[5] 「新開」5
翌日を待ち、台湾で仕事をしていると聞いていた三神幻子へと電話をかけた。言葉で詳しく説明することは極力避けた方が良いと小原さんからのアドバイスを受け、ひと言、
「見えないのか?」
と尋ねるにとどめた。相手が幻子なら、それで十分だろうと思ったのだ。
もちろん僕たちの頼れる姉、秋月六花さんにも連絡を取った。秋月さんは現在、都内で名前のない喫茶店を切り盛りしている。その店を拠点としながら、坂東さんから回って来る案件や、一般市民からの悩み相談などを請け負う『心霊探偵』としても活躍する大霊能力者である。霊感が強いとか幽霊が見えるとか、そういった生易しい力ではない。彼女は他人でも自分でも、傷ついた肉体を霊力だけで瞬時に完治させることが出来る治癒者である。現実世界において、物理的な作用を具現化出来る霊能者というのは極めて稀な存在と言えよう。彼女こそ大霊能力者の名に相応しい『現代の魔女』であり、そして僕の遠縁にあたる女性でもある。
しかしそんな彼女に電話をかけたのは僕ではなく、かつてチョウジで先輩と後輩の間柄だった坂東さんだ。そしてタイミングの話をすれば、坂東さんが秋月さんに連絡したのは、僕が坂東さんへと電話をかけたその直後のことだという。その時点で彼は、僕との会話の中で「三神さんが呪いを受けた」という表現を用いている。
つまり結論から言えば、坂東さんは僕よりも早く、三神さんが呪われたことを知っていたのである。意外ではあったが、そこには納得せざるを得ない理由があった。
秋月六花さんの妹、めいちゃんが巻き込まれた事件である。
めいちゃんは都内の出版社に勤め、いわゆるOLさんとして平和な生活を送っていた。しかしめいちゃんに霊感がある(あるどころではないが)ことを知っていた職場の先輩に、姉の事で相談に乗って欲しいと請われ、霊障に悩んでいるというその女性のもとを訪れたという。
それは後に『正脇茜事件』と呼ばれることになる、めいちゃんに呪いを打ったかもしれない女性の、怪死事件である。正脇茜(=A子)は闘病の為に入院中だった病院で、幾度となく発作・痙攣を起こしていた。そしてつい先日、主治医や看護師たちが見守る衆人環視のもと、まるで見えない何者かに襲われたように、首をもがれて死んだという。
他殺とは認定されなかった。だが到底普通の事件ではない。そこで真っ先に坂東さん率いるチョウジに報告が上がり、現場を検証した結果、僕がめいちゃんから話を聞いて導き出した答えと同じ見解に至った。
つまり、呪いである。
専門的な話になってしまうが、呪いというものにはいくつかの特徴がある。そしてそれを発見できさえすれば、何が起こったのかという推測は可能なのだ。坂東さんはいち早くその特徴を見つけており、そして間を置かずして、二神七権と偶然町で出会った。その直後だ。僕が坂東さんに電話を入れたのはまさに、二神さんの背中を見送っているその最中だったのだ。
……僕たちのようなの人間は、特別な修行などせずとも嫌でも異常なまでに感が働く。
『呪いは、移動する』
『そして呪いは、伝染する』
その事を知っていれば皆まで説明を受けずとも、坂東さんの脳裏に呪いという疑惑が居座っていてもなんらおかしくはない。もちろん坂東さんが秋月さんに連絡を寄越した段階で、三神さんが病院へ運ばれた理由が呪いであると確信していたわけではないと思う。だがやはり、直感が外れることはなかった。
期せずして三神さんが運ばれた病院に穂村兄弟が現れ、『妖怪・鼻アンテナ』と揶揄されたことのある光政が、その匂いをかぎ取ったのだ。
坂東さんが浮かべたあの時の笑みには、確信を得られたことに対する喜びが含まれていたのである…。
三神さんの容体は思わしくなかった。
ICUに運び込まれた後もなかなか出て来られなかったのは、度重なる吐血と、塞がらない裂傷からの出血が続いたせいだという。何度傷口を縫合してもパクリと開いて血が溢れ、大量に輸血を送り込んでも上回る量を吐いてしまったそうだ。やがて三神さん自身の頑張りもあって、深夜に運び込まれてから数時間後、ようやく症状が落ち着いた頃には、一瞬垣間見えた処置室の中はさながら戦場のようだった。
その間三神さんは、ずっと意識を保ったままだったそうだ。
そう聞けば、僕が念話を試みていたにも関わらず失敗続きだった結果には疑問が残る。だがきっと三神さんの事だ、僕と意識を繋ぐことを必死に拒んでいたのではないだろうかと、そう思う。
台湾から帰国した幻子が戻り、病室の内と外、扉を隔てた状態で僕と幻子は少しだけ三神さんと話をした。込み上げるものを堪えつつ、心を強く持とうと気を引き締めた。
そしてその日、懐かしい面々が顔を揃えた。
僕、新開水留。チョウジの坂東美千流。心霊探偵、秋月六花。その妹、めい。そして現役最強であると断言できる霊能力者、三神幻子である。
「情報がいる」
と坂東さんは言った。
三神さんの受けた霊障が呪いだとして、時を同じくしてめいちゃんに掛けられたものが呪いだとして、そして僕の妻である希璃の見た夢がその予兆だとして、この時点で僕たちが手にしている情報量はあまりにも少なすぎたのだ。
懐かしい、と簡単には口に出せない場所に、僕たちは再び足を踏み入れた。
あの時いた人物が今はおらず、あの時いなかった人間が今はいる。
『加藤塾』。
そこは学習塾の看板を掲げながらその名の通りには使用されていない、都内某所にある雑居ビルの三階だった。かつて僕たちはこの場所に集い、まだ見ぬ敵に対する意見を戦わせた過去をもつ。
広域超事象諜報課。チョウジが管理しているとう、平時には利用されない秘密のオフィスである……。