[72] 「新開」20
整理する時間がほしかった。
情報でも、それを処理する頭でもない。
自分の心の中をだ。
天正堂という『組織(個を重んじる仕事人の集まりとは言えども)』に対して頭から信頼する気持ちなど最初からなかったし、六花さんから「後暗い過去を持つ」と言われた言葉を思い出すたびに考えていたのは、僕や家族に火の粉が降りかからないか、それだけだった。しかし三島さんの話を聞き終えた僕は、自分でも予想出来なかったほどの衝撃を受けていることに気づいた。確かに、心のどこかにある何かが傷ついたのだ。それが自分の属する屋号への無自覚な愛情なのかプライドなのか、そこまではわからない。
よくよく考えてみれば、『裏神天正堂』を名乗っていたかつての団体はもう存在しないわけだし、僕の良く知る二神さんや三神さんが人体実験なんかに関わっているはずもない。だが嫌なのは、犯人が今回の『九坊』を発動させた原因として、過去から現在まで続くそれらの因縁が関わっていた場合、僕は疑いたくない人間にまで調査の目を向けなくてはいけなくなるのだ。
「……おい。おい、聞いてるか!?」
椎名さんとの電話を終えた坂東さんが声を荒げた。僕は窓の外を見ていた視線を運転席の坂東さんへと移し、
「人体実験てなんでしょうか?」
と聞いた。
「……それは、その受け取った資料を見れば分かるんじゃないか?」
「坂東さんは、なんだと思われます?」
「お前は?」
問われ、僕は三島さんから受け取った資料の入った封筒を胸に抱えた。
「……傀儡、ですよね。やはり」
「だろうな」
「今回の犯人が、天正堂にいるという可能性も考慮しなくてはいけませんね」
僕が前を向いてそう言うと、坂東さんは鼻で笑い、「無理すんな」と言った。
「無理とかそういう話じゃなくて」
「お前が自分の家族を疑えるわけないだろが。まあ聞けよ。一般的に傀儡と言えば後ろに黒幕がいて、自分の手を汚さず、意のままに第三者を操るってのを想像するもんだろう。もし、大謁教がそれを行っていたんだとしても、それは俺たちの考えている傀儡とはちいとばかし違うかもしれんぞ?」
「……霊的な作用ではない、と」
「ああ」
坂東さんは言う。「広域超事象諜報課は椎名さんの発案を元に組織された新参部隊だ。だが発足後は情報収集の一環としてかなり大がかりに歴史を遡って色々と知らべた。古くは江戸時代から、当然、戦前なんかもそうだ。もし、大謁教が存在した四十年以上前に天正堂が霊的な助力を貸し与え、いわゆる俺たちが言う所の傀儡を用いていたなら、あるいはそれを使役して何かを企んでいたなら、あれだけの組織だ、何一つボロを出さないなんてことは不可能だ」
「人々の目撃証言だって出るでしょうし」
「そうだ。お前が抱える資料がその何よりの証拠だろう」
「確かに」
「それに、これは確認しないとなんとも言えんが、当時の天正堂トップがもし二神の爺様だったんなら、大謁教に力を貸して傀儡を使役するなんてことはありえないさ」
「はい」
ホッとして頷く僕に、坂東さんが言った。
「ただ、だからと言って大謁教が無関係だって話にはならない。そこに、俺たちの探してる誰かがいるんだ」
坂東さんの言うその誰かが、僕には「柳菊絵」に聞こえて仕方なかった。だが僕は敢えてそこには触れず、話の矛先を変えた。
「坂東さん」
「……どうした、なんだよ改まって」
「その、二神七権さんですが」
「ああ」
「何故、下界へ降りて来られたのでしょうか」
「……なんだよ急に」
僕はこれまで、話の折に二神さんの名前が出る度ずっと気になっていたことを正直に打ち明けた。そしてまた、二神さんに偶然町で出会った相手が坂東さんであったことにも、必然に似た、目に見えない理由が介在してるのではないかと思うようになっていた。そこにある目には見えないものこそが『九坊』なのではないかと、今の僕にはそう思えてならないのである。
「つまり二神さんは、坂東さんのために、あの家から出てこられたんじゃないかと……」
しかし坂東さんは大笑いし、
「んーなわけあるかぁ!」
と否定した。
「だって、かつて九坊を受けた坂東さんを救ったのも二神さんですし、この状況をいち早く察知されて、再び魔の手が迫る前に……」
「魔の手」
「……」
「そりゃあ、俺が加藤塾でお前に言って聞かせた話か?」
「そうです」
坂東さんは以前、自分にも既に呪いを受けた『印』がついている、呪いを受けた兆候が出ていると僕に打ち明けたのだ。そして自分が周囲に呪力を撒き散らす前に、霊道へ落とせ、と僕に迫りもした。
「坂東さんは、二神さんによって命を救われたわけではないのですか……?」
「救われたさ。……ご覧の通りだよ」
「じゃあなぜ、今になって九坊の呪いが、坂東さんに?」
坂東さんは、ハンドルをきつく握って前を向いたままこう答えた。
「アユミさんが死んで、俺も死んだ。九坊を用いた呪いはその時……成った。呪法は遂行され、目的は達成されたんだ」
「目的って」
「まあ待てよ。俺の言ってる意味は分かるな?」
「分かりますよ。分かりますけどだって」
「そうだ」
……だけど俺は、救われてしまったんだ。
「俺が死んで成ったはすの呪いが、俺が息を吹き返した事によって、その後も俺の後を追いかけ続けているんだ。いつか俺は、必ず追い付かれるだろう」
「じ、じゃあ二神さんは!」
「言っただろう。あの爺様ですら、九坊の呪いを断ち切ることはできなかった。その呪力を一時的に逸らすことしか出来なかったんだ」
「逸らす……?」
「呪いを、別の誰かに移したんだ」
誰に。
そう聞けない僕の震える目を、坂東さんの鋭い眼光が射抜いた。
「……椎名さんからの電話の話だがな」
と彼は言った。
僕は咄嗟に車外へと目を反らし、大きく溜息をついた。「なんですか、いきなり」
……柳だよ。
と坂東さんは言った。理由の分からない悪寒に襲われ、僕の腕の中で茶封筒がガササと音を立てた。
「聞いて驚くなよ新開」
「なんですか、いきなり、僕、え、電話の話ですか、坂東さんの話ですか、え、どっちですかっ?」
「電話の話さ。椎名さんが言うには、俺たちが今までいた美晴台って村自体が、大謁教の本拠地だった場所だそうだ」
「……え」
「柳の家が建ってる場所が大謁教教祖邸宅。崖団地のある辺りがかつての教団総本部だったそうだ。二十年前に頓挫した土地開発事業とも関係大ありなんじゃないか?」
僕は思わず、走る車の中から村の方角を振り返った。
「三島っていったか。あの爺さんとんでもねえな、相当入れ込んでる」
坂東さんは言う。「血眼んなって追いかけ続けた敵陣のど真ん中に、そうと知ってて自ら飛び込んでんだ。……ありゃあ、完全に腹括ってんぜ」




