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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
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[44] 「希璃」4


 敢えて明言するなら、怖がりではない方だと言いたい。

 怖がりな旦那がいるから余計にそう思うだけかもしれないが、昔から、嫌な予感だとか胸騒ぎだとか、そういう内面的な負の感情の方が苦手だった。幽霊を見ても怪談話を聞いてもそこまでギャーとはならないが、「これはやばいな」と感じた事柄に対するマイナスイメージはどう足掻いても、絶対に自分一人では払拭しきれなかった。私の中からいつまでたっても崖団地にまつわる仄暗い記憶が消え去ってくれないように、ふとした切っ掛けで去来する胸中の暗雲というものは、まるで未来予知でもしてるんじゃなかろうかと自分を疑い始める程、私の時間を延々と占有していくのだ。

 ただ、隣に怖がりな旦那がいる時だけは何故か、その不安や大袈裟な恐怖心が鳴りを潜めていてくれる。それは私たちが出会った大学生のころからそうだった。私なりの推理では、この現象にはれっきとした理由がある。それは……。

「いちご大福ってさ…」

「……え!?」

 私の中ではその会話の切り出しは全く唐突ではなかったが、新開くんにとっては斬新さすら感じる程に唐突だったらしい。

「や、二代目大福の話ね」

「ああ、はい」

「ちょっと、前見て運転してね」

「はい」

 新開くんはどこかおどおどとした雰囲気を漂わせながらハンドルを握っていた。美晴台へ向かう二人だけの車内が何故か沈鬱な空気だった為、私から話しかけてみたわけだ。

「回数制限の話だけど、実際どのくらい結界を張れるものなの?」

「ああ」

 新開くんが作成した呪具、いちご大福の持つ結界能力についてだ。今いちご大福は、R医大病院で処置を受けているめいちゃんの胸の上にあるはずだ。何か邪なものが近づいた時、結界を張って彼女を守ってくれるだろう。

「一、二回ってことはないと思います」

 と新開くんは言う。「いちごの結界は僕だけの力ではなくて、幻子の力に因る所が大きいんです」

「共同で作成したんだっけ?」

「そうです。索敵は僕の方が得意なんですけど、やはり呪具として成立させるには彼女の力が必要でした。幻子が直接力を注ぎこんでますから、そう簡単には破られない結界が複数回張り巡らさせると思います。ただ……」

「ただ?」

「デメリットもあります。場所が病院なだけに、今回の事件と全く関係のない地縛霊などがめいちゃんの側で顕現した場合、それにも反応してしまいます」

「しょうもない敵にも空打ちしちゃうわけだ」

「そういう感じですかね。だからいざめいちゃんの身に危険が迫った時に、果たして何度結界を打てるのかと言われると」

「なるほどねえ」

「それに僕は今、先輩の側にいちごがいない事の方が心配です」

「……ほう?」

「六花さんがいて、もしそこへ本当に土井零落が助っ人で駆け付けるなら、僕のいちごは先輩に持っていて欲しい」

「土井なんたらさんの話は私よく分かんないけど、そこはほら、僕が守ります的な感じでお願いしますよ」

「真面目な話をしています」

「私もそうです」

 売り言葉に買い言葉のつもりもなく、ずっと自分なりには真面目な気でいた。私は昔から、感情的に物事を騙るのが苦手なのだ。嫌いなのではない。感情を前に出して話をするとすぐに泣き叫んでしまうから、単純に恥ずかしいだけだ。だからいつも冷静な振りをして言葉を選ぶ。するとやっぱり相手からは、ふざけていると思われてしまう。

 新開くんは口を噤み、ゆっくりと鼻から溜息を逃がして、言った。

「僕が命をかけて先輩を守れるんならいくらでもそうします。だけど現実はそんなに簡単ではありません。坂東さんから聞いた話では、九坊は霊能者を狙い撃ちしてきます。闇に潜んでいる敵側の意図が天正堂やチョウジにいる霊能者なら、最悪、まだいい。だけどめいちゃんや先輩にまで敵意を示しているとなると、事は単純じゃありません。九坊という呪いについてだって、僕たちは全容を掴めちゃいない。相手の正確な意図が把握出来なければ、僕たちは間違った推測のもと、どんどん明後日の方向へ闇雲に突っ込んでいきかねない。……生きてやるべきことがあるんです。体を張って盾になればそれで終わりに出来るなら、僕だって今すぐそうして終わりにしたいですよ」

