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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
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[71] 「幻子」9



 新開さん、坂東さんの二人が何も言わずに病院を出た。いや、所用で出てくる、という不自然極まりない言葉なら聞いた。だが用件を言わない時点である程度察しが付く。向かった先はおそらくK病院か、美晴台だろう。

 私は私で『U』の足取りを追いたい気持ちもあったが、力の弱まった六花さんだけをR医大病院に残し、父とめいちゃん、希璃さんとツァイくん、さすがに四人の面倒を見てもらうわけにはいかなかった。六花さんの病室には今、私と六花さんとしかいない。希璃さんには、隣室でめいちゃんの側についていてもらっている。私は逸る気持ちを悟られぬよう静かに目を閉じ、来るべき時の為に生命力を高める瞑想状態に没入しようと試みた。が、

「あいつは?」

 と六花さんが声をかけてきた。私は薄く目を開けて首を傾げた。枕側を起こしてリクライニングのベッドに座る六花さんの真剣な目が、私を見つめ返していた。

「ツァイくんは、どうなるの?」

「ん……彼もああ見えて、プロですから」

「だけど……ッ」

 父の病室に発現していた傀儡どもを全て自身の結界内に封じ込めたツァイくんは、今や爆発寸前の風船みたいな状況にあると言えた。あるいは、私が柊木さんから貰った十センチ四方の紙箱に、隙間なくみっちりと霊体が詰まっているような状態だ。紙箱がツァイくんの結界だとして、極小サイズに留めておけるうちはまだいい。しかしその器を大きくして私が入れるだけの規模に押し広げた瞬間、中にいる傀儡どもが大暴れして内側から結界を破壊するだろう。そして何を隠そうその結界とは、ツァイくん自身の肉体なのだ。

「今はもう、どうにもなりません」

 正直に私は答えた。

「あの子は私たちを守るために危険な真似を犯してくれたんだよ。どうにかならない?」

 六花さんの願いにも、私は首を横に振る。

「咄嗟だったんだと思います。ツァイくんほどの力があれば、例えば別の器物に結界そのものを収束出来たかもしれません。蓋のついた水差しだとか、台湾では酒樽なども使っていました。そういう無機物の中に彼の張った結界を移動させて封じ込めるんです。だけど周りに何も見当たらず、切羽詰まった状態で、自分の身を差し出してしまった。……結界自体は、自由に解くことができます。だけどそれをすればどうなるか、彼自身が一番よく分かっている。だから……」

 今ツァイくんは、結界の重ね掛けを講じるべく一人で場所を移している。R医大病院の地下にある遺体安置所にて、自分の身体に幾重にも結界を張り巡らせ、内側から食い破られないよう施しているのだ。

「なんでこんなことになったんだよ……」

 嘆く六花さんに、私は言う。

「俯いていても仕方ありません。やるべきことをやりましょう」

「私に何が出来るっていうのよ」

「早く元気になることです」

 当たり前の顔をして私が言うと、六花さんは深い溜息をついて、

「わかったよ」

 と答えてベッドにもたれかかった。辛そうに見えた。ただ単に体力を消耗してる以上のことが、六花さんの体内でも起きているに違いなかった。

「……まぼ」

 と六花さんは言う。

「はい」

「ツァイくんに私の力が必要なら遠慮せず言ってね」

「……」

「言わないと怒るからね」

「……分かりました」

「あとひとつ、ずっと気になってることがある」

「なんですか?」

「……バンビの、ことなんだけど」

「坂東さんが、何か」

 加藤塾でのことだ、と六花さんは言った。あの日行われた作戦会議の後、最後まで室内に残っていた新開さんと坂東さんの会話を、めいちゃんを通して聞いてしまったというのだ。その内容とは、

「バンビがさ、自分もすでに呪いを受けてるって、そう言ったのよ」

「坂東さんが。……いつですか?」

「それが分からないんだよ。だけど噓を言う男じゃないし、新開には伝わってるようだったんだ。詳しい話を聞く前にその場を離れちゃったから、どういう意味だったのかってずっと気になってた」

「……」

「だけど、変じゃないか? 今ここにいないから言えるけど、希璃だってそうだよ。呪いを受けてあっという間に効果が発動してしまった有紀くんや斑鳩くんのような人間もいれば、バンビや希璃みたいに何も起きない奴だっている。この違いは、なんなんだ?」

