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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
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[48] 「新開」14


「御曲りさんという名前に、何か思い出されることはありませんか?」

 単刀直入に尋ねる僕を見据えたまま、三島さんは黙った。

 もちろん御曲りさんとは本名ではないし、あだ名と言ってもそれは天正堂内で用いられてきた呼び方である。あるいは『生き地蔵』とも呼ばれたらしいが、それとて一般的に知られるようなことはない筈だ。今回の事件において、御曲りさんの存在感はまだ薄い方だと言える。だが、だからこそ怖いと僕は思っていた。妻である希璃は幼い頃の記憶として夢の中で御曲りさんを見、秋月六花さんは彼女の中に御曲りさんの存在を見た。そして三神幻子は、斑鳩くんの体内から弾き出した呪の効果に御曲りさんの姿を見出した。かつては二神七権と天正堂階位・第二の地位を争った程の霊能者だと言うから、どのように此度の事件に関わっているにせよ、その不気味な影のちらつきは、僕にとっては恐るべき脅威と映った。ある意味、実態の掴めない『九坊』よりも怖かった。

「なんとなく、……記憶のどこかに引っかかっている」

 と、三島さんは仰った。

 僕は興奮を抑えながら身を乗り出し、

「覚えていらっしゃいますか」

 と聞いた。

「うーん、おそらくね。だが正直に言えば、ええ、……新開くん、であっとるね?」

「そうです、新開です」

「私は、あんたのことは、よう覚えとるんだ」

「……はあ、ありがとうございます」

「いやいや、なんというか、あんたをさっき外で見た時に、あの頃のことがブワっと蘇ってきよってねえ。その中に、一人、思い出深い御仁がおったのを思い出したわけなんです。……なんとかサン。確かに、そんな風に呼ばれてたんじゃなかったかなあ」

 思い出深い、御仁。

 ゴクリ、と先輩が喉を鳴らしてお茶を飲んだ。

 考えてみれば、先輩がこの団地に住んでいた小学校の一年生当時と言えば、今から二十年以上前だ。幼い子どもだった先輩が覚えているのだから、高齢とはいえ今よりもずっと若かった三島さんが御曲りさんを認識していても不思議ではない。しかもこの人は管理人である前に、元刑事だ。記憶力は相当高いだろう。

 やはり、この場所を訪れて良かったと思った。

「その人の名前とかって、憶えていらしたりしませんか?」

 と先輩が尋ねると、三島さんは天井を見上げて記憶を辿っている様子。助け舟を出すように、僕は聞いた話だと前置いて、こんな話をした。

「この辺りでかつて、問題が起こったそうですね。地元住民とのトラブルとは一線を画す、なんと言いますか、オカルトチックな現象が起きるようになったのだとか」

 六花さんから聞いた話では、これ以上具体的な詳細は聞き出せなかったそうだ。ただ、美晴台の長たる柳菊絵さんと仰る方が直々に御曲りさんを呼んだと言うからには、いわゆる心霊トラブルが起きたとみて間違いないのだろう。

「ああ、うん、はいはい。あったねえ」

 三島さんは言う。「……というか、あんたも覚えてるんじゃないかね?」

「え?」

 僕はどきりとして目を見開いた。平然とそこに座っている三島さんの顔を、穴が開く程見つめた。

「覚えてないかい?」

 尚も言う三島さんの言葉は、まるで僕を試しているようでもあり、僕は必死になって記憶を手繰り寄せた。

「あのー」

 と、先輩が小さく手を上げて割って入った。「その、先程申し上げた御曲りさんというのはですねえ。私が以前こちらの左棟に住んでいた頃の記憶なんです」

「あんたも、ここに住んでらした!?」

 三島さんの声が上擦る。

「すみません、話が前後してしまって。私が住んでいたのはもう二十五年程前で、この新開くんは私よりも一つ年下ですから、覚えていなくてもおかしくはないと思うんです」

「二十五年」

 三島さんは復唱し、「……いや」と否定した。「確かに、初めてその御仁を見たのはそれぐらい前なんかもしれんが、あの人はそれ以降も度々この村を訪れていたよ。結構長い期間、あの御仁は通われていたように記憶しとる。だから新開くんも覚えているはずだんだがなあ」

