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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
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[89] 「新開」25


 僕が西荻文乃という女性を今も忘れないでいるように、黒井七永という女性もまた同様に、決して僕の記憶から消え去ることはない。その日、警察署内で息を吹き返した残間京が口にした名前は、今も多くの人間の脳裏に、悲しみの傷となって深く刻み込まれている。

 その黒井七永を、母である、と残間京は言った。

 年齢の話で言えば、現在二十四歳である彼女の母親として想像されるのは、四十代後半から五十代ぐらいの年齢層が一般的だろう。だがそういった常識は、黒井七永には通用しない。何を隠そう黒井七永はその名が示す通り、僕と秋月六花さんが生きるこの現代から遡ること六百年前に生を受けた、黒井一族の始祖、とされている女性なのだ。そしてその黒井七永の実姉が、西荻文乃である。彼女らはその二人ともが、決して死ぬことを許されない不死の呪いを受けていたのだ。

 永遠の命を持つ、大霊能力家系・黒井一族の祖。

 目の前に立つ残間京が、その黒井七永の……娘。

「お前、今、なんつったんだ……?」

 枯れたような声でそう尋ねる坂東さんに、残間京は苦笑して、

「どうしてそんな顔なさるんですか?」

 と言った。「……まさかお知り合いだなんて出来過ぎた話、言わないでくださいよ?」

 お知り合い所の騒ぎではない。僕と坂東さんは十年前、その黒井七永を相手になす術なく翻弄され、ほとんど何も出来ずに一方的に打ちのめされたのだ。坂東さんは大切な上司を亡くし、僕の友人は妹を失った。そして何よりも、強大すぎる霊力を持った妹・黒井七永の責任を取ると言い残し、文乃さんは自ら霊穴へと飛び込み、もろとも消え去る道を選んだのである。

「新開」

 と坂東さんが言った。

「行くぞ」

「……はい?」

「行くぞ、美晴台」

 僕は頷き、やはりそれしかないと覚悟を決めた。

「はい」

 ここへ来て、一連の事件に黒井七永の娘が現れたのはきっと偶然なんかじゃない。彼女の存在が僕たちにとって吉と出るか凶と出るか、その答えは美晴台にあるだろう。ただ一つだけ言えるとするなら、現時点で『九坊』の呪いを止められるのは、残間京ただ一人である。おそらくこの先、呪いが何度彼女を殺そうとも、その度にこうして蘇って来るのだから……。




 警察署を出て車に乗り込もうとした辺りで、坂東さんは荒々しく携帯電話を取り出した。着信の入った電話を耳に当てるか否かの距離で、椎名さん!と坂東さんは怒鳴った。いつもならまず自分の名を名乗る彼にしては珍しい対応の仕方だった。相当、頭に来ている様子だった。

「どうして黙ってたんだ!」

 と坂東さんは言った。助手席のドアに手をかけたまま彼を見つめる僕の目を睨み返し、坂東さんは椎名部長へ向かってこう怒鳴った。

「あんた、美晴台出身だったのか!?」

 そうだ。以前から僕の知り合いでもあった椎名ルチア、通称ビスケは、自らを「美晴台の出」と語った。彼女の父親は警視庁公安部の椎名部長である。僕たちが今回の件で美晴台や柳家の捜査を行っていることを、当然彼は知っている。ならば、自分がその村の出身であることをまず初めに申告するのが筋だろう。意図的にそうしなかったのであれば、その理由を疑われても仕方がない。

 だが、椎名さんの返答は、意外な内容だった。

「……いや? 何を言ってるんだ」

「何って、あんたの娘、ルチアに会った。そしたらあいつ、自分が美晴台の出身だと、そう言ったぞ。あいつだけじゃない。天正堂に属する若い兄弟や、あんたが相談を受けていたっていう娘の友人もそうだった。何故黙ってたんだ!」

「いやいや、待て、待たんか坂東。神に誓って私は美晴台出身じゃないし、娘の生まれも違う。言ったろう、あの子は少し変わってるんだ。最近まであまり話をしてくれてなかったから詳しい事情は分からんが、おそらくホームステイの事を言ってるんじゃないかと思う」

「ホ……ホームステイだァ?」

 椎名さんの話は次のようなものだった。

 ロシア人の妻との間に生まれたルチアは、子供のころから外国寄りの名前と顔を周囲から馬鹿にされ、いじめを受けていた。小学校すらまともに通うことが出来ず、それならばとガールスカウトに似た体験学習の場に送り出したのだという。同じく学校に行かれないような子供たちが集まって、自然豊かな農村地帯で助け合いながらコミュニケーションをとるのが目的の場として、当時美晴台が公的に開かれていたそうだ。

