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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
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[66] 「新開」19

 

 僕と六花さんが眠っている間の二日間は本当に大変だったそうだ。

 先輩から聞いた話では、危うく病院を追い出されそうになったというのだ。いまだ予断を許さない三神さんやめいちゃんすらも同様に、一般患者を巻き込んだ此度の騒動の責任を天正堂が問われる形となり、関係者である僕たちにまとめて退院を迫ったそうだ。三神さんに対して効果の認められる治療方法が見つからず、止まらない吐血や謎の衰弱に対する一時的な処置でしか対応できない病院側の、これ以上巻き込まれるのはごめんだという本音が爆発したという側面もある。

 ただ今回の場合は皮肉にも、代表である二神七権の失踪と、代表代理であった小原桔梗の急逝が、病院側に再考慮を促す要因として作用した。自傷により傷ついた多くの患者の対応に追われた上、天正堂側との対話が円滑に行えないままでは、傍目には、命の危険にさらされた病人を一方的に追い出す「暴挙」として映りかねない。病院側はそれを回避するため、最終的には公安部であるチョウジにすべての責任を取ってもらう方針で落ち着いたが、次何か問題を起こせば、もう後はないそうだ。



「体の方は良いのか」

 再び車を走らせながら、坂東さんが僕に聞いた。

「ええ、僕は大丈夫です。ただ、六花さんが心配ですね。初めて見ましたよ、あの人の力が枯渇するなんて」

 僕の返答に坂東さんは頷き、苛立ちのこもった横顔で右手親指の爪を噛んだ。

「俺もだ。どっかで勝手に、無尽蔵だって思いこんでた自分に腹が立つ」

「小原さんも……残念でした」

「残念ではすまんぞ、実際」

「はい、仰る通りです」

「俺から椎名さんには報告してあるが、天正堂には連絡してあるのか。と言っても、誰に言えって話なんだが」

「そうですね。僕からはまだ何も」

「土居って男は捕まえられないそうじゃないか。これで階位の三四五が消えた。次点で力のある奴と言えば、階位・第六は空位か? じゃあ、七は?」

「すみません……僕です」

「……」

 坂東さんは黙ったまま右手で顔面を撫で、大きくため息を付いた。

 誰がどう見ても、天正堂は崩壊寸前である。

「……なあ、お前、今回の件どう思う」

 と、坂東さんが聞いた。

「どうと言いますと?」

「なんとなくだが、ようやく事件の背後関係が浮かび上がって来たと、俺は思ってるんだ」

「……ええ」

 僕は自分の頭の中を整理しながら、坂東さんの話に耳を傾けた。

「年代的に言えば、お前らが崖団地に住んでいた時代が出発点なんだと思う。希璃から聞いたんだが、その時代に幽霊騒動があったんだってな。天原秀策が現れる切っ掛けとなった」

「ええ、正確には幽霊ではありませんが」

「確かなのか?」

「僕の記憶している少女があの騒動に中心にいた存在なら、はい、幽霊ではなく、人です。しかも、三神さんに仕事を依頼した、日記に出て来る『U』と同一人物でした」

「そうらしいな。ただお前、何度も言うようだが、人間だったってのは間違いないのか。まあ、同一人物なら少なくともUは最近まで生きてたことになるから、当時幽霊だったわけはないんだがな。どういう話なんだ? その幽霊騒動ってのは」

「すみません、騒動の内容自体はよく覚えていません。ただ、僕が幽霊を見えるようになったのは、今思えば『文乃』さんから続く黒井一族の血なわけですから、もうこれは生まれつきなんです。その僕が、人と幽霊を見間違えることだけは絶対にありませんし。それに、僕は団地に住んでいたころ、Uに実際に会っているんです」

「そ、え?」

 勢い良く僕を見た坂東さんの顔に「もっと早く言えよ」と書いてあった。

「すみません、話すタイミングがなかなか取れなくて。ですが僕も、これから向かう三島さんから由宇忍についての話を聞いた時に、当時の幽霊騒動と僕の記憶の中にあった少女との思い出が、初めて結びついたんです。当時すでに僕が住んでいた棟の隣にUの一家は移り住んでいて、彼女が良くない事件に巻き込まれていたことだけは、薄々勘付いていました。というか、僕が勘付いていることを、彼女に知られてしまったんです」

 自分でもややこしい話をしている自覚はあった。しかし坂東さんは全部理解した上で、

「何があった……?」

 とだけ聞いた。

「今にして思えば……殺人及び殺人未遂事件、です」

「殺しか」

 当時の僕にその認識があったわけではない。三島さんから被害者が出ていたという話を聞くまでは、事件の背景については何も知らなかったのだ。

「何度か、崖団地の敷地内で、僕はUの姿を見ています。この後確認してもらえれば分かると思いますが、棟と棟の間に人間が一人ようやく通れるほどの隙間があるんです。そこで、幼い少女相手に卑猥な事をしている大人たちを、何度か見ていました」