 私は頷き、「いいですか」、六花さんの顔の前に両手の人さし指を立てて見せた。

「六花さん。二人の事例を一緒に考えてはいけないのだと思います。まずはそこからです」

「う、うん」

 私は左手を下げ、右手の人差し指を六花さんに近づけた。

「まず、坂東さんに関して言えば、答えが出ています」

「何?」

「残滓です」

「……どういう意味?」

「お忘れですか? 坂東さんは一度『九坊』によって死んでいます」

 六花さんの目の色が変わった。私はその変化を、理解した、と捉えた。

「そうです。九坊の呪いによる最大の効果は、死です。実際坂東さんは死に、彼女の先輩であるアユミさんと仰る女性も殺された。そして坂東さんは、二神七権によって息を吹き返しています。ですが、父を何度も死地から蘇らせてくれたあなたなら分かるはずです。坂東さんに今再び、九坊の呪いが時を越えて追いかけて来たのです。そしてそのことを誰よりも理解しているのが、坂東さんご自身です」

 六花さんは顔をしかめて俯き、涙を必死にこらえながら力強く何度も頷いた。

「分かった。……じゃあ、希璃は?」

 私は右手を下げ、左手の人差し指を六花さんに見せた。

「恐らくですが希璃さんは、九坊とはまた別の呪いを受けています」


 トス。


 乾いた音に驚いて振り返った。

 病室の扉が開いており、そこには落ちた林檎を拾い上げる希璃さんの姿があった。

「おおー、勿体なーい、私食べよう」

 彼女は明るくそう言いながらも、立ったまま我々に背を向けてしまった。

「希璃」

 声をかける六花さんの言葉を待たず、

「いいの」

 と希璃さんは言った。「……覚悟はしてるから」

 なんの覚悟ですか。

 思わずそう言い返した私の声は、自分でも驚く程強く、刺々しかった。いつも朗らかで前向きな希璃さんからは、決して聞きたくない言葉だったのだ。希璃さんは言う。

「だってさ、私、死ぬでしょ?」

 何を言ってるんだ、と六花さんが窘める。もちろん私もそうしたい。だが条件反射で言葉を返すには、希璃さんは理解を越えた死に直面し過ぎていた。交通事故でも殺人事件でもない。ずっと仲良くしてきた父の変り果てた姿や、目を覚まさないめいちゃん、自分よりも若い斑鳩くんの死、お世話になった有紀さんの自殺、そのすべてに呪いという非科学的で絶対的な力が関与している。……恐れるなというほうが無茶だった。

 ましてや希璃さんにはまだ幼い一人娘がいる。今もずっと、両親の帰りを待っているのだ。

「まぼもなんとか言えよ!」

 六花さんのやり場のない怒りが私へと向かい、矛先の間違いに自覚のある彼女は言った尻から髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きむしった。

「嫌なんだよこういうの!」

 いつだって自信たっぷりで強気な六花さんから吐き出される、「もう誰も!……失いたくないんだ!」、心からの本音だった。


 私は、新開さんと希璃さんの間に成留ちゃんが生まれた時、勝手な解釈だと思いながらも、父の気持ちが少しだけ理解出来たと、そう思ったのだ。新開さん夫婦を通してみる愛おしい幼子の存在は、自分自身の命の重みというものを再確認させた。それは我が身可愛さという感情ではもちろんなく、

「この子の為に、一分一秒でも長く生きねばならない」

 そう思わせてくれたのである。成留ちゃんを見ていて、この私ですらそう思うのだ。両親に捨てられた私を男で一つで育て上げた父の愛情と、そして同時に抱え込んだであろう恐怖を思うだけで、いつだって私の魂は震えるのだ。愛する子を残して死にゆく恐怖とは、この世で一番恐ろしい感情なのかもしれない。


「方法はあります」

 と、私は答える。

 希璃さんが勢いよく振り返った。

「どういうことだ、まぼ。方法ってなんだ」

 六花さんの声を背中越しに聞きながら、私は希璃さんに向かって微笑んだ。




 ……あなたの呪いをこの私に移せば良いのです。父が、そうしたように。

 




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