「いや、あの」

 僕は両手を胸の高さに上げて謝罪した。「御曲りさんのことはもちろん覚えています。当時は彼がどういう素性の人だったのかを知りませんでしたけど、会った事はもちろんあります。僕が分からないのは、この土地で起きていたという心霊現象についてです。何があったんですか?」

「いやー、何って……」

「子どもだよ。子どもの霊が、ずーっとここいらに憑りついて離れんかったんだ」


 あ……。


 三島さんの話を聞いたその一瞬、吹き抜ける突風のように、昔見た映像が脳裏を掠めた。僕は確かに、その当時の騒動を知っている。確かに覚えている。しかし……。

「新開くん?」

 僕の気配を察し、先輩が心配そうに声を掛けてきた。

「ええ、大丈夫です」

 僕は答えて、三島さんに話の続きを尋ねた。「幽霊、ですか」

 すると三島さんは頷き、

「そうらしい。私は直接見とらんが、十歳くらいの女の子だったと聞いたかなぁ。村側に出没することもあったらしいが、一番多く目撃されたのが、この棟と左棟の間にある狭い路地。いや路地というより単なる隙間かな」

 先輩が僕を見た。

 久方ぶりにこの団地を訪れた時、僕が嫌いだと言って聞かせた、あの路地のことを三島さんは仰っているのだ。直接視線を合わせることはしなかったが、先輩の目に熱がこもっているのが感じられた。

「それは、覚えている、という目だね?」

 三島さんが僕を見て言う。僕は頷いて答え、

「何があったんですか?」

 と尋ねた。「確かに僕もその噂を聞いたことはあります。ただ、話は戻りますが、幽霊が現れるという話だけで、御曲りさんが呼ばれたのでしょうか?」

「うん?」

「 その、三島さんにとって思い出深いという御仁は、何かもっとほかの理由があってこの村へ……?」

「あー、いやぁ、立場的には私はどちらかと言えば村の外の人間だから、あまり詳しい事情は分からないよ」

 三島さんは答え、苦み走った目で湯呑の茶を見下ろした。「どういった経緯であの人が村へ来たのかは知らない。ただ、……村の中に被害者が出たんだよ」

「どんな」

「まだ、あの人がこの村へ来る前の話だ。女の子の幽霊が目撃され始めた折、この団地に住んでいた男が一人病院へ運ばれた。下腹部から血を吹いとってね、その、言いにくい話だけど、男性器がなかったそうなんだ」

 ……え?

 先輩の漏らした声は当然の反応と言えた。三島さんは今、子どもの幽霊の話をしていたはずなのだ。だが実際に被害にあった人間の様子を聞く限り、僕たちがこれまで経験してきた霊障・霊害とは雰囲気が違う。

「それって」

 先輩は何かを言いかけたが、

「他にもいる」

 と三島さんが顔を上げて、先輩よりも先に口を開いた。「首筋から血を吹いて運ばれたもの。あるいは神経が参ってしまったもの。肉体的な被害を受けた人間もいればそうじゃない人間もいた。だが誰もが口を揃えて言いよったのは、女の子の姿をした鬼、あるいは物の怪を見た、と……」

「鬼……」

 口の中で呟く先輩に頷きかけ、三島はさんは言う。

「あの御仁がこの村へ通うようになったのは、その直後のことだ。私は幽霊なんぞハナっから信じてないが、まあ、怖いか怖くないかで言えばそりゃあ、怖かったですよ。幸いにも私は一度も出会わんかったが、そりゃあきっと、あの人が守っていてくれたからなんだろうな」

 あの人。

 ……御曲りさん。

 先輩が口を噤み、隣に座したまま何も言わない僕の横顔を見た。

 本当は三島さんも薄っすらと気付いていそうな気もするが、僕は最初から分かっていた。当時この団地界隈に出没していた女の子の幽霊とは、幽霊ではない。もし仮に死んだ女の子が地縛霊として顕現していたのなら、きっと今でも目撃されているはずだ。だけど今はもう見えない。幽霊ではないから。

 僕がこの団地を去ってから十六年が経ち、その女の子の存在が噂され始めてからは、二十五年の月日が流れた。生きていたとしても、きっともうここにはいないだろう。

「つかぬことをお伺いします」

 僕はそう言い、身体をやや前に傾けて三島さんに尋ねた。「当時の……入居者名簿のようなものは残されていませんか?」





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