 坂東さんは黙って耳を傾け、慎重に考えを巡らせている様子だった。勢いや条件反射で答えを急がない所が、信頼できる彼の人間性でもあるのだ。

「本来ならそれは、誰か知っている大人たち、そこれこ僕の父親などに相談して救いの手を差し伸べるべき光景なのかもしれない。だけど当時の僕には、そうは思えなかったんです」

「……Uの方から誘いをかけていた、と?」

 僕は答えず、頷きもしなかった。

「その三島って男は、気付いていなかったのか?」

「本当の所はわかりません。彼の口からは、幽霊騒動とだけ。ただし、当時三島さんは幽霊騒動が起きた際に、被害にあった村人たちから犯人についての証言を得ています。『女の子の姿をした、鬼だった』と聞いたそうです」

「……ふん」

 僕と先輩ははじめ、三島さんの話を聞きながら幽霊騒動の詳細について思いを巡らせていた。だが実際の被害者たちは肉体的にも精神的にもかなりの重傷を負って病院へ運ばれ、おそらく男性器を失ったという村人は命を落としているように聞こえた。年端も行かない少女を籠絡して卑猥な行為に及んだ、下劣極まりなり事件を匂わせる一方で、村人たちが負った被害も決して軽くはなかったのである。だが、

「窮鼠猫を噛むってやつじゃないのか」

 と坂東さんが聞いた。襲われた『U』の必死の抵抗が、村の男たちに傷を負わせただけじゃないのか、と聞いているのだ。もしそうであれば、幽霊騒動などただの言い訳に過ぎない。初めから隠蔽目的で創作された作り話の可能性が高い。

「その件について、村では幽霊騒動とされてる一方で、お前だけが殺人事件だと主張している。その根拠はなんだ?」

「……僕もまだ子どもだったので、自分の思い込みや記憶違いを否定できるわけではありません。ただ一度だけ、当時僕が住んでいた部屋まで、Uがやって来たことがあります」

「あ?」

 冷静に、距離を保ちながら話を聞いていた坂東さんの雰囲気が変わった。異変を感じ取ったのだ。

「お前に見られていたことを、知った後か?」

「そうです」

「それまでに、お前ら二人に面識は」

「ありません」

「同じ団地に住んでたんだろう?」

「そうなんですけど、面と向かって話をしたことはありません。挨拶を交わしたことも、ないと思います」

「どうして」

「僕が人見知りだからです。ほとんど同じ顔触れとしか遊んだ記憶がありませんし、向こうも明るい性格ではなかったと思います。向こうが五歳程年上だと思いますが、外を出歩いている所を見かけたのは、その棟と棟の間にいた時だけですから」

「……お前の住んでた部屋には、突然現れたってのか?」

「そうです」

「話したのか?」

「いえ、僕の方からは。玄関の前に立って、ドアを開けて欲しいと、何度も」

「……開けたのか」

「いえ、さすがに怖くて」

「すぐに引き下がったか?」

 僕は正直に言って、呼び覚まされる昔の記憶を見つめ返すことすら怖かった。今この場には僕と坂東さんしかおらず、しかも走る車の中にいる。それでも、現実に起きた出来事を思い返すことがもの凄く怖かったのだ。

「……見て欲しいものがあると言われて、渋々、ドアスコープから外を覗きました」

「……何を見た」

「何も」

 坂東さんが僕を見やる。

「何も?」

「喉を詰まらせたような悲鳴が聞こえて、扉の前から走って逃げる音だけが聞こえました」

「なんだよ、それ」

「おそらくですが……母が僕の側に現れたのだと思われます」

「……なるほど」

 僕を産むと同時にこの世を去った母、よりこは、僕の身に危険が迫った時、この世とあの世を繋ぐ霊道と呼ばれる穴を自ら開いて戻ってくる。このことは、十年前に幻子から指摘されるまで僕自身気が付いていなかった。だがこの超事象が確かなものとして存在し、母の愛とも呼べる力が根源にあるならば、僕が自覚しているいないに関係なく、生まれた時からずっと守られていたことは間違いない。そして母の通り道である霊穴には、全ての霊体・霊障を引き摺り込む力が備わっている。穂村光政が僕の霊能力を『霊穴落とし』と揶揄したのはこれが原因であり、僕の前に現れた『U』は、この霊穴から逃げるようにして立ち去ったのだと推測出来た。『U』が僕に何をする気だったのかは分からない。しかし今にして思えば、『U』の接近は僕の身に危険をもたらす行為だった、という仮説が成り立つわけだ。僕が『U』を哀れな被害者として見れない理由はそこにある。

「ただなぁ」

 と、坂東さんは嘆くように言った。「天原秀策が現れた以上、霊障などなかった、幽霊騒動など全くなかったとも、言い切れないんだよこれが」

「はい」

 その通りだった。僕の語った話は全て、『U』である由宇忍という人間が幽霊ではなく生きた人間であったという証明にしかなっていない。そこへ現れた、かつて『御曲りさん』と呼ばれた天原秀策の存在が、事件を二重にも三重にもややこしくしているのだ……。















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