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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
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[81] 「坂東」18


 聞いた話だが、あの日、R医大病院で三神三歳が自ら病室を抜け出した時、その様子を目撃した新開水留は人目も憚らず、「どうして」と絶叫したそうだ。有紀優と斑鳩千尋の死に直面して尚ぎりぎり己を見失わずに踏み止まれた男が、三神のオッサンが記憶を失ったと知った瞬間、泣き叫んだ。

 新開は後に、その時のことをこう述懐している。

「恥ですね、あれは」

 恥。奴はそう、はっきりと断言したのである。

「命の重さに貴賤はないし、優劣なんてない。いや……まあ、世の中的に言えば実際はあるのかもしれませんが、僕はそんな風には考えられません。生きてそこに立っている三神さんを前にして、まるで何かを失ったかのような態度をとったのは、僕の完全なる未熟さゆえでした」

 有紀や斑鳩は死んで、三神のオッサンは生きている。死んだ人間を前にして出来たことが、三神のオッサンの前だと出来なかった。自分の感情を制御できなった、そのことを奴は恥だと言っているのだ。

 正直、奴の考え方も分からないではない。ただ、馬鹿だな、とは思う。あるいは、不器用すぎると感じる。命の重さがどうのこうのといった話は俺にもよく分からないが、要するに生真面目すぎるのだ。自分が世話になった人間から、思い出の一切合切が消滅したのである。泣き喚く行為は確かにどうかとは思うが、恥じるほどのことでもない。少なくとも他人にそれを責める権利などどこにもない。当人同士の間にどれほど深い絆があったのかなど、決して他人には理解出来ないからだ。

 だがそれでも、新開は自分を恥じた。そしてその証拠に、二日間の眠りから覚めた後も奴は三神のオッサンと会おうともせず、オッサンの残したノートに齧りついた。

 やるべきことが分かっているなら、自分の気持ちなど二の次にして、まずやるべきことをやれ。

 おそらくだが、三神のオッサンからなにかそう言った教えでも受けていたのではあるまいか。新開の行動を見ていて、俺はそう思った。本来ならば眠りから覚めた後、三神のオッサンの手を握って、

「よくぞ生きていて下さいました」

 と言って泣いても良かったのだ。普通は、そうするものなんじゃないだろうか。

 しかし新開は師匠のもとへと向かわず、目の前の事案に没頭することで己の失態を取り返そうとしていた。そこにあるのはきっと、愚直なまでの正義感だ。そして己で課した使命感だ。誰に仕込まれたわけでもない、奴が自分自身でおっ立てた信条の旗が、奴の心の中にははためいているのである。


 目の前にいる人さえ救えないのなら、もう僕はこんな仕事をこれ以上続けていかれない。


 奴はそう言い、俺の目の前で泣いた。

 それはきっと、死んだ相手が残間京だったから、ビスケの友人だったから出た言葉ではないのだ。新開水留とは、根っからそういう男なのだ。




 警察署へ駆けつけたビスケが、新開の胸倉を掴んで廊下の壁に背中を叩きつけた。

 俺は間に割って入ろうとしたが、激しい感情をむき出しにして泣くビスケを見つめ返す新開の顔を見た時、きっとこれは奴自身が望んでいる責苦に違いないと直感した。

「すみませんでした」

 と新開は謝った。

 もちろん、残間京の死に関して新開に落ち度はない。だが、そういう問題でもないのだ。

「何がすみませんなんだよ、新開。約束が違うじゃないか」

「すみませんでした」

 尚も新開は言い、ビスケは吠え、戸川まみかは「どうして」と言って廊下にしゃがみ込んだ。

 ビスケと戸川まみかにも報告が行き、残間京の遺体が引き取られた警察署へ彼女らが駆け付けたのはその日の夜だった。残間京の突然死に際し、検死が行われようとしているのだ。死因は首の傷からの出血性ショックとなるか、あるいは不明と診断されるかもしれない。呪いで死んだなどと言えるわけがないし、この後司法解剖に回されることになるだろう。まだ遺族にも返せない異例のタイミングで二人に報告を行ったのも、新開のたっての希望を俺が受け入れた形である。感謝されてもいいくらいなのだが、冗談でもそんな言葉を口に出せる雰囲気ではなかった。

