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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
42/146

[41] 「坂東」8


「小原さん」

 静かな声で、新開希璃がその名を呼ぶ。

 小原桔梗という男は、重量感のある腹回りと年相応の髪形だけ見れば、親しみを感じさせる近所の親父然としている。だがこう見えて、かなり向こうっ気の強いおっさんでもある。片や新開希璃は、三十歳を超えてなお天然を感じさせる無邪気の塊だ。俺はこの二人が会話する光景を見るだけで、内心冷や汗が出る思いがした。

「なんでしょう?」

 希璃の方へ体を向けた小原さんに対し、

「つい先日、少しだけ『九坊』について教えていただけましたよね」

 と彼女は聞いた。

 その途端、新開のこめかみが「ビキ」と音を立てた。…いや、立ててはないが、青筋が立った。そして、何を隠そうこの俺も腹を立てていた。しかし新開は敢えて割って入らずに二人の会話に耳をそばだて、俺は奥歯をギリリと噛んで沸き起こる感情をやり過ごした。

 ……三神のオッサンですら明言を避けた程強力な呪いだぞ? 何を勝手に、何を根拠に、しかも既に一度呪いを打ち込まれたかもしれない女に向かって、何を話してくれたってんだ?

 小原さんはそんな俺達の気配を感じ取り、やや居心地の悪そうな顔で声のトーンを落とした。

「ええ、まあ、……それが?」

「私からお尋ねしたいのは一つなんです。その『九坊』という恐ろしい呪いが、誰かを攻撃する手段として、人を殺してしまう程の強さを発揮する呪いが放たれたとして、実際にこうして多くの犠牲者を出すに至ったわけですが、……小原さんは、これらの目的は一体なんだと思われますか?」

 希璃が尋ね終わった後も小原さんは即座に答えようとはせず、やがて口を開いたかと思えば、

「……目的」

 と復唱することしか出来なかった。

 俺は感心しながら希璃を見つめた。

 芯を食った質問だと思ったのだ。

「小原さんは、何故、『九坊』だと思うのかと聞いた私に、一度体験したことがある、見たことがあると仰いましたね。おそらくそれは、ここにいる坂東さんが巻き込まれた事件だと思います。だけど実際、三神さんや、私や、斑鳩さんの状態だけを見て受けた呪いが全て同一であると判断するには、かなりの知識と経験が必要になると思うんです。だって、三人とも全然症状が違うわけだし、受けた呪いの進行具合もまるで違う中で、なぜ『九坊』だと判断されたのかなぁ、と。もしそこの判断に確かな根拠がおありなら、きっと呪いを打った人間の動機にも、もう既に思い至ってるんじゃないかなって……」

 こいつ……。

 俺は思わず唸った。

 天正堂の階位・第四を押し込む人間など見た事がない。ただの天然素材の無邪気女ではないと思っていたが、やはり希璃はそれ以上だった。

「うううん」

 と、小原さんは唸った。気持ちがいいくらいに唸った。

 呪いに関して、天正堂はプロだ。専門家である。俺たちチョウジ以上に豊富な知識を溜めこんでいるし、その扱いにも長けている。かつて一度は現世に発現した『九坊』を止めた唯一の人間が、天正堂の頂点・二神七権なのだ。その下に集う人間とあらば、それこそ希璃の尋ねた質問に答えられてもなんら不思議ではない。

「答え方が、難しいんです」

 と小原さんは言った。「誤解を招かないように言っておきますが、私は新開くんの奥様に、何か一つでも彼女の危険に直結するような情報を聞かせてなどいません」

「……そうですか」

 押し黙っていた新開がようやく口を開いた。

 この男はこの男で、絶対に怒らせてはいけない男だから心臓に悪い。

「それに」

 と小原さんは続ける。「私にも確信があって『九坊』だと断言したつもりはありません。酷似した現場を見た、と言ったまでです。ただ……」

「ただ?」

 小首を傾げる希璃に、小原さんは躊躇いがちにこう言った。

「……『九坊』とは本来、単発で人を呪い殺す呪法ではない、と言われています」

 一瞬間があり、

「どういう意味ですか?」

 と希璃が尋ねた。すると小原さんは新開の顔色を窺いながら、「よろしいか?」と聞いた。

 新開は新開で心なしか青ざめ、唇を真一文字に結んで頷いて見せた。

「『九坊』とは……」


 ……ピンポイントで打ち込んで来る厄介な呪いだよ。


 その声に俺たちは驚いて振り返った。

 廊下の奥から秋月六花が姿を現し、声を失う俺たちに向かって、こう言った。

「気が付いたことがある」

 あなたも、ご存知なのですか?