「そりゃあ、何年くらい前の話ですか?」

 と坂東さんが尋ねた。

 僕はこの時、椎名さんの話が聞こえていたわけではなかったが、坂東さんの反応を見る限り、良い話ではないのだろうと腹をくくっていた。坂東さんと椎名さんとの間で交わされた会話は、後に坂東さんから聞いた限りでは、以下のようなものだった。

「もう二十年近く前だよ。そんな昔の話を、あの子がいまだに覚えていて、今でも誰かに話して聞かせるなんて、いくらなんでも思いもよらんよ」

「家には戻らず、美晴台で寝起きしてたってことすか?」

「そうだ。確か三年ほどは村で暮らしていたと思う」

「三年も……?」

「たった三年じゃないか。それがなんだって今頃。あの子は一体何を考えて……」

「どこです?」

「何がだ」

「そのホームステイ先ってどこすか。まさかあんた、柳家だなんて言いませんよね」

「違うさ。確か……ああ、もう、昔の話なんだ。突然言われたってそんな、なんだっけなぁ。……ああ、そうだ、確か、ミヤマだか、ミシマだかいったはずだ」

 見開かれた坂東さんの充血した目が、僕を睨んだ。

「それよりも坂東、私がお前に連絡した理由だよ」

「……はい」

「聞いてるのか? お前が言ってた井垣哉子の件だがな、どうもおかしいんだ。彼女、ここしばらく急病てずっと仕事を休んでるぞ。R医大に単独で現れたって話は、嘘なんじゃないか?」

「いや、嘘ってそんな。そんなわけないと思いますけど」

「室長であるお前に相談がいかない筈はないんだが、井垣は確か有紀班だろう。今となっては何とも言えんが、有紀にはなんらかの連絡がしてあったのかもしれんな」

「まあ、そうかもしれませんね。で、井垣は平気なんですよね、もう」

「いや、まだ駄目らしい」

「病気ってなんです? ……まさか」

「いや、足の筋肉が急激に衰えていく、なんとかっていう珍しい病らしくてな、リハビリが必要らしい。しばらくは戻って来れそうにないような話ぶりだったぞ」

「話したんすか?」

「当たり前じゃないか」

「はあ。じゃあ、一人で出歩くなんてこたあ、物理的に無理なんすね?」

「松葉杖があれば歩行は可能らしいが、仕事は無理だろうな」

「分かりました」



 坂東さんが電話を終えたタイミングで、ビスケさんと穂村三兄弟、そして残間京が僕たちに追いついて来た。坂東さんの血走った目が、誰ともなしに全員を睨みつけた。

「俺たちも、行くわ」

 と言ったのは、穂村直政だった。いつものいかつさは鳴りを潜め、どことなく弱っているよつな気配だった。

「行くって、どこへ」

 尋ねる僕に、光政が答える。

「美晴台だよ。……行くんだろ? 今から」

 僕は坂東さんと顔を見合わせ、彼の判断を待った。正直僕は、同好など必要ないと思った。あえてこの場で口にするからには、穂村兄弟だけでなく妹のまみかさん、そしてビスケさんと残間京まで付いてくる可能性があった。それはそれで、言いたくはないが足手まといだ。

「どうして」

 と坂東さんが尋ねた。

「世話になった人間がいる」

 とビスケさんが答えた。「あの村で何かが起きていて、京の事とも関係があるんなら、私らは見て見ぬふりは出来ないんだ。それに、あんたらはもう知ってるんだろうが……こいつらにも」

 ビスケさんは背後に立つ穂村兄弟を振り返り、

「やるべきことがあるから」

 と言った。

 坂東さんは煩わしそうに溜息を付き、

「……全員は乗せられん。お前らは別の車で迎え。現地集合だ」

 と答えた。

 光政は苛立ちの浮かんだ顔で舌打ちし、直政は黙って頷いた。小さな子供を抱えたまみかさんは、出来れば来ない方が良い、と僕が忠告すると、幾分兄弟の雰囲気は和らいだ。僕はそのままビスケさんと残間京も残ってくれないかと期待したが、やはりそう上手く事は運ばなかった。

「じゃあ、後でな」

 とビスケさんが手を振り、僕は曖昧な笑みを浮かべて会釈を返し、車に乗り込んだ。

 車に乗り込んだ瞬間、

「新開」

 と坂東さんが言った。

「今のうちに出来るだけ資料を読め、もう時間がない」

「分かりました」




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