[68] 「坂東」14
「この国にはかつて、依頼殺人を専門に請け負う外道、そんな時代の影のような者共が存在していました」
三島老人は机の上に視線を落とし、その時代とやらに思いを馳せる目で静かに語り始めた。
「歴史に名を遺したわけでもなし、今となっては眉唾な噂話と片付けられてしまうのでしょうが、確かに、奴らは存在していたのです。私が長年かけて調べ上げたあの部屋の資料は、その多くが奴らの存在を裏付けるために集めたものです。暗躍するそれら地下組織の外道めらに殺された同胞、そして家族らの無念を晴らす為だけに我が人生をかけた、いわば執念の結晶と言えましょう」
一瞬、新開の頬が僅かに俺に向かって動いた。若い人間には、三島老人の話は犯罪小説紛いの作り話にでも聞こえるのだろう。気持ちは分かる。しかしこの俺に限っていえば、三島老人の話は何一つ驚くべき内容ではなかった。三島老人の言う「時代」とやらがいつの事なのか定かじゃないが、この現代においてもそういった地下組織による犯罪が存在すると断言出来るからだ。
三島老人は続ける。
「お二方が追っている大謁教にも、実は裏の顔がありました。それが、『ウラガミ』。昭和四十年代頃まではこう呼ばれていました。……裏神天正堂、と」
ビクッ、と新開の背中が痙攣した。
裏神……天正堂? そう呻いた新開の動揺は、同じく俺の中にも広がった。
……そこまでの話は、この俺だって知らないぞ。
公安部に属する諜報員の俺ですら知らない情報を、どうして山の斜面に立つ団地の管理人が知っているんだ。いくら元刑事とはいえ、この部屋からたった一人で地下犯罪の実態を探り当てたってのか? 目の前の、この老人が、か……?
「新開くんの恩人が大謁教のどういった関係者なのかは私が知る由もありません。少なくとも今現在、大謁教も裏神も存在しませんから。ただ、ひとつ気になることはあります。布施をとらずに多くの信者を獲得した大謁教の裏の顔、裏神には、ある噂がついて回っとりました。それが、もしかしたら、新開くんたちの知りたい話なのかもしれません」
ある、噂?
腹から絞り出すよう声色でそう尋ねる新開に、老人は囁いた。
「人体実験です」
「じん……」
思わず俺は唸り、腕を組んだ。
「にわかには信じがたいでしょうな」
と三島老人は薄い笑みを浮かべる。
頭ごなしに否定は出来ない。だが、信じるに足る情報がこちらにはない。三島老人の話だけを灯台に、どことも知れぬ方角に向かって海原を泳いでいくわけにはいかないのだ。そりゃあ、慎重にもなる。
「……裏神は戦前から、幼少期に攫って来た子どもや、教団内で無理やり産ませた子どもたちに洗脳や特殊な教育を施し、教団が請け負う犯罪の手先として、操り人形を使役していたと言われています。傀儡教団と、そう揶揄された時代もあったようです。もちろん、そこから実際の犯罪につながるような証拠は何一つありませんが」
「傀儡……教団、ですか」
また、傀儡である。
偶然の一致にしては、符合する点の多さに新開も俺も眩暈を起こしそうだった。今でこそ新興宗教内で施されるという洗脳問題は広く取沙汰され、これまでにも識者の間でその是非が議論されてきた。ただ今回の場合それが単なる『洗脳』ではなく『呪術を用いた特殊な教育』であったなら、イコールそれが俺たちの追う『傀儡』に近いものではないか、とも考えられるのだ。もしそうなら三島老人の言う通り、大謁教及び裏神天正堂ははまさしく傀儡教団であると言える……。
「実際に何を行っていたかという決定的な証拠資料はありません。しかし当時、教団から足を洗った人間たちの証言ならば多く出ています。それらがどこまで信用にたるものかと問われると難しいが、そのほとんどを私が自らの足で搔き集めたとだけ、付け加えておきます」
そこで新開は右手を挙げて、発言の許しを乞うた。三島老人が頷く。
