[65] 「新開」18
三神さんが病床でしたためたノートの内容が、その後の僕たちの調査を推し進める更なる後押しとなったことは言うまでもない。一見してそれは別れの言葉のようだった。あるいは少しは、そういった意味もあったのかもしれない。だが僕の知っている三神三歳は大方の予想を超えるしたたか者で、それを悟らせない意味でも常日頃から飄々とした雰囲気を崩さない人だった。人間は決して見た目通りではないし、三神さんほど経験を積んで来た人なら、尚更だ。
意識を取り戻した僕は、あの日R医大病院で起きた出来事の真相を友人たちと話し合った後、すぐさま三神さんが持っていたノートを読んだ。先輩(希璃)はそんな僕に呆れながらも、言葉では何も言わずにいてくれた。そしてそこから更に二日後、僕は坂東さんと二人で再び美晴台を訪れることを決めた。このことは、僕たち二人だけで相談し、先輩にも誰にも行き先を告げずに家を出た。
「……ウラガミ? なんだよそれ」
「いやちょっと、前見て運転してくださいって坂東さん」
幹線道路を避け、敢えて三島さんから聞いた旧国道を選んでゆっくりと車を走らせた。先日美晴台から戻る際にこの道を通ったが、大半がほとんど使われていない山道だったにも関わらず、すんなりと都内へ通じる道へ合流出来た。今日僕たちは、何度か車を止めて周囲を観察しながら美晴台を目指した。誰かが尾行して来る、あるいは待ち伏せしている、そんな可能性を考慮してのことだった。
旧国道から柳家の私道へ入った所で、坂東さんが言った。
「この道全部が私道かよ……林業ってなぁ儲かるんだな」
「元々自分の山なんでしょう。役場と話をつけて、補助を取り付けたんじゃないですか? 村に必要な道だとか言って……そこで一旦、車止めて様子を見ましょうか」
道が大きく山側へ膨らんだ箇所があり、そこでなら車を停めていても後続車に追突されるおそれはないと踏んだ。……後続車がいれば、だが。
坂東さんは車外へ出て、大きく息を吸い込みんで吐き出した。今にも雨が降り出しそうな、淀んだ空模様だった。
「先日崖団地へ行った時に、僕が住んでいた頃から管理人だった、三島要次さんと仰る方にお会いしました」
助手席に座ってバックミラーを確認しながら話を切り出すと、坂東さんは「ああ」と答えた。
「その方は以前、もう何十年も前に警察官だったらしいんです」
すると坂東さんは僕を振り返り、「デカか」と聞き返した。坂東さんにとって、警察官と刑事は違うらしい。
「ええ、そう仰ってましたよ。三島さんは、警察官時代に知り合いだった人の伝手で美晴台へやって来たというお話しでしたが、実はこれには裏があって、どうやらずっと長い間、とある事件を調べているそうなんです」
「なんだよ、とある事件って]
「詳しくは、これから……」
「……それが、ウラガミだってか?」
「多分」
「なんだよ、はっきりしろよ」
僕は二日間の眠りから覚めてすぐに、三神さんの書き記したノートを読んだ。するとその記述の中に、気になる一文を発見したのだ。
『 私が受けた呪いについて、思い当たる名称はあるが明記は避けたい。おそらく私の状態や漏れ出る霊障の残滓から、賢明なそこもとらであれば察しが付く事と思う。私も同感、見立ては同じである。大謁教を紐解かれたし。その前に、なぜこの呪いを私が受けてしまったのかを説明するのが筋であろう 』
注意して読めば、この『大謁教を紐解かれたし』、という一文だけが周囲の文体から浮き上がっていることが分かる。僕は坂東さんに尋ねた。
「大謁教って、戦前戦後に大流行した宗教のことですよね。『九坊』の話を書き記すのかと思われた文章の中に、突然今はもうない宗教の名前が出てきました。違和感を持ったのは、僕だけじゃないですよね?」
「……ああ」
低く返事をした坂東さんの声は少しタイミングが遅く、僕はそこに彼なりの逡巡を見た。
「ご存知、なんですね?」
「ウラガミってのは分からない。ただ、大謁教のことはよく知ってる」
「信仰されていた、ということですか?」
「うちの親がな。信者だったそうだ」
「なるほど。今はもうありませんよね?」
「分からんなぁ。ああいうもんには、名前を変えてでも続けたがる本物の狂信者が紛れ込んでるからな。だけど、お前良く知ってるな、昭和四十年代には消えたはずなんだがな」
僕はどう答えて良いものは迷ったが、正直に話す事にした。
「もう十年以上前ですけど、初めて六花さんに出会った頃に、言われた事があるんです。天正堂を頭っから信じすぎない方がいいよって。今は分からなけど、後ろ暗い過去のある、そういう団体でもあるからって」
「ああ、そいつぁ俺もちらっとだが聞いた事があるな。どういう経緯だったかは忘れたが」
