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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
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[88] 「めい」7


 病院のベッドで目が覚めた時、何故自分の身体がこんなにも重たいのか理解できなかった。思い出せる一番最近の記憶は、美晴台での出来事だ。得体の知れないバケモノに襲われたことだけは、今でもはっきりと覚えている。姉が側にいたことで私は事なきを得たはずだが、記憶がぼやけたように曖昧模糊としており、ことの詳細を鮮明に思い出す事はできなかった。

 恐ろしいことが起きたはずなのだ。しかし幾日も経っていないはずなのに、記憶は蘇ってこなかった。

 枕元にあるナースコールのボタンを押そうと右手を動かすと、カサコソとどこかで音がした。音を頼りにまさぐると、丁度枕の下辺りで封筒らしきものに指先が触れた。抜き取ってみると、

「……あ」

 それは私が姉宛に出した手紙だった。姉とともに美晴台を訪れた際、最初に立ち止まった郵便局のポストから、仕事関係の書類だと偽りこのR医大病院宛に出した、あの時の手紙である。

 姉は、いつも忙しくしている。感謝や正直な気持ちを伝えようにも、正面切って話をするには恥ずかしいし、かと言って自宅に手紙を出すのもおかしい。それに家だと他の郵便物に紛れて、発見されないまま捨てられてしまう可能性だってある。宛先をR医大としたのは気まぐれだったが、どうやら正解だったようだ。ちゃんと姉の元に届いたらしい。

 と思いきや、

「……あれ」

 手にした封筒はまだ未開封のままだった。

 名前が秋月となっている為か、私への手紙だと勘違いされたのかもしれない。それはそれで不幸中の幸いだ。全く関係のない人のもとへ届くよりは、手元にある分だけましというものだ。

 この手紙を書いたのは、美晴台へと向かう日の前日だった。

 遺言書を書いたつもりはないが、書いてるうちになんとなしにそうとも読み取れる文章になってしまい、何度も書き直した。職業柄他人が書いた文章なら読み慣れているはずが、いざ自分で書くとなるとやはり難しいものだ。

 普段から姉を「お姉ちゃん」と呼んでいることもあって、正直な気持ちを伝えようと心掛けると子供っぽくなってしまう。かと言って四角四面な文法だけを用いれば、美辞麗句を並べ立てただけのスカスカな手紙になりかねない。

 私は、姉に本当の気持ちを伝えたいのだ。

 私がどれだけ感謝しているか。

 どれだけ毎日が幸せであるか。

 どれだけ、姉を愛しているかをだ。

 美晴台へと向かう前日というのは、姉もどこかピリピリとした雰囲気があって、怖いわけではないが、話しかけるべきではないのだろうと感じ、手紙をしたためることに決めた。

 内容は、なるべく今回の呪いについて触れないよう努めた。

 きっかけはもちろんこの一連の事件があってこそなのだが、私が常日頃から思っていた姉への気持ちは、『九坊』という名の呪いとは一切関係がないからだ。

 思えば、私は本当に姉に良くしてもらった。

 今年で二十六歳になるが、いまだに姉は私を中学生だと思っている節がある。世間的にはアラサーでもある私は、時に腹を立てたフリをしながらそういった姉の優しい手を振り払おうとしてきた。

 仕事帰りに、側まで来たから一緒に帰ろう、などという誘いはまだ可愛いもので、ある時などは朝方テレビを見ていて、小雨程度の天気予報にも関わらず「車で送って行こうか?」と心配されたこともある。いくら姉の職業が時間的に融通が利くと言ったところで、小雨である。『はじめてのおつかい』だって傘くらいは挿すというのに、姉は車を出そうとしてくれた。またある時は、寝起き様に体調が優れない私の顔色を即座に読み取り、職場の上司へ電話をかけようとしてくれた。聞けば、休みの申し入れが出来ず私が無理をするだろうと予想し、先回りしたのだという。この時はさすがに、本気ではないにせよ、怒った。もしからしたら、少し強い言葉を使ったかもしれない。姉への怒りなどほとんどなかったが、これでは社会人として私がダメになる、という私なりの自立心のあらわれだった。

 だが体調がすっかりよくなった後や、改めて姉の優しさを思い返した時などは、私はいつも静かに泣いていた。心底、嬉しかったのだ。

 姉の優しさにはいつも、めいの側には私がいる、という意思表示が感じ取れたから。

 そこにある理由や動機などは正直なんだっていい。もののついででも、思いつきでも、たまたまでもいい。身寄りのない私の側にいてくれる理由が、たとえ本当は損得勘定だったのだとしても、それを巧妙に隠し通してくれるなら私は一向に構わない。

 何故なら、家族でいてくれるだけでありがたかったから。

 この世の中で、たった一人きりで生きていかなくちゃならなかった私の手を握ってくれたのが、秋月六花で良かったと本当にそう思う。そこに聖人君子のような立派な理由など必要ない。本来なら私がどれほど求めようと手に入る筈のなかった、素晴らしい家族が、最初から隣に立っていてくれたのだ。こんなに嬉しいことは、他にない。

 私はそのことを、なんとしても姉に伝えたかった。

 うまく手紙に書けたという自信はないし、最終的には馬鹿の一つ覚えみたいに同じ言葉を書き連ねてしまった。またきっと、姉は私を子ども扱いするだろう。

 鼻から溜息を逃がし、髪の毛をかき上げて苦笑し、大好きな珈琲を飲むだろう。

 私は姉が大好きだ。

 例え『九坊』にこの身が引き裂かれようとも、それは永遠に失われることのない、真実だ。




 病室の扉がノックされ、女性看護師さんが顔を覗かせた。

 天井を見上げていた私と目が合い、看護師さんは慌てて隣の部屋へと駆けていった。

 やがて希璃さんが現れ、そしてまぼちゃんと一緒に姉が入って来た。

「お姉ちゃん……」

 私が両腕を持ち上げて迎え入れると、目に涙を浮かべた姉が抱きしめてくれた。

「めい」

「ごめんね、お姉ちゃん」

「ごめんよ、めい」

 もし私が死ぬのなら、姉の腕の中がいい。

 その願いが叶うなら、私はもうこれ以上姉に無理をしてほしくないと思った。

 もうこれ以上、私は生き永らえるべきではないのかもしれない……。






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