魔物って事なんだろうさ」


 この護衛の冒険者らもまた、ディノグライアと対峙した『緋刃舞踏』と似た様な感想を抱いていた。


 襲来による樹海奥地からの魔物は新種が珍しくないとは言え、今回の『ディノグライア』には不可思議といった感想がよく似合う。実物ではなく報告で聞いただけだが、それでも不気味で奇妙と感じていた。

 冒険者の2人ですらそうなのだ。本職である研究員からすれば、今すぐにでも調べたくて仕方なかった。

 そしてそれを証明するかのように語り出す。


「私もかの魔物については気になる事だらけですよ。……フェロモンで集団を形成すると言えばまず蟲系の魔物が浮かぶ。今回の報告だと群れは統率が取れ階級らしきものも見られたようですし、蜂や蟻の様な生物が当てはまるのではないかと。しかしそれらは”個体群”、つまり一種の生物によるまとまりに過ぎない。だがそうではなく、何種もの生物を支配し、群れと成したのならそれは―――生態系そのものを吞み込んだと言えるのかもしれません」


 話す勢いは徐々に増し、饒舌さは留まるところを知らない。

 やはりこの男はかなりの研究者気質。道中からその片鱗はあったが、ここに来て拍車が掛かっていた。

 それでも調査の手は止まらないのだから、呆れを通り越して見事という他ない。彼にとって今の仕事は天職なのだろう。


 だが、このままでは1人になってもずっと喋っていそうだ。

 一度このあたりで止めるべく、真面目な方の冒険者は遮るように少し大きめな声で口を挟んだ。


「……おーい! アンタの考察は興味深いが、本来の仕事の方は大丈夫なのか?」


 手は動いたままだけど―――と思いつつも、そう言って心配するふりをしてみる。これで何とか正気に戻ってくれないかと思っての発言だったのだが、どうやらそもそもの話だったらしい。

 研究員はそれなら、と何でもないように言った。


「既に終わりましたよ。あとは後続の本隊を待つだけです」

「―――ん!? もう終わってたのか? だったら今それは何してるんだ?」

「仕事の方に関しては、特に毒性なども見当たらず、ディノグライアの様に危険な魔力を放出しているわけではありませんので割と直ぐに。今は、余った時間で個人的に気になる事を少しばかり、ですね」

「……そうか。何か拍子抜けというか……いや、滞りなく済んだのなら良かった」


 随分あっさり終わったと知らされ、気も抜けそうになる。そうなら教えてくれても良いのでは、と思わないでもないがそれ自体は仕事とは関係無いと言えば無い。

 護衛はまだ続いている。この魔物を無事にクランタまで運搬するまでが仕事だ。

 順調なことに安堵しつつ、気を引き締め直した。


 だが一方で、もう1人の冒険者は相変わらずだった。実際に気を抜いているわけでは無いのだが、その性格や話し方が空気を弛めていた。


「なんだよー。こんだけ早く終わるってなら、俺ら来る必要なかったかもな。それこそディノグライアとかヤバそうだし、あっちに人員割いた方が正解だったんじゃね?」

「お前なぁ。もっと緊張感をだな……」

「っと、わりぃわりぃ」


 そう変わらぬ調子で笑う。

 言われてなお緊張感は無いが、仕事の腕は確かなのだ。それ以上咎められはしなかった。

 それに言っていることが的外れなわけではない。同意出来る部分もあった。

 

