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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
99/146

[98] 「新開」30


「あなたが、由宇……忍さん、ですね?」

 僕の問いに、その女性は眉間に薄笑いのような表情を蠢かせて、

「え……うん」

 と頷いた。

 明らかに、知っているでしょう? という顔で彼女は答える。

「君は……名前は忘れちゃったな、昔団地に住んでた、いつも一人でいたあの子だよね?」

 発する人間が違えば、人を騙す為に使う言葉のトリックにも聞こえる言い方だった。だが相手は呪い師ではないし、僕に対して知ったかぶりをする理由などないはずだ。それになんとなく、三神さんの残した日記から想像していた『U』という女性の印象と一致している気がした。

「はい。新開と言います。こっちは、彼もこの村の出身で……」

「おい」

 と光政が僕の背後で声を上げた。名前を明かすな、という意味に聞こえた。確かに穂村兄弟は、『天正堂』での仕事の際、依頼人にさえ本名を明かしていないと聞いている。……意外と冷静じゃないか、と僕は思いながら、

有村(ありむら)(ひかる)くんです」

 と紹介した。

「……有村っす」

 ボソリとつぶやく光政に対して由宇忍は会釈を返し、それから「あー」と低い声を出した。

「……でぇ、これは、何? 二人はここで何してるの。強盗? ん?」

 首をやや傾けて問う彼女の顔には恐れも焦りもなく、なんならこの状況を楽しもうとしている雰囲気さえ感じられた。

 不思議な人だ、と思った。

 僕は確かに十六年前、彼女の姿を団地内で何度か見かけていたし、先程の言葉から察するに、向こうもそうだったのだろう。面と向かって話す機会はなかったが、一度は僕の家の前までやって来てもいる。正直に言えば、僕の中ではその時の少女は恐怖の対象でしかなかった。だが、今こうして目の前に立つ由宇忍からは、柔らかで大らかな雰囲気しか伝わってこない。

 同じ人間だとは思えなかった。

「いや、もちろん、あの、強盗なんかじゃありません」

 僕は答えながらも、どう接するべきだったのか、もともとあった心構えを思い出そうと必死になっていた。

「今、一人っすか」

 と光政が聞いた。

「うん、そう」

 由宇忍は答え、「あ、お茶でも、入れようか」と言った。

 真夜中に突然現れた男二人に対する、一般女性の対応ではない。さしもの光政も面食らった様子で、

「あー、はあ」

 と曖昧な返事を口にした。

「いやあの、すみません、お気遣いなく。それよりも、どうぞ座ってください、立ちっ放しは疲れるでしょうし、事情は今からきちんと説明します」

 僕がそう言うと、由宇忍はほっとしたように微笑んで椅子に座りなおした。

「八か月、九か月くらいですか?」

 と問うと、由宇忍はお腹を摩りながら、

「臨月です」

 と穏やかな声で答えた。

 僕は思い出していた。

 だが何度思い出しても、三神さんの記した日記には、『U』が妊娠しているなどと書かれてはいなかった。ならば三神さんは、意図的にこれを隠したのだ。R医大で書いたノートでも、『U』について語ることはしないと三神さんは断言していた。……直接僕が話を聞き出してよいか迷う部分もあった。だが三神さんが記憶を失ってしまっている以上、残された選択肢はこれしかないのだ。

 座ってもかまいませんか、と僕が尋ね、許しを得て僕と光政は由宇忍の正面に腰を落ち着けた……。



「先程、あの人はどうなったか、とあなたは尋ねましたね?」

 と僕から切り出した。「突然現れた侵入者に対してかける言葉ではないと思うのですが、あの人、というのはずばり、三神さんですか?」

「……うん、そう、三神さん」

 答える由宇忍の瞳がわずかにうるみ、震えた。

「どうして僕たちが彼の関係者なのだと?」

「どうしてっていうか、そう思ったというか、……違うの?」

「あってます」

「じゃあいいじゃない」

「だけど普通は分かりませんよ。面識のない人間が、二人もこうして……」

「君とは会ったことがあるじゃない」

「いや」

「ね、そうでしょ?」

「いや、あの」

「見てたよね……私のこと」

「い……や……」

 三神さんの日記には、由宇忍についてこう記されている。


『三十代半ば、笑顔が人懐っこく美しい見目の女性である。出会った当初から病人さながらに色が白く、眼の下には隈もあった』

『電話越しに聞くUの声はなんとも甘く、年相応であれば気持ちを持って行かれかねない程蠱惑的に私の耳朶をなぶった。私には別れた妻がいる。今でも私の気持ちはその女性にある。だがもしそうでなければ、このUこそが私の出会いたかった運命の人なのではあるまいかと、そこまで思わせる程の不思議な魅力を放っていたのだ』


