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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
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[40] 「坂東」7


 その日、二神七権の自宅を訪れた有紀優と斑鳩千尋の両名は、その時点で既に当該宅に居合わせた三神幻子に対し、自らを「天正堂本部から派遣されて来た者だ」と名乗ったという。その真意は不明。長年苦楽を共にしてきた有紀に対する信頼は揺るがないにせよ、不可解さは拭い去れない。

 同じく三神幻子に対してもそうだ。風変わりな印象こそあるものの、人間的な真面目さでは師であり父である三神三歳が生臭に感じるほど、朴訥として実直極まりない。決して噓を言うような女ではない思う。

「じゃあ……」

 人さし指を上に向けてそう言ったのは、新開希璃だ。「有紀さんたちが確かに天正堂を名乗ったんだとして、相手がまぼちゃんだったからっていう理由でもないとして、しかもここにいる小原さんも無関係だって言うんなら、選択肢はもうほとんど残されていませんよね?」

 希璃はそう言いもって俺の目を見た。

 言わんとしてることは、俺にも理解出来た。

「今度は逆に、坂東さんが、チョウジの上層部に確認されてみてはどうですか? もしかしたら有紀さんや斑鳩さんに直接の理由があったんじゃなくて、もっと上の、チョウジのお偉いさんからの指示で天正堂を騙ったのかもしれませんよね」

「ああ」

 それは俺も考えていた。不本意ながらも看板を偽るならば、上司命令という大義名分があれば筋は通る。

「可能性はある。だが」

 と首を捻る。「新開も知っての通り、うちは大所帯じゃない。俺の上にはあと一人、椎名という名前の部長がいるだけだ。もしその椎名さんが知らないってんなら、それ以上追える道筋はなくなるぞ」

 すると黙って耳を傾けていた新開が、

「あのー」

 と小原さんを見て言った。「もう一つ、可能性があると思うんです。選択肢といいますか」

「ほお?」

 小原さんは首をひねり、新開の言葉の続きを待った。

「これも幻子に聞いた話ですが、斑鳩くんはどうやら、移動中の車内で呪いを受けたわけじゃないようなんです」

「そうなのか?」

 不意にどんと胸を突かれたような感覚に、俺は眉をひそめて割って入った。

 理由は分からないにせよ、斑鳩は有紀とともに幻子と会った直後に攻撃を受けたものとばかり思っていた。なんなら幻子と出会えたのは偶然ではなく、斑鳩が呪いを食らったことと密接に関係しているのでは、と疑ってさえいた。それは斑鳩が有紀に対して馬淵と呼んだ事とも別段食い違うわけではない。だが、最初の前提条件からして間違っていたのだ。

「有紀さんは斑鳩くんが呪いを受けていたことに気が付いていなかったようです。しかし幻子の見立てでは、会った時にはすでに斑鳩くんは呪われていた、と。そこで、小原さんにお伺いしたい事があります」

 前のめりに体を倒しながらやたらと声を潜める新開のやり方に、

「何でしょう?」

 大ベテランの小原さんでさえ引き込まれて顔を近づけた。

「斑鳩くんが呪われていたことと、彼らがその時天正堂を騙ったことに、因果関係は見受けられないでしょうか? 例えば、名前というのは相手を呪う時に重要な役割を果たしますよね。結果斑鳩くんは呪われてしまったわけですが、与する組織が違うわけだから、あえて用心を重ねて幻子にも噓をついた、なんてことは考えられませんか」

 新開の言葉に一瞬場が静まり返る。が、次に「いや」との声を漏らしたのは奴の妻である希璃だった。

「いやいやいやいやいやいや、それはおかしいよ。それってつまり、二人がまぼちゃんを疑ってかかってたってことじゃないか!」

「先輩声が大きいです」

「だってさ!」

「だってじゃありません。一つの可能性の話です」

 おそらくそう言いながらも新開は、三神幻子をこれっぽっちも疑ってなどいないだろう。この男は幻子に対して異常なまでに恩義を感じているし、西荻文乃に対する感情とはまた違ったベクトルで、それはもはや崇拝に近い敬意を抱いているのだ。だが、問題は幻子ではない。有紀と斑鳩の両名が、どう考えどう行動したかが問題なのだ。

「可能性の話をすれば、それこそ選択肢は無限です」

 と、若干困り気味の顔で小原さんは答えた。「確かに人が人を呪う忌わしい行為に際し、それがどういう流儀に乗っ取った技法・呪法を用いるにしても、相手の氏素性は重要な役割を果たすと言えます。分かるのなら住所年齢生年月日全て揃っていると尚良い。そう言う意味では新開くんの言う通りなのですが、実を言えば、必須というわけでもありません」

