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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
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[45] 「希璃」5


 何もない村だった、と六花さんから聞いていた。

 私が住んでいた当時はまだ大規模開発が露と消える以前であり、地元の商店街には活気があった。ファミレスはなかったけれど、それでも飲み食い程度なら不自由さを感じたことはなかった。だが今は過疎化が進み、昔ながらの住居が軒を連ねるだけの、忘れ去られた村と化しているそうだ。

「なんか寂しい気もするね」

 とは言ってみるものの、到着した先で何も食べられないのはさすがに困る。午前十一時二十分。美晴台へ入る前に最寄りのコンビニで食料を調達した。駐車場内に停めた車の中で、新開くんはおにぎりを頬張りながら「決めておきましょう」と言った。

「日が沈むまでには戻ります。じゃあ、五時半にしましょうか」

「いいの?上手く情報が集まるとも限らないし、三神さんやめいちゃんの容態を軽く見ないなら、休んでる時間は惜しいよね?」

 私がそう言うと、新開くんはおにぎりを飲み込みながら首を横に振った。

「あちらの事は、今は考えません。僕らの話です」

 コンビニに停めた車内からでも、美晴台のある山並みが見えた。新開くんは崖団地が建っているであろうその山をじっと見据えながら、こう言った。

「相手は僕たちが美晴台に訪れていることを知っています。となると、また日暮れと共に傀儡を打って来るでしょう。おそらく僕でも後れを取ることはないと思いますが、相手も馬鹿じゃない。いつまでも同じ手ばかりを使ってくるとは限りません。用心に越したことはないです」

「へえー……」

 仕事人の顔だなー……。

 私は一瞬見惚れ、「そうかぁ」と馬鹿みたいな返事を口にしていた。



 幹線道路から脇道に入り、丁字路の突き当りで左右どちらにハンドルを切るべきかで新開くんは迷った。

「右が、崖団地。左が、柳さんのご自宅みたい」

 新開くんは、六花さんから伝え聞いていた柳さんのお宅には向かわなかった。いいの、と尋ねると、彼はほんの少し強張った顔で、「まあ、別に後回しでも」と、らしくない返事を寄越した。礼儀をわきまえた新開くんには似つかわしくない発言だったが、この土地の長ともいうべき柳家を素通りするからには、きっと理由があるのだろう。

「村人を見かけた場合は、声掛ける?無視する?」

「無視で」

「お」

 おおおお、そこまで行くとさすがにちょっと怖いな。

「あ、でももし若者なんかに出会えたりしたらさ、割と話しかけやすかったりしない?」

 私がそう軽い気持ちで提案すると、新開くんは押し殺した声ながらとても強い口調で、

「絶対に駄目ですッ」

 と私を睨んだ。私はこの時はまだ知らなかったのだ。新開くんと坂東さんの前に現れた不審人物が、若い学生のような年格好であったことなど。

「……なんだよ」

 驚いてそう呟く私に、

「すみません」

 と新開くんは謝ったが、それでも彼の目が鋭いままだった。



 約二十年振りに見るその建物は、青空に溶けこみ輪郭がぼやけてしまったような、なんとも淡い色彩をしていた。鉄筋コンクリートの壁には色が塗られていなかったはずだから、経年劣化でもっと悲惨な老朽化を迎えていると思っていた。確かにひび割れた外壁や、地面から近い場所に生えたコケ、雨染みなど、もちろんそれ相応には汚ならしい。だが私の記憶の中にある崖団地はもっと黒ずんだ印象だった。全体的に日の当たらない、夜に似た暗さを思い描いていたのだ。

「何年振り?」

 二棟並んだ崖団地を見上げて私がそう言うと、新開くんは目を細めながら建物を凝視し、

「……どうですかね」

 と言った。

 心ここにあらずだな、と思った。こういう時は無理に話掛けない方がいい。別に何年振りだろううが、正確な日付を知りたいわけじゃない。ちなみに私が住んでいたのは二棟あるうちの、左側の建物の四階だった。新開くんは、右側の棟の二階だったと聞いている。

