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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
77/146

[76] 「坂東」16


 シンカイ……?


 名を呼ばれた新開は暗がりの中で目を凝らし、首を突き出してその女の顔をまじまと見た。

「……あ、え、ビスケさんですか?」

「おおー、新開、新開、ご無沙汰ー」

 女は突然立ち上がると、ぶかぶかのコートの袖を持ち上げて新開の首筋に両腕を回した。

「ビスケ?」

 俺は人違いかと思い、そう尋ねた。椎名さんからは娘の名を「ルチア」だと聞いていた。すると新開にビスケと呼ばれた女はハグを解くと、右手を挙げて腹立たしいほど軽い挨拶を俺に寄越した。

「いや、あってるよ。椎名ルチア。ビスケってのはバンドやってた頃のあだ名みたいなもんなんで、どっちで呼んでもらってもかまわないから。いやあ、パパから有能な部下が来るって聞いてたけどさあ、まさか新開が来るなんてねえ。不思議な縁があるもんだねえ、なんていうかさぁ、気持ち悪いねえ」

 気持ち悪いと言われた新開は珍しく肩を揺らして笑い、「そうですね」と答えた。

 聞けば二人は以前から知り合いであるらしかった。というのも、先程新開から聞いた『音楽をやっている友人』がこの小屋を利用していたことを切っ掛けにして、この小屋のオーナー(!)である椎名ルチアと知り合いになったそうだ。一度しか訪れていないと言うからには、おそらくその『音楽をやっている友人』とやらを介しての繋がりらしいが、ビスケという名前でしか認識していなかった為、実際に会うまではこの女が椎名さんの娘である事に気付かなかった、ということのようだった。

 俺としては新開の交遊関係になど興味はないし、どうでもいい。だがヘラヘラと酔っぱらったような動きのこの女が、椎名部長の娘だという事実にはどうしたって合点がいかない。どこからどう見ても、このルチア=ビスケという女が日本人に見えないのだ。おそらくロシアかその辺りだろう。

「あんた、本当に椎名さんの?」

 思わず尋ねた俺を見上げ、

「……なんで?」

 と不信感を浮かべた目で女は聞き返した。

「変わった名前だとは思ってたが、まさか椎名さんの奥さんが日本人じゃないなんて聞いたことがなかったもんでな」

 すると女は真顔で「ふーん」と言い、

「さてはおぬし、パパから信用されておらんな?」

 とぬかしやがった。

 俺の顔を見て空気を読んだ新開が、ビスケの両肩に手を置いて「いやいやいや」と避難させる。

「ところで新開、最近『リュウジ』さんたちと会ってる?」

 俺のことなどお構いなしに内輪話を始めようとするビスケを、

「いや、最近お会い出来てません。それであの、ビスケさん、なにか困った事になってるとお聞きしたんですが?」

 と、新開がこちら側の用件へと誘導する。俺はもう黙っていることに決めた。喋れば腹が立つだけだ。しかしビスケは思いの外神妙な面持ちになって、

「うん、まー」

 と曖昧な返事で頷いた。「……中で、話そうか」




 案内されたのは、出演バンドの楽屋件兼スタッフルームと呼ばれる部屋だった。今夜もこの後ライブがあるらしく、そこらへんをトチ狂った格好の若者たちが我が物顔でふらついている。俺は正直こんな場所でまともな話をする気になんてなれなかったが、ビスケの落ち込み様は確かに本物に見えた。するとビスケは側にいた若い女に耳打ちした後、楽屋にいた数名のバンドマンに手を合わせてお辞儀し、全員を外へと追い出した。やがてそこへ、もう一人若い女が現れた。小さな赤ん坊を抱いた、こちらも派手な顔つきの女だった。俺と新開はただ無言でソファに座って成り行きを見守っていたが、ビスケとそのもう一人の女が俺たちの前に座った事で、ようやく場が整ったことを知った。

「えー、こっちが新開水留、でこっちの眼鏡さんが……なんだっけ?」

 と、どう足掻いても腹の立つビスケが俺を見つめながら首を傾げた。綺麗な顔をしている分余計に腹が立った。俺が舌打ちし、仕方なく名を名乗ろうとした瞬間、

「……シンカイ?」

 赤ん坊を抱えた派手な女の視線が、またもや新開へと移動した。

 ああ、もう、勝手にやってくれ。

 俺が呆れてソファへ背中を預けると、

「あ、すみません。戸川まみかと申します」

 と意外にも丁寧な挨拶が返ってきた。俺は弾んだ拍子にソファから体を起こし、「坂東です」と名乗りを入れた。あ、そうそう、バンドウバンドウ。もごもご言うビスケはこの際無視することにきめた。

