[36] 「希璃」2
私と新開くんが処置室の前に到着した時、中から取り乱した様子の医師が足早に出て来るところだった。処置室の前には坂東さんと六花さん、そして小原さんの三人が待ち構えていた。すると、まるで逃げ出すように出て来た五十代と思しきその医師は、三人の前で乱暴にメディカルキャップを脱ぎ取った。
「どうなんだ」
そう問う坂東さんに対し、医師は興奮気味に「だからッ」と声を荒げた。
「もういい加減にしてくれませんか!三神さんといい斑鳩さんといい、次はうら若い女性まで、一体なんなんだ!三神さんは今でも、検査する度に衰弱の度合いが増していくんだ!なんの病変も見られないにも関わらず日毎に血液が消え、肌艶がボロボロに衰えていく!末期癌の患者だってこんなことにはならないよ!あんた警察だろう!一体彼らは何をされたんだ!」
私は驚いて新開くんを見やるも、彼は悔しそうではあるものの動揺を感じさせない横顔で唇を噛んでいた。
坂東さんは冷静に医師の肩に手を置いたかと思うと、そのまま強引に回れ右をさせながら一緒に歩き始めた。
「戻れ。原因とかそんなことあんたが考えなくていい。それはこっちでやる。あんたらはただひたすらあの子の命を繋いでくれりゃあいいんだ」
「だからって…ッ」
小原さんと六花さんが医師に歩みより、頭を下げて懇願しているのが分かった。強引な坂東さんと違い、医者の昂った気持ちを静めようと二人は必死に努力していた。
現代の医学ではどうあがいても太刀打ちできないんです、と新開くんは私に向かって呟いた。
「めいちゃんは今心神耗弱に近い状態にあります。外傷はないし、見た目はただ眠っているように見えるかもしれませんが、傍から見れば神経症に近いような、正常な判断機能を失って、どんどん肉体の衰弱が進んで行く状況なんです。呪いというものは、科学的見地からは想像もつかない程猛烈な勢いで命を消費していく。医者はいつだって、原因が分からなければ処置の施しようがないと匙を投げようとする。だけど、霊障や呪いを解くことは僕たちに出来るけど、弱った肉体を回復させるにはどうしたって科学的な医療が必要なんです」
「めいちゃんには今、意識がないの?」
私が聞くと、新開くんは黙って処置室の向こうを見据えた。
彼は念話を使って離れた場所の人間と意思疎通がとれる。もちろん相手にもそれなりの霊力を必要とさせるが、すくなくとも健康な状態にあるめいちゃんであれば問題なく話せたはずなのだ。
「ありません」
と、やがて新開くんが答えた。
私は考え、こう切り出した。
「……いちご大福を、めいちゃんのそばに」
私の言葉に新開くんはハッとして振り向き、光明を見出した顔で頷いた。「今、どこに?」
「私の病室にある。とってくる」
頼むよ!
突然六花さんがそう大声を上げた。
処置にあたることを拒んでいた医師に縋り付き、両膝を着いていた。
「出来る限りのことでいいんだ!輸血とか投薬とか、無駄かもしれないって先生は思うかもしれないけど、だけど本当にそれが大事なんだよ!見捨てないでください!めいを、なんとか処置を続けてください!」
泣き叫ぶ勢いの六花さんの声は、私に事態の深刻さをこれでもかと突き付けた。
「六花さんは、他人の傷を簡単に治せる」
新開くんは言う。
その力を用いれば、三神さんだってめいちゃんだって救える筈だと思うかもしれない。だがそれはある意味正解であり、やはり不正解なのだ。少なくとも今めいちゃんには外傷がない。だのに、彼女は心身ともにどんどんと死に向かって衰弱し続ける。ひょっとしたら、六花さんが二十四時間側にいて治癒の力を使い続ければ、めいちゃんは現状を維持出来るかもれない。だがそんな事は現実的ではないし、呪いを受けたのもめいちゃんだけではない。医師と医療の協力なくして、この先も戦い抜くことは出来ないのだ。
新開くんは、天正堂と広域超事象諜報課で働き始めて数年後、護身用と反撃用、二つの意味をもつ呪具を作った。まだ自分の可能性を模索する段階にいた彼は、師である三神さんとともに小さな奇跡を完成させた。
それは『大福シリーズ』と呼ばれる、見た目は普通の着せ替え人形だ。もともと新開くんが強く備えている幽霊を感じ取る力を応用化したもので、なかでも初代・オリジナル大福は『豆大福』と名付けられ、三神さん発案のもと、感応と索敵に特化した強烈なインパクトの呪具として生まれ変わった。
新開くんは最初、自分の霊力を顕在化させ、呪具として用いることを考え始めた時、家族や友人たちを守護する存在としてその構想を練っていた。それを引き継いだ形で出来上がったのが、二代目大福である。彼女は『いちご大福』と名付けられた。
私は自分の病室からいちご大福を持って来ると、処置室の前で失意の底に沈む六花さんへと差し出した。
「……希璃」
六花さんは顔を上げ、人形ではなく私を見つめてぼろぼろと泣いた。
「ごめんね、酷いありさまで。酷いこと言って、本当にごめん」
私は歯を食いしばって頭を振り、彼女の手に二代目を握らせた。
「新開くん特製の『いちご大福』です。この子は邪気を感じ取ると、小規模ながら結界を張ってくれます」
「……結界?」
私の背後から、新開くんが歩み寄ってくる気配がした。
「封じ込めた霊力の関係上回数に制限はありますが、外からくるナニカには対応出来るはずです」
すると、同じく処置室の前で様子を窺っていた坂東さんと小原さんが、私たちの側に立った。
「外からくるナニカって例えばなんだ。一度呪いを受けためいみたいな人間にも効果があるのか?」
坂東さんがそう尋ねると、
「それはぁ」
と、小原さんが首を捻った。「水を注すようで申し訳ないが、呪いを防ぐ手立ては現状存在しないと思っていた方が良いと、私も思います」
チョウジの室長、天正堂階位・第四と第六が揃って疑問を呈する光景を前にしては、さすがに新開くんの分が悪いかと思われた。しかし彼はあっさりと頷き、それはどうですが、と答えた。
「もちろん呪いの発動や効果を防ぐことは出来ません。だけど、六花さんもめいちゃんも、そして幻子も、敵側の放った傀儡に襲われています。ましてや僕と坂東さんのもとに現れたのは生身の人間でした。こちらも傀儡には違いありませんが、今後敵がどんな手を打ってくるか分からない以上、結界はないよりあった方が良いでしょう」
「それに」
と、差し出がましいとは思いながらも、私も口を挟んだ。
「小原さんに聞きましたけど、この一連の呪いにはもう一つ、『怖い、怖い』と聞こえる幻聴のような怪異が存在するはずです。多分だけど、そっちは『いちご』が防いでくれるんじゃないかな。もしもその声が呪いにとって重要な意味を持つ因子なら、そこを防げるのは大きいと思います」
「そうです」
と新開くんが胸を張って頷く。
坂東さんがにやりと笑い、小原さんが一本取られたという顔で頬の内側を舌で突いた。
「ありがとう」
と六花さんは言った。「めいもきっと喜ぶよ。あの子の側に置いてくる」
彼女が立ちあがり処置室へと向かった、まさにその瞬間だった。