 『崖団地』と呼ばれただけあって、建物の正面広場は緩やかな坂になっている。立地そのものが整地した山の斜面であり、見晴らしは良いが、世間と断絶された孤島のような印象が余計と寂しさを助長していた。私たちの通って来た丁字路から続く長い直線道路は、団地の敷地へと入る直前山裾を回り込むようにカーブし、ぐるっと半周しながら団地正面の広場まで登って行く。私は幼い頃、このカーブが大嫌いだった。それこそ団地住民しか使用しない私道のような狭さで、街灯が一本しかない為、下校時間はとにかく怖くて憂鬱だったのを覚えている。あれだけ嫌だった道も、車で通れば一瞬だった。だが今でも、心細さと怯えから、何度も背後を振り返りながらとぼとぼ歩いていた幼い私が取り残されている気がして、胸がきゅうっとなった。

「さて」

 と新開くんが言った。

 五階建てで、エレベーターはなかった。二棟とも同じ造りになっており、両棟の間には人が一人通れるだけの隙間が空いている。

「僕、あそこの隙間が嫌いだったんですよ」

 指さしながらそういう新開くんの視線を追うも、別段変わった様子もない。

「私には何も見えないけど、……何かいる?」

「いや、今はさすがに」

 苦笑する彼に、

「昔?」

 と聞くと、新開くんは答えずに目を細めてその路地を見据えた。



 あ。

 人が降りて来る気配に、私は思わず新開君の背中に隠れた。もともとはここの住人だった。言い訳ならなんともでもなる筈で、隠れる謂れなどないと分かっていても、反射的に身を隠していた。

 新開くんは全く動じずに私の前に立ち、右側の棟から出て来る人影を注視している様子。仕事になるとスイッチが切り替わる、とは昔から自分で言っていた。確かに、普段の様子からは考えられないような落ち着きっぷりである。なんだか、ちょっと悔しい。

「これはこれは」

「まさかまさか」

 現れた人物は一人ではなかった。

 ガタイの良い、上下灰色のスウェットを着た短髪の男と、その後ろから付いて来る長髪の男。こちらも上下黒のスウェットを着ており、袖のないダウンジャケットを羽織っている。R医大病院で一瞬だけ見た顔だ。確か、天正堂のなんとか兄弟といったはずだ。病院で見た時は「なんと場違いな」と驚いたが、ここ崖団地で見る分にはこれ以上ない程しっくりくる出で立ちである。

「お揃いで」

 前を歩く短髪の男が新開くんの前に立って言いながら、彼と私と交互に見た。「……出て来て平気なのかよ」

 私の事を言っているらしい。どうやら彼らには私がどういう素性の人間か、既に知られているようだ。

「平気ではないよ。人手が足りなくて仕方なくだ。君たちはどうしてここへ? 住んでるのか?」

 新開くんは冗談を言ったつもりもないだろう。だが後から遅れて来た長髪の男はへへヘと笑い、

「こんな所に住む奴の気が知れないって」

 と親指を背後の団地へ向けた。まぁ、同意はするがそれでも腹は立った。

「お前に教える義理はねえよ」

 と短髪男が言う。「どっちつかずの蝙蝠野郎が、ちいとばかし年上だからって先輩面すんじゃねえよ」

 なんて口の悪さだ。だが口調は最悪ながら、声色にはそこまでの険を感じなかった。挨拶程度の冗談、そんな雰囲気だったし、新開くんも特別怒りはしなかった。が、

「丁度いいや、君たちに聞いておきたいことがあったんだ」

 と、相手方の意向をまるで無視する言葉を言い放った。

 お前、と短髪男が眉間に皺を寄せ、聞いてなかったのかこのやろー、と長髪男が凄んでくる。

 私は新開くんの背中からいつ飛び出してやろうとかとタイミングを見計らっていたが、新開くんは何も構えた様子もないまま、こう言った。

「君たちは先日、天正堂から派遣されてR医大に来たと言ったね。君たちに指示を出してるのは一体誰なんだ? この場所を訪れたことだって、君たち自身の思い付きじゃないんだろ? 教えてくれないか」

 ああッ!?

 なんだとこのやろーッ!

 男たちが怒鳴り、新開くんに向かって体全体をぶつける勢いで前に出た。

 その瞬間、新開くんの背後に立つ私の首の後ろ辺りがチリチリと粟立つの感じた。傷みを感じる程に毛穴が開き、総毛立った。

 この感覚は……。


「君たちは一体、誰の味方なんだ?」


 新開くんは今、本気で怒っている。




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