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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
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[75] 「坂東」15


 個人的な話で言えば、大謁教という宗教に悪いイメージを抱いたことはなかった。だからといって教団を庇う気など毛頭ないが、俺が子供の頃にはまだ両親は信仰をやめていなかったから、教団自体が潰えた後も信じるに値する教義があったことだけは間違いないのだろう。

 身近な宗教だったからこそ、正直、人体実験などと言われてもピンとこない。俺は職業柄、数多くの人間から様々な話に耳を傾けて来た。突拍子もない発言という意味では、もっともっと理解不能な証言を聞いてきた。そういう意味では、宗教を隠れ蓑にした犯罪やいかがわしい実験がどうのと言われた所で、『ひとつの情報として機械的にメモして終わり、裏を取るまでは何も信じない』、と考えても不思議ではなかった。ただ、これまでの調査と決定的に違うのは、一般人に戻って三十年以上経つにも関わらず、現役と変わぬ匂いを放っているあの三島老人の存在だった。

 まさしく人生をかけた長年の捜査が、大謁教、裏神天正堂、人体実験、洗脳、それらを一本の糸で括り上げ、さらには因縁の地である美晴台に縫い付けようと、後一歩のところまで差し迫っているのだ。そこにあるのは強烈なまでの執念である。もしも俺の隣で壱岐課長が話を聞いていたら、三島老人との邂逅を泣いて喜んだことだろう。

 三島老人の目的が過去の事件を明るみに出すことなのか、個人的な復讐を企んでいるのか、それは俺には関係のないことだ。だが彼の存在そのものが、美晴台、そして大謁教の関与する悪事を確かなものとして俺に信じ込ませたことだけは間違いない。

 新開が腕に抱えた茶封筒の中にある資料とやらを今すぐ読みたかったが、やるべきことは他にもまだあった。台湾から来たというツァイ・ジーミンなる霊能者がR医大に巣食う霊障を抱え込ん出でる隙に、何としてでも正脇汐莉の所在を突き止めるつもりでいるのだ。

「新開、ツァイの結界はどれぐらい持つと思う。お前の見立てでいい」

 都内へと戻ってきた辺りで、新開にそう聞いてみた。R医大には三神幻子が留まっているが、俺たちが好き勝手に動ける時間の猶予がどの程度なのかを知っておく必要があった。ツァイの仕事仲間だという幻子に聞くのが筋なのだろが、俺も新開も、どこへ行くとも何をするとも言わずに病院を出た手前、そのタイミングはなかったのだ。

「幻子の話でしか知りませんが、ツァイという男性は、台湾ではかなり古くから続く高名な家系らしいんです」

「有名人なのか?」

「あくまでもその筋では、そうなんでしょうね。チョウジには海外特派員もいるじゃないですか、ご存知ないんですか?」

「さあ。で、どうなんだよ。てこたぁ、そこそこ粘ると思うか?」

「体内に霊障を取り込むという状態がちょっと想像つきませんね。普通に考えたら一分だって持たないですよ。だけど何か特別な方法があるんでしょうね、彼なりの」

「誰にだって出来るんなら、三神のオッサンだってそうしてるだろうしな」

「ええ。結局その、彼なりの様式に縛りや制限があるかないかでしょうね。例えば考えられるのは、時間とか、回数です」

「なるほどな。……単純に力負けするってことはないのか」

「一度でも押さえ込めたら、あとはどれだけその状態を保持出来るかなので、理由もなく内側から溢れ出て来るとかはないと思います。普通の考えが通用するなら、ですが」

「何にせよ危ういな」

「そう思います。……ところで坂東さん、先程の話の続きですが」

「お、電話だ」

「……」

 きっと新開は、こう尋ねたかったのだと思う。かつて俺を殺し、そして二神七権が流れを逸らした『九坊』の呪いは、その後誰に伝染して行ったのか……。俺は二神の爺さまが別の誰かと呪いを移したのだ、と答えた。だがそれは言い換えれば、二神七権が意図して誰かを殺した、と言う意味にも受け取れるのだ。新開が疑問に思うのも無理はなかった。

「坂東」

 電話の相手は、またもや椎名部長だった。

「今いいか」

「はい」

「こないだの件なんだがな、急を要する事態になった。都内にいるなら、話だけでも聞きに行ってもらえないか」

「え」

 おそらくあれだ。椎名さんの娘が友人から相談を受けているとかいう、心霊現象の話だろう。もちろん俺はそういった事件の捜査のため、チョウジに席を置いてる。だが今はどうしたって、それどころではない。

「いやー、今はマズイですって。椎名さんの情報が今回の事件にかなり有益だったんですよ、もう今から追い込み掛けたって遅いくらいですけど、正直今の今が正念場ってやつですから」

「捜査してくれとは言わんよ、だから。話を聞いてアドバイスしてやってくれるだけでいいんだ。移動の最中にちょっと顔だけ出せないか、その、有益な情報に対する見返りってことで」

「上司が部下に見返り求めるんすか!?」

「何言ってんだ、それが普通の仕事だろう。俺はお前に命令したっていいんだぞ」

「……了解」

 俺はあえて電話を切る前に舌打ちし、隣で新開が慌てる様を横目に睨んだ。「予定変更だ」

「え?」

「意地だけは通すがな」

 



 先に所用を済ませた後、椎名さんから聞いた待ち合わせの場所へと向かった。所用とはつまり正脇汐莉の借りていたとされる部屋への再訪だったが、やはり空振りだった。あの部屋へ正脇汐莉が戻って来ることは、もう二度とないのかもしれない。

 そこは都内某所にあるライブハウスで、名を『ニッケルフロア』といった。音楽を聞かない俺には全く馴染みのない場所だが、新開は一度だけ来た事があるという。一見して地味な雑居ビルだ。入り口は狭く、敷地と道路の境目に申し訳程度の小さな看板をイーゼルに乗せて出している、いわゆるインディーズ系の箱なのだという。時刻は午後五時を回っていた。

「お前には似合わんな」

 煙草の吸殻とビールの空き缶が彩る外観を眺めながら俺が言うと、新開は素直に頷いた。

「自分でもそう思いますよ。音楽をやってる友人が一人いて、彼のバンドのライブを見に一度来たきりです」

「ほう、お前にそんな派手なご友人がね。そりゃまた似合わんな」

「なんとでも言って下さい」

 細く狭い階段を地下へ向かっており、暗いコンクリの階段を踏み外しそうになりながら半周ほどした所で、その女と出くわした。女は、ライブハウス入口の扉の前に小振りな机と椅子を置いて座り、チケットのもぎりをしていた。寒いのか、オーバーサイズの白いモッズコートを羽織っていた。小柄ではなさそうだが、コートに埋もれているせいで子供のようにも見えた。地上から降りて来た俺と新開に気が付くと、女はやや警戒心の強い睨むような目でこちらを見上げてきた……。

「坂東だ。こっちは新開。あんたが、椎名さんの娘さんか?」

 女は派手な口紅を引いた唇を開き、何かを言いかけた。だがその目が俺から新開へと移動し、

「……シンカイ?」

 思いがけず、そう聞き返したのである。



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