第27話 樹海奥地の魔物
「――――――来るぞ!」
ヴォルスは樹々の中を抜けた瞬間、そう叫んだ。
それは予め待機していた冒険者達に知らせるためでもあり、自らに気合を入れるためでもあった。
だがその冒険者達にも樹海に響いている足音は届いており、ヴォルスが言わずとも視界に収めた時には既に迎撃の構えは整っていた。
間もなく到着する事は連絡済みだった。
その上でいきなり戦闘に入らない様に魔物の群れから離れて、早めに合流しようというのが元の予定だった。
―――それは失敗してしまったが……。
しかし、流石はクランタの冒険者だと言っていいだろう。
足音の近づく速さから考えると僅かの間しか無かったはずだが、呆気に取られる様子も慌てる様子も無い。
臆する事無く、誰もが覚悟の決まった顔をしていた。
その様子にヴォルスは安堵を見せる。
予定は少し狂ってしまったが、一先ず問題は無さそうだった。
だがそれも束の間。
ほんの一瞬の間だけだった。
ヴォルス達が出て来た場所、そこが大きく揺れたかと思うと樹々を掻き分けながら、それは飛び出して来た。
見上げたその身体は、全長で一般的な大人3、4人分はあるだろうか。
人型で腕が少し長い見た目は猿の様ではあるものの、隆々とした筋肉でガッチリとした肉体に仕上がっている。特に腕の筋肉がよく発達しており、まるで岩でも入っていそうな凶悪さだ。
全身に生えた長めの獣毛は赤褐色で、あちこち禿げているのは傷跡によるものだ。中には縦に大きく裂けた古傷もあったりと、その巨猿を一目見ただけで歴戦の魔物だと分かる。
そしてその巨猿は気味の悪いことに、玩具でも見つけた様な下卑た笑いでこちらを見下ろしていた。
すぐさま振り向き、体勢を整えるヴォルス達。
巨猿は、目の前で警戒しながら様子見をしている冒険者をゆっくりと見渡していた。
そして――――――
「――――――ヴォルス!」
次の瞬間、狙って来たのはヴォルスだった。
一番近く、腕を伸ばせば届く範囲に居たため、仕方ないと言えば仕方ない。
しかしその腕が長い。
物凄い勢いで想像以上の伸びを見せた腕が空気を唸らし、横から平手打ちのようにヴォルスを叩き付けた。
「っっぐ―――!!」
その衝撃に苦悶の声を上げつつも咄嗟に防ぐヴォルスだったが、勢いは止まらない。
巨猿は勢いそのまま腕を振り切り、ヴォルスを弾き飛ばした。
「―――このっ……!」
セツは仲間を攻撃された事に少しの怒りを覚えつつも即反撃を仕掛ける。
地面を蹴り一瞬にして巨猿に肉薄すると、腰に下げた刀の柄に手を掛けた。
狙うは足首。
すれ違いながら両断するつもりで思いっきり抜刀し――――斬れなかった。
(こいつ……! かなり硬い!)
