[96] 「坂東」21
六文銭、という名の呪禁師たちの存在を知ったのは、俺がチョウジ(広域超事象諜報課)に入って間もなくのことだった。まだ『九坊』がどういう呪詛なのか、どんな効果を伴う霊障であるかもよく知らない青っちろい駆け出しの頃だ。
正式名称は、新開が手にした資料が正しければ『北桑田六文銭』。
どこの地名を指すのか分からないが、北という字が入る当たり、本部とは別の支社扱いという気がしないではない。だが現存する資料も多くはなく、その名をもって何かを成し遂げたと示す文献が残されているわけでもない。ただ単純に、奈良時代にその名を掲げた呪禁師たちの集団があったという知識だけが頭の片隅に眠っていたのだ。
皆瀬伝八郎という男については、半ばタブー視されているのが現状である。呪いという霊障の性格を考えれば、『九坊』がどうの、呪いがどうのと喧々諤々やるべきではないという見方もある。もちろんそれはその通りなのだが、それ以前に情報量が少なかったとも言える。『九坊』を作った張本人であることだけは伝わっているものの、口に出すだけで穢れが飛んでくると恐れられた呪いとひと括りにされ、長い間封印されてきた。皆瀬が美晴台にまつわる人間であるどころか、大謁教の創始者かもしれないなどという情報は、おそらく皆瀬に近しい存在の者か、あるいはこの美晴台内部の人間しか知りえまいし、書けまい。そういう意味では、俺は目の前の穂村兄弟ですら頭から信じ込む気にはなれなかった。
どこからどう見てもバカなチンピラである。ひょっとしたらこういう連中程根っこはシンプルに出来ており、人間性を理解するのは容易いのかもしれない。だがこいつらにはこいつらなりの思惑があり、新開や小原代表代理に黙ったまま、三島要次の下で別件捜査にあたっていたことは事実なのだ。緊迫した今のような場面でこそ、不確定要素が持つ危険とはできるだけ距離を開けるほうが良いと、俺は考えた……。
柳奈緒子の家に入って行く新開と穂村光政の背中を見つめながら、こう尋ねる。
「やらなきゃいけないことがあるんだよな?」
すると隣に立つ穂村直政は、小さくひと言、
「ああ」
とだけ答えた。
「念の為に聞くが、言っておきたいことはあるか?」
「……同情してんのか」
「俺がか?」
「っは!」
直政は強く息を吐いて顔を背けた。だがその横顔に怒りはなく、憂いのような表情が浮かんでいた。
俺たちが玄関前に立っても、中からは物音ひとつ聞こえなかった。
屋内に人の気配を感じるものの、動いている様子はない。対象者がどのような状態(たとえば立っているか、寝ているか)であるかは相当近くまで寄らないと知覚出来ない。時間帯的に就寝していてもなんら不思議はないが、その場合、無実かもしれない人間の寝込みを襲うことになる。一瞬ためらったが、すぐにどうでもよくなった。
「……なんだよ」
扉に手をかけたところで視線を真上に上げた俺に、直政が聞く。
「いやー……、四体の気配のうち、二体はこの上なんだわ」
「上? 二階か?」
「いや、造り的に平屋だろう。あの高さだと、屋根かそこらに近い場所にいる。……人間じゃないな」
「人間じゃないならなんだよ」
「……傀儡」
「なんだよそれ」
俺は思わず直政を見据え、
「知らないのか?」
と聞いた。
「馬鹿にしてんのか」
「聞いたのはお前だろう」
「……やんのかコラァ」
「阿保か」
意外だった。
美晴台が『大謁教』の本拠地だったことは公安が調べあげた。その『大謁教』は「傀儡教団」と呼ばれ、信徒に対する人体実験の嫌疑をかけられていた。美晴台出身者である穂村兄弟が、『大謁教』に関する資料を多く所持する三島要次と共に行動していたのだ。ある程度の知識を蓄えているものと、俺は自然とそう思い込んでいた。
「操り人形さ」
と俺が正直に教えてやると、直政は暗闇を見上げ、