「ただ、やはり人員の件は俺も否定しきれん。あっちの危険度は俺らとは比べようもないからな。……どうしようもないってのも、分かってはいるが」

「こればっかりは仕方ないでしょう。どちらも蔑ろには出来ない。事実として過去、調査に影響が出た事例があるからこそ、先遣隊が派遣される様になったのですから」

「そうなんだよなぁ……」

「今回だって報告の中には「群れから溢れた魔物が食料にありつけず痩せこけている」といったものもありましたし、油断出来る状況ではありません」

「ああ、理解はしてるさ。だがどうしても他の連中が多忙な中、こう手持ち無沙汰だと……気持ちがな?」


 やはり真面目な性格なのだろう。護衛の仕事があれど、気になるものは気になる様だった。

 そんな様子を見かねて―――ではないだろうが、何かしら思うところはあった様で、研究員は一瞥すると庇う様な声を掛けた。


「あなた方の護衛が無ければ、私は滞在どころか此処に来ることすら出来ません。それで十分だと思いますが?」


 変わらずそっけない口調だった。

 だが、それが逆に男には分かりやすくて良かったのだろう。

 もどかしかしく、どうにもすっきりとしなかった気が晴れていった。


「……それもそうだな。悪い、俺が変に気にすることじゃ無かった」



 更にそれだけでなく、理由は他にまだしっかりとあった。

 研究員は続けて言う。


「―――何より、ディノグライアへは案内も兼ねて『緋刃舞踏』が護衛についています。であれば、万が一すら無いでしょう」


 断固たる確信を持ってそう言い切った。


 放たれたその言葉に迷いは無い。

 そしてそれは、護衛の2人にとっても同じこと。彼女らがもたらす安心感は、心に余裕を与えるには十分だった。


「ははっ、無用な心配だったわな! 俺らは俺らの仕事をやればいいだけだった」

「緩むのもダメだが、気の締め過ぎも良くない……襲来の緊張感が残ってたのかもな」

「ああ。心なしか、身体も軽い気がするぜ」

「ふっ……浮き足立ちはするなよ?」


 ここ最近は周りを含め、寝ても覚めてもずっとその感覚に浸っていた。精神への負担は徐々に蓄積し、その状態が自覚出来ない程に当たり前になっていたと気付かされた。

 息苦しさが無くなり、重圧から解き放たれる様な解放感を実感していた。

 



 魔物が減った影響もあり、静かな空気の流れる樹海。

 自分達を除けば聞こえるのは吹く風と葉音だけだった。近くに生き物の気配は感じられない。


「さて、話はこれくらいにして……そろそろ合流の時間か?」

「おう。予定ではその筈だな。遅れるって連絡も無いし、まあ問題無く進んでるだろ」



 予定では本隊の到着にはあと少しの時間がある。それまでの短い間でも、研究員はまだまだ可能な範囲で魔物を調べるつもりだった。

 会話は聞こえているのかいないのか、研究員がそれに反応する様子は無い。恐らく明確に話しかけられない限りはそのままだろう。

 時間も気にせず、ただ目の前の興味対象とだけ向き合っていた。


 ただ、どうやらそれが行き過ぎたらしい。

 帰還まで我慢が出来なかった研究員は、目が飛び出る様な突飛な行動を始めた。


「―――っておいおいおい、待て待て!! あんた何やってんだ!?」


 たまらず護衛の1人が慌てて止めに入る。

 もう1人もその光景に驚愕で言葉を失い、固まってしまっていた。



 何とそこには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「何って、見ての通りですよ。先程から調査と言っているでしょう?」

「そこじゃねぇーよ!! 一瞬食われたのかと思ったぞ……!」

「死亡しているのは確認済みです」

「だからそこじゃ―――い、いやもういいか……」


 これは何を言っても無駄と悟ると、諦めて口を噤む。そして出かけた言葉を飲み込んで一息吐くと、改めてその様子を見てみた。


 分かっていても心臓に悪い。

 見た目は完全に魔物に喰われた状態だ。頭から丸呑みされる途中にしか見えない。

 横たわったまま動かない事がそうでは無いと教えてくれているが、あまりにもな光景に苦笑いを浮かべるしかなかった。


「ったく、ビックリしたぜ。何だってこんな事を……全身ベトベトになるだろうに気にもしねぇし。ここまでのヤツは初めて会ったわ」

「熱心なのは良い事……で納得しとくのが正解だろうな。ここで解体出来ないなりに"入口"から調べる、ってとこか?」

「ま、その分頼もしくはあるがね。―――おーい、牙には気を付けてくれよ?」


 見守りながら雑談しつつも、一応そう注意を促すが一言くぐもった空返事が返ってくるだけだ。かすり傷や服が裂ける程度なら当たり前のものとして振る舞っているのが見て取れる。

 それくらい脇目も振らずに魔物と向き合っていた。

 例えるなら、何かに夢中になる子供の様でもあり、そんな様子は微笑ましい気すらしていた。




 だがしかし、その研究員が抱いていたのは決してそんな穏やかなものなどではなかった。

 その胸の内に渦巻いていたのは、言葉では表せない、背筋の凍るような(おぞ)ましさだった。



(何だこれは……? 一体、どういう―――いや、まだ断定は出来ない。詳しい調査をしてからでないと何とも……)