伝わってきたのは、ごりごりと骨を撫でる感触だった。
セツはその強度に驚きながらも追撃を加えようとしたが、それより先に巨猿の蹴りが迫って来る。
舌打ちしつつ追撃を諦めると、一度体勢を立て直すため大きく後ろに飛び退いた。
一息ついたセツは、改めて自分が斬った場所を見据える。
人で言う所のくるぶし辺りになるか。外皮は裂け、傷は付いている。血が見える事からも一応切れてはいるらしい。
だがそれはただの切り傷でしかない。巨猿も痛がる様子は無く、無数の傷の一つに過ぎない様だ。
現に今、呑気に傷口を掻いている。
「相当硬いみたいだな。……どうだった?」
「ヴォルス―――! そっちは大丈夫?」
「大丈夫だ。何ともない」
ヴォルスは殴られたと同時に、出来るだけ衝撃を殺すため自ら後ろに跳んでいた。そのため殆どダメージを受けずに済んでいたのだ。
あとは空中で受け身を取り着地すると、すぐさま戦線に戻って来ていた。
「ご無事で何よりです、ヴォルス様」
「てか、あいつだけ別格じゃない? あれ相手に出来るの多分この場だとボク達だけだよ」
「……っぽいな」
……あれが、話に聞いていた樹海奥地に生息しているという魔物だろう。
その段違いの強さにリンシーも驚きを隠せない。さっきまで相手にしていた魔物とはわけが違った。
同時に4人は樹海奥地へ調査に行ける冒険者が、高ランクに限られているというのもよく理解出来た。
―――こんな魔物が当たり前に暮らしているのか、と―――。
そしてそれはヴォルス達だけでなく、この場で待ち構えていた冒険者達も同じ事を感じていた。
目の前の巨猿を見た瞬間、敵わないとハッキリ悟ってしまう程の差が、確実にそこにはあった。
「今斬った所……皮のすぐ下が骨であれだから、筋肉がある箇所なんて普通じゃ斬れないでしょうね……」
「我々も簡単にはいかなさそうですね。……どうなさいますか?」
アスロンがそう問い掛けた。
しかし、迷う事無いヴォルスはどうするのか既に考えていたようだ。
「リンシー、頼んだ」
「―――足止めだね。オッケー、分かってるよ。ボクもそうしようと思ってたし」
本人もそのつもりだった様で、リンシーは即快諾した。
ヴォルスが声を掛けるまでも無かったのが分かる。
ちょっと前まで面倒臭がっていた様子はもう何処にもなく、やる気も十分だった。
「それじゃあ……行くよ―――」
リンシーがそう言った直後だ。
急に何の前触れも無く、巨猿の周囲から幾つもの『樹』が飛び出した。
傷口を掻き、不思議そうにこちらを観察していた巨猿は驚いた様子を見せる。流石に焦ったのか咄嗟に躱そうと試みたようだがもう遅かった。
大地から突如現れたその樹々は、すぐさま巨猿に伸びると四肢に絡みついていった。
「よし―――いやでも……! くっ……!」
樹を手足の様に操ったリンシーは見事、巨猿を捉え動きを縛った。
しかし、巨猿の力はそれを上回っていた。
巨猿は苛立たしげに声を上げ、力任せに樹を引き千切ろうとしている。それに合わせ樹もメキメキと音を立て、徐々にひび割れて来ていた。
そう長くは持たないだろう。
だが、目的が足止めであるならばそれで十分過ぎた。
その隙を逃すはずも無く、他の3人も動き出す。
「毒よ、蝕め―――」
アスロンがそう唱えると、毒々しい紫色をした液状の球体が現れ、巨猿に襲いかかった。
それは暴れようと藻掻く巨猿の脇腹付近に直撃すると、熱した鉄を水につけた様な音と共に煙が立ち始める。
「はあぁぁぁ―――!」
「―――フッ!」
間髪入れず巨猿が反応するより先 、セツとヴォルスは続け様に一閃、二閃と目にもとまらぬ速さでその脇腹を斬りつけた。
「―――ッギィ―――ガァッッ!!!」
巨猿は急に襲われた痛みで声を上げ顔を歪めた。
思わず何事かと、その痛みが走る場所に目を向ける。
そこには――――――ザックリと裂け血が吹き出す傷口があった。
さっきの何でもなかった攻撃から一転。
こんなにもあっさりと深い傷を負わされてしまった。
巨猿は驚く。
住んでいた縄張りを追われ、こっちに来てから周りの奴は雑魚ばかりだった。殆どの奴は片手間に片付けられる。特にそこらじゅうに居る緑色の小さい奴は一番弱く、どうしたらそんなに増えるのか不思議で仕様がなかった程だ。
だが、そんな雑魚と似た体躯である筈のこいつらは、移住してから一度たりとも無かった傷を負わせて来た。
……何時かぶりの痛み。
その久しく忘れていた感覚に情けない声を上げ、驚愕で愚かにも固まってしまった。
如何に自分が生ぬるい環境に慣れてしまったのか実感する。
巨猿の本能が、久しぶりに危機を知らせていた。
しかし、だからこそなのだろう。
巨猿は『闘争』を思い出していた……過酷な故郷で常に争い合っていた、あの日々を――――――
「……急に目の色が変わった感じね」
「どうやら……相手も本気になったみたいだな……」
―――巨猿にはもう、驕りはなかった。