 と、小原さんが尋ねた。

「いえ」

 秋月六花は首を横に振り、希璃と新開の間に腰を降ろした。

 めいちゃんは大丈夫なんですか、と新開が小声で聞いた。秋月六花は青白い顔を頷かせ、「おかげさまでバイタルは安定してるってさ。よく眠ってる。ありがとね」と新開に微笑みかける。

「六花さん、気付いたことって……」

 おずおずと希璃が割って入ると、秋月六花は椅子の背もたれに背中を預けて、腕組をして足を組んだ。尊大な態度というよりも、怒りに満ちている様子がありありと伝わって来た。

「実はさっき、奥でまぼと電話で話したんだ。めいの事を相談したかったのと、あの子を襲った傀儡の事も気になったしね」

 秋月六花はそう言い、空中を睨み付けながら先を続けた。「私たちとほとんど大差ない時間帯に、あの子も傀儡の襲撃を受けたと言ってた。しかも聞いた限りでは、仕組まれた二段階式の呪法も同じだった」

「二段階?」

 尋ねる俺を見据えて、秋月六花は言う。

「傀儡自体はそう怖いもんじゃなかった。だけどもちろん一般人にはどうしたって抗えない。単独で渡り合えるとしたら、私たちみたいな人間だけだと思う。……つまり」

「霊能者、ですか?」

 と新開が聞いた。

「そう」

 秋月六花は頷く。「霊能力を持った人間だけが傀儡を退けられ、そうしたら最後、霊能者に向かって呪いが飛ぶ、そういう二段階の仕組みだったんだ。まぼは自力で二つとも防げたけど、めいは、私を庇って呪いを受けてしまった。気付いてると思うけど、三神さんも、有紀くんも、斑鳩も、めいも、そして希璃も、全員が霊能者だ。これは偶然なんかじゃない。私たち霊能者を狙って呪いを打ち込んで来てるとしか考えられない」

 さすが姉さんだ、と思う。

 だが秋月六花の話し振りに感心しながらも、俺と新開はどう反応して良いか困る部分もあった。たった今秋月六花が話した内容というのは、ここにいる小原さんをはじめ、まさに一部の人間しか知りえない確かな情報である。彼女の推測は、全て正しい。だがその情報は、俺も新開も既に知ってしまっている。それはこの俺こそが、かつて『九坊』に呪われた当事者として、『一部の人間の領域』に立っていたからだ。

 返答に困り果てて黙っていると、

「バンビ」

 と秋月六花が俺を見て言った。

「……うす」

「お前知ってたな?」

 その瞬間俺の体温が急激に上昇し、新開と小原さんの気配が臨戦態勢のそれに変わった。

「な」

 俺は今、秋月六花から目に見えない攻撃を受けている……ッ!

 新開と小原さんの気の変化は、超至近距離で霊能力が発動したことによる条件反射だろう。だが俺の身体のDNAは今、確実に捻じ切られようとしていた。

「ね、姉さん……」

「六花さん!」

「黙れ新開。バンビ、もう一度だけ聞くよ。お前、九坊のカラクリを知ってたな?」

「駄目だよ六花さん!坂東さんは敵じゃないよ!」

「そんな話してるんじゃないよ希璃」

 言いながら俺を見つめる秋月六花の目は、本気だった。「答えろバンビ」

 俺は沸騰寸前の血液が暴れ狂う様に吐き気を催しながら、

「……あい」

 そう答えるのが精いっぱいだった。

 秋月六花は俺の目をしっかりと見据え、そして、

「分かった」

 そう言って俺を解放した。

 大きく息を吐き出し、顔を真っ赤にして肩を上下させる俺を、新開と希璃が心配そうに見つめてくる。小原さんは……呆れて頭を振っている。

「バンビには感謝してるんだ」

 何事もなかったように普段通りの声を出し、秋月六花はそう言ってため息を付いた。「事前にお前からこの話を聞いていた所で、だからって調査を断念するわけにはいかないことくらい……分かってる。チョウジのためでも天正堂のためでもなく、めいや三神さんのためなんだもん、分かってるさ。だけど気に食わないもんは気に食わない」

 秋月六花は立ち上がり、めいの待つ処置室へと向かって踵を返した。戻り際、彼女は俺にこう言い残した。

「あんたも苦渋の決断だったろう。だからこれは私の八つ当たりってことでいいから、二つ三つ貸しにしといてよ。お前なんて偉そうに言って悪かったね。だけど次なんか私に隠し事したら、そん時は……」


 ……怖えぇー……。





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