 いつもの様に不思議に思っただけだった。

 いつもの様に好奇心が芽生えただけだった。

 故に、自ら一歩踏み出しただけだった。


 それなのに、何故か求めたはずの答えを言い訳の様に否定していた。

 いや、否定したかったのだろう。それを認めたくないと思ってしまっていた。

 だからこそ、真実を求める手は止められない。


 研究員は何としても真実を明かさなければならないという使命感、そして息苦しいほどの焦燥感に駆られていた。


(―――だが! もし、もしもこれが本当なら……! ()()()()()()()()()!! 1秒すら惜しい……一刻も早くコレを明かさなけれ―――)



「――――――敵だっ!!!」

「!!」


 しかし、その調査の手が許されることはなかった。

 切羽詰まった護衛の絶叫で思考が遮られる。声だけで危険な状況であると分かった。


 このままではまずい。

 ただでさえ戦闘は出来ないというのに、状況も把握出来ないのではただの邪魔者でしかない。

 研究員は急ぎ、口内に踏み込んだ身を引くと、焦りながらパッと後ろを振り返る。


「こいつは―――」


 目に入ったのは、心底から恐怖を駆り立ててくる怪物。

 そんな魔物が眼前にいた。


「―――『二つ首』!?」


 それは言葉通り、二つの頭を持った巨狼だった。

 ディノグライアより一回りも大きなその狼は、漆黒の体毛を逆立てこちらを見下ろしていた。その目は獰猛な殺意に満ちており、心臓を鷲掴みにされた様な感覚に襲われる。

 押し潰されそうで息も出来ないほどに恐ろしい。


 だが、そんなにも怖くてたまらない筈なのに、真に目に留まったのはそれではなかった。


 その手前。

 振り返った研究員と二つ首の間にあり、自然と視界に入ったもの。

 おどろおどろしく唸る巨狼が剥き出した牙、そこに付着した鮮血が全てを物語っていた。

 つい先程まで軽口を叩き、その気質で場を和ませていた冒険者―――


「お前っ……!」

「っ大丈夫だ! 利き手じゃない!」

「クソッ!!」



―――その左腕が、根元から無くなっていた。



 襲い来る危険には真っ先に気が付いた。ゾワっとしたものが背中に走り、自然と身体が動いていた。

 その結果に後悔はなくとも、だからこそこうなった。


 命が掛かっていたのだ。

 それは、大事な相棒を庇ったが故に起こった、必然的な代償だった。


 

 冷静さを失って泣き叫んでもおかしくない様な状況。痛みで顔をしかめ、汗が頰を伝う。

 しかし巨狼を写し続けるその目は、ただ鋭く敵を見据える。

 この程度で負けまいと真っ直ぐに。

 

 その堅牢な意志は、もう1人の冒険者にも伝わっていた。

 自分のせいで――と一瞬心を(えぐ)られはしたが首を振る。

 自分がするべきことは何だ? 今生きているのは何のためだ?

 後悔も贖罪も後でいくらでもする。

 今はまず何としても、この強大な敵と相対しなければならないと、震える心と身体に活を入れ武器を構えた。






 そんな一瞬の間の葛藤を、研究員はただ見ているしか出来なかった。目の前で繰り広げられる戦いを、ただ眺めるしか出来なかった。

 本職でもなく役目も違うため当然ではあるのだが、見せられている”事実”に、どうしようもない無力感を感じていた。



 彼らの心持ちは十分だった。

 全霊を尽くしたことだろう。


 ただ残念ながらそれだけで勝てるほど、相手は甘くなかったというだけだった―――




 勝敗はすぐに決した。

 それは腕を失っていなくとも変わらなかったのだろうか。

 研究員である彼にそれは分からない。


 分かるのは、護衛を務めていた2人が、巨狼にあっさりと喰われてしまった現実だった。


(あ―――あぁ―――)


 巨狼がこちらを向く。

 焦ることなく、ゆっくりと歩いて来る。

 どうしようもない彼には、もう諦めるしかなかった。


 最期に見たのは、こちらを呑み込もうと開かれた深淵の様な暗闇と―――




―――視界の端に一瞬入った()()だった。







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