「三島さんは先日、僕たちが『御曲りさん』について話をお伺いした時、ご自身は別のことを長年調べている、それが裏神であると、教えて下さいましたよね」
「いかにも」
「そこには、もうとっくに時効を迎えてしまった事件に対して、絶対に忘れることのない思い出が刻まれているのであろうことは、隣の部屋を実際にこの目で見た僕には分かります」
「ありがとう」
「……先日三島さんは、オサムラさんというかつての同僚に誘われて、この村へ入ったと仰いました」
「ああ」
「お伺いします。三島さんがこの村へ移り住んだのは、オサムラさんから誘われたからではなく、この村に裏神へと繋がる何かを見いだしたからこそ、オサムラさんに手引きしてもらった。そうではありませんか?」
まるで刑事のような新開の口振りに、三島老人の口角がクッと持ち上がった。俺は正直、その笑顔にゾッとした。
「何故そう思われた?」
尋ね返す三島老人を見据え、新開は応えた。
「率直に言います。僕たちは、柳菊絵さんを疑っています」
三島老人の目が細くなり、新開を睨むように見つめ返した。
「……菊絵さんが、その、呪いとやらをかけたのだとでも?」
疑いに満ちた老人の声色に俺は奥歯を噛んだ。新開の発言は賭けに等しかった。可能性の一つであり、今現在最も濃厚な可能性ではあるものの、それ以前に、目の前にいる三島老人が敵ではない証拠がどこにもないのだ。
「柳家が裏神で、人体実験に手を染める鬼畜外道で、あなたの恩人に呪いをかけるような人間であるのだと?」
尚もそう聞く三島老人の声に、さしもの新開も怯んだ。老人の反感を買ったことにようやく気付いたのだ。だが、新開はそれでも後ろへ下がらなかった。
「間違いであれば土下座でもなんでもして謝ります。だけど僕たちには時間がありません。可能性を全部叩いて選択肢を消していくしかないんです。教えて下さい、三島さん。あなたが美晴台に来た、本当の理由を」
重たい沈黙が流れた。
俺はあえて間に割って入らず、成り行きを見守った。同業者同士の腹の探り合いでは、おそらく老齢の経験値には勝てないと踏んだのだ。新開はその若さ以上に、人として真っすぐだ。間の抜けた未熟者ではあるが、俺にはない奴の実直さでしか突き壊せない壁というものもある。俺は、新開に賭けたのだ。
「警察が裏神を摘発出来なかったことには様々な理由があります……」
と、三島老人は言った。
「最大の理由としては、ピストルや刃物といった凶器を示す物的証拠はおろか、犯罪の痕跡そのものを何も残さなかったからだと言われています。ですがその反面、全く別の方法で殺人を請け負っていたのではないか、という噂もまことしやかに囁かれていました。それが先程申し上げた人体実験に繋がる話なのですが……私も以前、新開さんが仰った呪いというものについて考察がなされた資料を、目にしたことがあります……」
新開の背中が喜びに震えた。
勝った、と俺は思った。
「是非、拝見させてください」
机の上に身を乗り出す勢いで新開が言うと、三島老人は立ち上がって隣室の前まで移動した。先程と違い、新開が笑顔で俺を見やることはなかった。
「資料をお預けします」
と老人は言った。その視線は閉ざされた襖を見つめたままだった。「オサムラは……不幸な死に方をしました。それでもまだこの村を、柳の家を、お調べになられますか?」
老人の横顔を見つめたまま答えを探し続ける新開に、俺は背後からこう呟いた。……完全勝利だぞ、新開。
三島老人から資料を受け取り、団地正面の駐車場まで降りた所で椎名部長から電話がかかって来た。椎名さんは開口一番こう言った。
「柳家には近づかない方がいい」
俺は新開を振り返り、車に乗るよう合図した。
助手席のドアを開けた所で、新開が不意に右側の棟を仰ぎ見た。後に聞いた話では、屋上に人影らしきものを見たそうだ。実際には何も発見できなかったらしいが、人影は二つあったという。