「……ほほう」

 私の不安や恐怖心を消してくれる理由は、彼のこういう部分だ。

 この新開水留という男は不思議なことに、こういう発言をこともあろうに、本気の本気で言ってのけるのだ。別に言われなくたって、態度や表情で何を考えているのか分かるくらい分かりやすい男だというのに、その上ちゃんと言葉にして口に出してくれもする。実に奇特で、珍種な、希少種だ。

 だからこそ、私はこう言えるのだ。

「私も……そうです」

 新開くんは呆気に取られて溜息をつき、そして私は笑ってしまう。大体会話の終わり方はいつだってこのパターンだった。私はこれを、『小福』と呼んで来た。この会話の中に、最近は成留が割って入ってくるようになった。私はそれを、『大福』と呼んでいる。




 以前新開くんと昔話をした時、崖団地は今はもうないと彼は答えた。

 実際には今でも人が住んでいるらしいとの事だが、彼が噓をついた理由など聞かなくても分かるから知りたくはない。そんな事よりも、今から二十年以上前に住んでいたあの団地に、今も暮らす人々がいる現実の方がよっぽど衝撃的だった。

「今だから言える話」

 と新開くんは言う。「先輩はずっと、あの団地に対して気味が悪いとか怖いとか仰ってましたよね。先輩の言う通り、あの辺りは確かに、天正堂でも噂されるぐらい空気の悪い土地だったんです」

「六花さんもそう言ってた。良くないものが集まりやすいって、そういう事?」

「詳細は僕も分かりません。考え方としては二パターンあって、もともと土地が穢れている場合と、後天的に穢れが発生した場合です。このどちらに当てはまるかによって、答えは違ってくるでしょうね」

「もともと穢れている土地なんてあるの?」

「戦争が起きてたくさん人が死んだ場合や、処刑場、あるいは霊道の開きやすい場所、などがそうです」

「じゃあ後天的ってのは?」

 私の問いに新開くんは黙り、言葉を探している様子だった。彼なりの答えはあるのだろう。だがそれをどう表現するかで迷っているのだ。

「覚えてる? 私が前に言ってた、おじいちゃんの話」

「……御曲りさん」

「そう。そう呼ばれた人がいたらしいね。天正堂なんでしょ?」

「今は違うと思います。実力のある方で、かなりご年配だそうですから、もし現役なら上位を与えられているはずです」

「二神さんと階位・第二を争ったって」

「そう聞いています。だけどそう考えると、もう九十近い年齢でしょうね。……それが?」

「夢に出て来るっていう話、したでしょ。実際に会って、この目で見ていた人でもあったから、それが怖い夢なのかどうかって言われると分からないけど、あの時あの人は、何をしていたんだろうなあって。後天的に土地を穢すって、もの凄く怖い言葉だけど、あの人はずっとそういうものと戦っていたのかなあって」

 新開くんはうんうんと頷き、ありえます、と答えた。

「少なくとも先輩があの団地にいた二十年前までは現役の天正堂だったわけで、柳さんと仰る方に呼ばれて仕事をされていたわけだから、何某かの呪い事を行っていたんだと思います」

「そこらへんの話をうまく聞けるといいんだけど」

「……ええ」

 ええ、と答えるまでに若干の間があり、私は少し気になった。せかせか話す人ではないからこそ、言葉を口にするタイミングによって、彼の感情の揺らぎなどが推し量れる。私は今、ごく当たり前の事を言ったのだ。情報収集が上手くいけばいい。それだけの事しか言っていない。なのに新開くんは即答しなかった。そこにはきっと、彼にしか分かりえない大切な秘密が隠されているのだろう。私はただ新開くんを信じて、ついていくしかない。





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