「というと?」

「極端な事を言えば相手の名前が分からくても、本人が目の前にいるなら呪いをかけることはできます」

「ああ……」

 声を漏らして視線と落とす新開に、そうなの?と希璃が聞いている。

 俺はこういった分野の専門家ではないが、確かに小原さんの言う通りだと思った。呪いとは、遠隔操作で他人を取り殺すことだけを言うわけではない。もしそうなら、一般人には呪いを扱えないということになる。だが実際にこの世の中で呪いを一番多く打っているのは、正しい知識も手順も収めていない、ただの一般市民である。

「あくまで天正堂の看板を騙ったことだけに焦点を当てて考えるなら、呪いを受ける受けないという話とは、関係がないように感じられますね。坂東くんは、どうでしょう?」

「うーん」

 俺は唸り、考える。「……俺もそう思います」

 新開は少し残念そうな顔をして、小さく溜息をついた。

「だが、幻子が全く無関係だとも思えないってのは、俺の中にもある」

「そうですか?」

 意外そうな小原さんを見据えながら、俺はこう切り出した。

「一番重要なのは、斑鳩を呪ったのが誰か、という点です。だが有紀が気付いていなかった以上、斑鳩自身呪いを食らっても無自覚だった可能性がある。そう考えれば、幻子に会ったからと言って咄嗟に看板を騙るような機転が利いた可能性は、低いだろうな」

 一瞥する俺に、新開も納得せざるを得ない顔で頷いた。

「それに、もう一つ。なぜあの日、二人が二神七権のもとを訪れたのか、という点です」

「それは、私もずっと気になっていた。そもそも君たちは自ら進んで『テンケンさん』に立ち入ったりなどしないはずでは?」

 そう言った小原さんの目が、俺を見つめ返す。テンケンさんというのは、二神七権の屋敷が立つ敷地一帯を、天正堂ゆかりの人間ばかりが暮らす麓の村の住人が用いる呼称、いわばあだ名のようなものだ。

 俺は首を横に振り、「しません」と答えた。

「少なくとも俺が入った十年前の事件以降、一度もないはずです。まあだからこそ、二神の爺様が不在にも関わらずのこのこと出かけて行ったってなんていう、間の悪い話でもあるわけですが」

「御大を爺様など呼ばないでくれたまえ」

「おっと」

 小原さんのチクりと痛い怒気に当てられ、俺は思わず背筋を伸ばした。「俺が言いたいのはひょっとすると、二人ともに理由あって天正堂を騙ったわけじゃなく、幻子に一度も会った事のない斑鳩が独断で、自分を偽ったんじゃないかって話です」

「どういう意味です?」

 まだ少し怒り気味の目を細め、小原さんが聞く。

「時間は夜。しかも街灯も何もない、小高い丘の上にあるお屋敷の真ん前です。そこに人が立ってりゃ誰だって村の人間だと思うでしょう。その時の会話を知らないから言える話かもしれませんが、幻子を見てまずいと感じ、自分たちは本部から派遣されたと噓をつき、騒動を避けようとした……とか」

 小原さんはようやく険の取れた顔で頷き、「それは、ありますね」と言った。

「あの村はチョウジうんぬんではなく、そもそも余所者を毛嫌いしています。アポを取らずに御大の屋敷前まで車で乗り付けたのなら、夜中に人が待ち構えていたことにさぞかし驚いたことでしょうねえ」

「いや、おかしいです」

 そう言ったのは新開だ。

「なぜだ?」

 尋ねる俺に、奴は眉間に皺を刻んだしかつめらしい顔でこう答えた。

「斑鳩くんは自分たちを天正堂から来たと名乗った。なのに、幻子を車に乗せ、『三神幻子さんですね』と本人確認をとっている。村人と間違えたわけではありません」

 そうだったんですか、と小原さんが意気消沈して肩を落とした。

 俺もそうだ。前進したかと思えば後退する。手探りでなんとか前に進もうにも、真実が見えている人間が一人もいないのだ。

「斑鳩はどうして、誰に呪いを受け、そして何故有紀と二人して二神邸を訪れたのか。天正堂を騙ってまで、幻子を乗せてどこへ行こうとしたのか」

 問題は問題のまま、何一つ姿を変えずにただそこにある。背中を向けて去っていく、有紀と斑鳩の後ろ姿が見えるようだった。

 どうすりゃお前らに近づけるってんだ……?




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