「意外ですね。坂東さんなら全部ご存知だと思ってました」
「いや、それこそ十年前に『しもつげむら』で再会するまでは、俺は姉さんを避けてたからな。ほとんど話をしてない。その後も別に今だって、目の前にある仕事についての話しかしないんだ」
「……意外、ですね。どうして避けてたんですか?」
「亡くなったアユミさんの指導役が……姉さんだったんだ」
中ノ島亜弓。九坊により命を落とした、かつてのチョウジ職員である。当時、坂東さんの先輩にあたる人だった。
「ああ……なるほど」
「なんだよ」
「いえ」
ドン、と坂東さんが車のドアを叩いた。
「ご自分の車叩いたって仕方ないでしょう」
「ッチ。なんだよ、そいで」
「ああ、……ええ」
大学卒業後、僕が天正堂の門を叩くと決めた時、六花さんから聞いていた後ろ暗い過去とやらが気になって、自分なりに天正堂について調べてみたのだ。思いの外調査は難航したが、やがて驚くべき事実に突き当たった。天正堂はその昔、先程坂東さんが仰った昭和の四十年代頃まで、大謁教という宗教団体と蜜月関係にあったようなのだ。
「一介の拝み屋集団がぁ?」
訝る坂東さんの口調に、
「言い方ってもんがあるでしょう」
と僕は窘めた。「それに、知らない人間からすれば拝み屋衆と宗教はただでさえ混同されがちです。当時の天正堂にどれほどの力があったのか分かりませんが、不可思議な超常現象を収めてみせることで、宗教的な教義に絡めて信者を増やしていった……なんていう裏があるのかもしれませんよ?」
「そうなのか?」
「推測です」
「はあ? お前よ、当時の天正堂っつってもたかだが四十年前だぞ。そん頃にはおそらく二神の爺様も、下手すりゃ三神さんだってもういたんじゃないか? あの二人がそんな曲芸師みたいな真似して名を売ろうなんて考えると思うか、お前」
「あ!……そう言われれば、そうですよね」
「なんなんだよお前、何を調べたってんだよ、それで」
「僕が見た資料にはそこまでの事は書いていませんでしたし……。ただ、大謁教がその名を全国に広めるためには切っても切れない関係、二人三脚のような関係として存在したのではないか、とか、そういう風には書かれていました。利害関係があったことは間違いないと思うんです」
「なんの資料だよ」
「図書館で閲覧した、古い新聞です」
「天正堂の名前が新聞なんかに出るわけないだろ」
「いや、だから、調べようとすると年代が一気にそこまで遡ってしまったんですよ、余りにも情報が無さすぎて。僕はそもそも六花さんから聞いた話がなんだったのか、ただそれだけが知りたかったんです。だけど確かに、一般的な歴史の中には天正堂の名前なんか出てきやしませんから、僕相当時間かけて調べましたよ。まあ、情報が少ないからこそピンポイントで辿り着けたんだと思いますけど」
「大謁教側の記事の中で、たまたま名前を見つけたってことか?」
「それも、偶然でした。天正堂が一時期は宗教としての側面を持っていた、という話だけは知っていたので、宗教がらみの事件を調べているうちに、偶然。でもなんだってそれが後ろ暗い過去になるのか、結局そこまでは分かりませんでした」
「ほおん……。ま、あえて言うなら、天正堂が表立って事件を起こした記録なんてないぞ。もしあるんなら、それは俺の耳にも入るはずだからな」
「そうなんです。せいぜい、大謁教と仲のいい団体として名前が出て来るくらいで」
「仲がいいとは限らんぞ。蜜月だなんて言って利用しあいながら、お互い腹ん中ではなに考えてるかなんて分かりゃしない」
「そうかもしれませんね」
「それで? どうやってウラガミってのと繋がるんだ?」
「三神さんが病室で書き残したノートに大謁教の名前を見つけた時、胸騒ぎがしました。そこで僕は以前調べた古い新聞記事をもう一度見返してみようって、そう思って図書館を訪れたんです」
僕はそう言いながら携帯電話を取り出し、撮影した一枚の写真を画面に表示させた。坂東さんは腰をかがめて小さな写真に目をこらし、
「……なんて書いてある?」
と聞いた。
「漢字一文字です。神、という字を裏返して書かれた、造語なんだと思います」
「神?……これが、ウラガミ?」
「この文字は、古い新聞に掲載されていた写真に小さく映り込んでいました。かつての大謁教が用いていた旗のようなものに、印字されていたものです。僕はこの文字を、三島さんのご自宅で見せてもらいました」
すると坂東さんは驚いて背筋を伸ばし、
「なんで崖団地に住んでる爺さんがそんなこと知ってんだよ」
と軽く目を見開いた。
「それを今からお伺いしに……」
「その爺さん、元刑事だって言ったな。……ナニモノなんだ、そいつ」