 するとそこへ、

「なにをやっているんですか?」

 と声を掛けて来るものがあった。

 見れば、若い女がこちらを向いて立っていた。先を歩く検察官や医師の背後で立ち止まったらしいその女は、新開の顔を見るなり、「あ」と言いたげな顔で口を開いた。

「……」

 新開も同様に、軽く目を見開いて鼻から息を吸い込み、ぎこちない会釈を返した。

 聞けばその女はK病院の看護師で、名を堀口と言うそうだ。堀口は、検察官が行う検死に立ち会う医師の助手として署に訪れており、今まさに先を行った医師や検察官とともに残間京のもとへと向かう途中だったのだ。

 堀口とは、そのまま特に会話もなく別れた。ただ水を差された形となったビスケは怒りのぶつけ所を見失い、新開から手を離して廊下の壁を蹴った。おい、とたまたまそれを見ていた別の巡査が咎めるも、振り返ったビスケの美貌にはっと息を呑んだだけで終わった。

「誰なんだ、今のは」

 俺が堀口に対して尋ねると、新開はK病院における有紀の様子を教えてくれた看護師だ、と答えた。本当はもう一人、日誌にMと記している別の看護師がいるらしいが、より重要な情報を話してくれたのは先ほどの堀口、日誌にHと書いていた看護師の方だった、という。

「あの看護師、有紀に会ってんのか」

「そうです。しかも彼女、正脇茜の死亡現場に居合わせた看護師なんだそうです」

「ああああ……そう言われてみれば、俺もニサン話を聞いたかもしれんな」

「それに彼女、有紀さんに相談していたそうなんですよ」

「何を」

「彼女、見たと言っていました」

「……見た?」


 手足の長いバケモノが、正脇さんの頭を持って……そのまま引きちぎったんです。


「本当に、そう言ったのか」

 新開は頷き、その時は霊感の強い看護師が味わった恐怖体験として話を聞いていた、と語った。その後有紀の自殺体に出くわしたことで有耶無耶になってしまったが、本来であればK病院にて事情聴取を行う筈だった、重要参考人のうちの一人だったという。


 兄さん!


 驚いて振り返ると、廊下で蹲る戸川まみかの側に穂村兄弟が立っていた。補導されてきたチンピラにしか見えないいつもの出で立ちだが、その顔は見た事もないほど暗く沈んでいた。ビスケが、握った拳を、兄・直政の胸に叩き込んだ。

「駄目だったよ、ナオ」

 美晴台出身者としてのつながりを、いささかも隠そうとしない物言いだった。

 しかし直政の方はそうでもないらしく、愛称で呼ばれたことに敏感に反応し、見守る俺や新開の顔をギロリ睨み返してきた。光政はひどく落ち込んでいる様子で、妹のまみかの背中を優しくさすっている。

「なんでお前らがいんだよ」

 と、直政が言う。

「私がパパに頼んで、ケイの相談に乗ってもらう筈だったんだ」

「ビスケさんが? なんでこいつらを」

「この眼鏡さんがパパの部下なんだ」

 チョウジの、と直政はつぶやくが、ビスケはピンと来ない顔をしていた。

「人数が増え過ぎた。場所を変えよう」

 俺がそう提案し、

「指図すんじゃねえよテメエがよお」

 と直政が牙を剥いた、まさにその瞬間だった。


 ……ゲエッホ。……グ、グエエ。


 穂村光政が顔面を手で覆いながら激しくえづいた。


 ……グ、グセエ。


「おい。おい、どうした光政」

 尋ねる兄を見上げ、光政は涙を零しながら答えた。

「超クセえよ兄さん。やべえ、……ここはやべえよー」


 ドオオオン。

 突然轟音が響き、俺たちの足元が激しく揺れた……。




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