 三神さんがここまで言った理由が、彼女と面と向かって話をして初めて分かった気がする。僕は辺見先輩と結婚して少しはマシになったものの、元来女性と話すのが得意ではない。だからという意味もあるのかもしれないが、この由宇忍は特に魅力的だと感じた。そして更には、かつて彼女に対して抱いていた恐怖心と現実がうまく噛み合わず、僕はひどい混乱状態に陥った。とそこへ、

「三神さんに何があったのか、知ってるよな?」

 と光政が助け舟を出した。その口調にはそうと感じる程度の怒りが含まれており、由宇忍はやや驚いた眼をして視線をうつ向かせた。だが光政の怒りはおそらく、不甲斐ない僕に対してのものだった。

「何がっていうか……それは」

「今、お体の具合はどうなんですか?」

 気を取り直して僕が尋ねると、

「今は、うん。すっかり」

 と由宇忍は答えた。声に覇気はなかったが、「おかげさまで」という感謝の意志が伝わって来た。

「あなたの身に起きた霊障、つまり超自然的な災厄を肩代わりしたことで、三神さんは今も苦しんでおられます。彼は自らの意志でそうしたのだと仰っていましたが、だからと言って見捨てておけるわけがない。由宇さん。あなたと彼の間に、一体何が起きたのですか?」

「何がって、言われても、ねえ」

 ……のらりくらりしやがって、と光政が顔を背けながら独り言ちた。明らかに由宇忍に聞かせるための声量であり、失礼だとは思いながらも、僕は光政を窘める気になれなかった。

「……雨が降っていると。あなたは仰ったそうですね」

 僕が切り込むと、由宇忍は弾かれたように顔を上げて僕を見た。

 三神さんの書いた日記には、こうある。


『不幸自慢なんかする気もない。だけどどこかの段階で、一度くらいは誰かに向かって愚痴っておかないとさ、こういう人間がいたんだってことが誰にも知られずに終わるんじゃないかって。…そう思うと、なんか、腹がたつじゃない?』


 由宇忍の語った出来事が三神三歳を突き動かした、その事には疑いようがない。そこに、全ての鍵が隠されていると思った。

「あー。なんだ、人にそうやって喋っちゃってるのかぁ」

 と由宇忍が言った。「なんか、残念だな」

 呆れたというよりも馬鹿にしたような、相手の人間性を見限ったようなその言い方に僕は焦った。だが僕にだって言い分はあるし、話の核心に近づけないまま気持ちを揺さぶられ続けるのにも、我慢の限界があった。

「時間がないんです」

 と僕は言う。

 隣では光政がうんうんと頷いている。

「三神さんはこのままだと死にます」

 と言い放った僕の強い言葉に、由宇忍は眉根を寄せてじっとこちらを見つめた。

「本当は知りたいことがたくさんあります。彼がどんな思いであなたを助けようとしたのか、それがあなたに伝わっているのかいないか、どうしてあなたがこの家にいるのか、それももう今となってはどうでもいい。僕はただ三神さんを助けたいだけなんです。はっきり言います。あなたは呪われていた。そしてその呪いを三神さんは引き受けたんです。あなたはなぜ、どうして、一体誰から呪いを受けていたのか……心当たりを僕に教えて下さい」

 由宇忍の真剣な目が、僕を真っ向から見つめ返した。

 その時だった。


 轟音が炸裂し、光政が後ろへひっくり返った。

 大勢で囲める大型の食卓が揺れ、視界が揺れ、由宇忍の顔が揺れた。

 激しく歪む彼女の背後で、突如として空間が裂けた。

 ヌーっと、音もなく。

 細く長い腕が何もない空間の裂け目から現れ出でる。

 汚らしく伸びた長い爪が五本、宙を掻きむしり、人ではない長さの白い腕が突き出されたと思うと、やがて目の前に既視感のあるバケモノがその姿を現した。

 実際に見るのはこれが初めてである。

 六花さんからもめいちゃんからも、幻子からも、そして看護師Hからも聞いていた。

 手足の長い、木で出来た異形の存在。

「……こ、これが」


 傀儡。


 由宇忍がなにごとかを呟いた。

 しかに僕の耳には、彼女の声は聞こえなかった。

 




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