「操り……」
と復唱した。そして続けて、こう独り言ちた。「……じだなぁ」。それは明らかな独り言で、俺は敢えて聞き返すことをしなかった。しかし俺には直政の言葉は、こう聞こえたのだ。
「俺たちと同じだなぁ」
「……あの三島って爺さんとはどういう関係なんだ?」
「あ?」
意外なことを聞かれでもしたように、直政は眉間に縦皺を刻んだ。「お前にゃ関係ねえだろ」
「ただ同じ村の出身ってだけでつるむには少々年が離れすぎてる。あの爺さんが長年追い続けてる事件の調査の為に、お前ら若いもんを顎でこきつかってるわけじゃないのか?」
俺の質問に直政は呆れた表情を浮かべ、
「お前らっていつもそうだよな」
と言った。「とにかく悪モンを作りたがる。疑うことでしか人間と向かえ合えないのかよ?」
「……違うんならいいさ」
興味のない振りをしてそう答えるも、正直、直政の言葉には痛い所を突かれた。チンピラ風情が……。
挨拶もなしに家の中へと上がり込んだ。
度を超えた行為によって常識的な観点から揉め事に発展するなら、俺としては願ったりかなったりだ。いかにもそういった一般常識の外側から襲い掛かってくる連中ばかリを相手にしていると、他人様から聞く正論は有り難すぎて感動すら覚える体質になってしまった。これはこれで、職業病だろう。
長い廊下と、整然と並んだ和室で空間を埋め尽くした典型的な日本家屋だった。
建物の四辺が廊下になっており、その内側を大小様々な大きさで区切った和室が隙間なく埋めている。そしてその和室同志がすべて襖で繋がっており、どこからでも出入りができる反面、今自分が建物内のどの部屋にいるのか、初見では絶対に迷う造りになっていた。外から見上げた巨大な屋根が示していた通り、とにかく部屋数が多いのが特徴的である。
実際、自分たちが玄関から数えて何部屋目にいるのか分からなくなりかけた、まさにその時だった。
「う……」
唐突にそいつは現れた。
襖を開けた瞬間俺は立ち止まり、背中に直政がぶつかってきた。
「なんっだよ」
「シ……」
女が、椅子に座っている。
見たことのある顔だった。
明かりのついた和室の真ん中に一脚の椅子を置き、見知った顔の女が真横を向いて深く腰掛けていた。
背筋がぴんと伸びている。
目は開いているが、眠っているようにピクリとも動かない。
その顔は間違いなく、警察署で見た看護師H、堀口だった。正脇茜の死に立ち会い、現場で手足の長いバケモノを見たと新開に語った、あの堀口である。
「こいつ、さっき……」
と、直政も気が付いて口にした。「こいつなんでこんなところに」
「俺たちより先に病院を出たんだ。先に着いててもおかしかないさ」
「いや、そうじゃねーよ……てか、寝てんのか?」
不用意に直政が室内に一歩を踏み入れた、その時だった。
「待て!」
俺がそう叫ぶと同時に、座っていた堀口の顔がこちらを向いた。
嗤っていた。
「いらっしゃい」
そう言った堀口の声は、年老いた女の声だった。
なんだ、と直政が足を止めて上体を仰け反らせた。
堀口は真上に吊られたように音もなく立ち上がると、右腕を持ち上げて直政の顔を指差した。
「随分と遅かったじゃないか、跳ねっかえりの仲良し兄弟」
堀口の言葉に、直政の両肩がぴくりと動いた。
……やはりこいつらは知り合いだったか。
俺は自分の予想が的中したことを喜ぶ気にもなれず、注意深く直政の背中を見つめた。俺たちの距離は二メートルもない。直政と堀口の距離も似たようなものだった。
誰がどんな動きをしてくるか分からない。
俺はいつでも『幽界眼』(幽眼)を開けるよう集中力を高めた。
直政が言った。
「お前がなんで俺たちのことを知ってる」
堀口が応える。
「そんな些末なことを気にする暇があったら、弟の様子でも見に行ってあげたらどうだい? 早く行ってやんないと……
……あはは」