「新開さん、なんですか?」

 戸川まみかと名乗った女の目が再び新開を見据える。だが今回は新開にも心当たりがなさそうだった。

「……以前、お会いしましたか?」

 尋ねる新開に戸川は頭を振るも、

「兄たちが、いつもお世話になっています」

 と予想外の返事を口にした。

 新開の目が俺を見た。その目には明らかな不安が浮かんでいた。

「兄……たち?」

 語尾を上げる新開に、戸川は腕に抱えた赤ん坊をヨイヨイとあやしながら、

「結婚して戸川になりました。旧姓は、穂村です。直政と光政の、妹です」

 そう言ってペコリと頭を下げた。

 新開が物凄い勢いで俺を見やり、俺は眩暈を感じて再びソファに体を倒した。




 話を聞けば実のところ、心霊現象に悩んでいるのは目の前のビスケでも戸川(旧姓穂村)まみかでもなかった。ここにはいないもう一人の友人とやらがその被害者であり、事情をよく知る戸川まみかが顔の広いビスケに相談を持ち掛けた、という流れであるらしかった。ビスケが言う。

「私、前にバンドやってたの知ってるでしょ。その頃からのファンだって言ってくれる子がいてね、前からうちの小屋にも来てくれるようにもなってて、ずっと仲良くはしてたのね。私は新開と同じ三十だけど、まみかとそのもうひとりはまだ二十……四? とかそんなんで。だけど、今回私が動いてるってのは知らせてないんだ、もの凄く気をつかう子だしね。今日ここへ呼んでないのは、それが理由なの」

 傍で聞いていて、話の本筋が全く頭に入って来なかった。何故話の途中で年齢を明かしたのか理解に苦しみ、その先を聞き逃した。

 はあ、と新開は覇気のない声で頷き、そのまま戸川へと視線を移す。

「ええっと、じゃあ、実際の被害内容というのは戸川さんにお伺いした方が……?」

「はい」

「具体的には、何があったんです?」

「その子、名前をザンマケイって言うんですけど、霊感があるみたいなんです。私もですけど」

 穂村兄弟の妹であるからには、その可能性は大いにあるだろう。

「それで?」

「ずっと側に誰かがいる、って言うんです」

「側に……誰かが」

 憑き物か、あるいは出先から浮遊霊を連れて帰ってきたか、どちらかだろう。もちろん、そのザンマなにがしの言っている事が本当だと仮定すればの話だが。

「霊感があると仰いましたが、見えてはいないんですか? 感じるだけで?」

 尋ねる新開に、戸川は頷く。こうして眺めている分には、あの暴力兄弟の妹には見えない。派手な顔つきなのは、どうやらメイクがそう見せているだけらしい。

「ずっと、こう、このあたり、右斜め後ろに立っているような、そういう気配らしいです」

「何かをされるということは? 例えば、ボソボソと何かを語り掛けててくるだとか」

「んんー、どうなんだろう、そこまでは」

「では……」

 なんとかしてくれるよな?

 突然ビスケが割って入って来た。話の腰を折られて新開は面食らいながら、身を乗り出しているビスケを見つめ返した。

「なんとかって……」

 新開としては二つ返事でOKしたい所だろう。だがこいつも馬鹿じゃない。今がどういう時なのか身に染みて分かっている筈だ。新開は俺にすがるような視線を寄越したが、俺は無視して楽屋の壁に書き殴られた、汚い落書きを見るともなしに見た。新開が言葉を選びながら、言う。

「ビスケさん、戸川さん、もちろんお話をお伺いすることは出来るのですが、今すぐにはどうしても……」


 おい。


「……え?」

 新開だけでなく、三人が揃って俺を見た。しかし俺は、壁の落書きを見つめたまま目が離せなかった。

「あれを書いたのは誰だ」

 と俺は聞いた。壁のある一点を指さしてそう言うと、ビスケが立ち上がってその落書きに近づいた。

「……ああ、いや、これはだから」

 そこへ戸川まみかも歩み寄り、腰高の位置に書かれた汚い落書きを覗き込む。「……ああ」

 ビスケが俺を振り返って答えた。

「ケイだよ」

「なに?」

「これを書いたのは、ザンマケイ。今話してたツレが書いたんだ。よく分かったじゃん、本当に有能なんだね、眼鏡さん」

 新開が立ち上がってビスケの背後に近づき、壁を見下ろした。

 そこにはこう書かれている。



 ……マイ、ファッキン、ミハルダイ。



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