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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
34/146

[33] 「三神」

 

 看護師に無理を言ってノートとペンを用立ててもらい、今これを書いている。

 果たしてどこまでこの身がもつかも分からぬが、このまま黙って朽ち果てるには忍びなく、果たせるだけの責務は果たして綺麗にいきたいと願う次第である。



 まず初めに、わが子や、わが恩師、わが友らに此度の失態を詫びたい。

 しかしながら、心から申し訳なく思うその一方で、私にこの局面から逃げおおせる選択肢があったかどうかを胸に問うた時、やはり、ありはすまいと思えてならないのだ。

 私はこうなる運命だったのだろう。こうなる為に生きてきた人間なのだ。その結果、やがてこれを読むわが子やわが友を、矮小な己の命では決してあがない切れぬ恐怖と危険に晒してしまったことについては、悔やんでも悔やみきれない。



 この身はもはやどうなろうと構うものではない。だがわが子よ、友よ、どうかあなた方だけは絶対に倒れないでいただきたい。決して負けないでいただきたいと、切に願っている。

 これより、消えゆくわが魂に刻まれた最後の言葉を出来る限り多く書き記しておきたいと思う。それが身勝手な私に残された、果たすべき唯一の責務ではないだろうか。



 私の名前は三神三歳。天正堂三神派の看板を掲げる呪い師である。

 師の名は二神七権。

 弟子の名は三神幻子。新開水留。

 齢六十五にして不確定要素の多き謎の呪に倒る。

 今現在私のいる病室には無数の霊体が顕現と消滅を繰り返している。夜ともなればベッドの脇を大勢の霊体が取り囲んで恨めし気な顔で何事かを囁き続けている。

 あいにく、私は何十年と前から気を練り続けて生きて来た人間であり、応用すれば耳と心に栓が出来る。彼奴らは夜毎気色の悪い呪詛をぼそぼそと垂れ流しているようだが、基本的には我が内部に浸透させるにいたらずここまで来ている。

 僅かな時間、眠っている間は所持する呪具で凌いでいる状況だが、おそらく病室の外には天正堂から派遣された同胞が陣取ってくれているのだろう。守られているような感覚は伝わってきている。

 ありがとう。

 おかげさまでこの乱筆にはまだ先がある。



 私が受けた呪いについて、思い当たる名称はあるが明記は避けたい。おそらく私の状態や漏れ出る霊障の残滓から、賢明なそこもとらであれば察しが付く事と思う。

 私も同感、見立ては同じである。

 大謁教を紐解かれたし。

 その前に、なぜこの呪いを私が受けてしまったのかを説明するのが筋であろう。

 当病院に運ばれた際、看護師に預けたわが日記が手元にあるならば参考にしてもらいたい。だが後半、依頼女性として名の出て来るUについてはどうか捨て置いてほしい。

 Uは私の判断でとある場所に匿っている。とはいえ本人の自由意思もあることから、私の伝えた場所に今もいるとは限らない。

 今更Uについて思うことは何もない。探すだけ時間の無駄であると宣言しておく。私個人が彼女に手を差し伸べた結果がこれであり、Uが受けるはずだった呪いを私が引き受けたことが、この有り様の大元なのだ。だが、この呪いを解く鍵が彼女にあるわけではないし、私の口からUについて話せることもこれ以上はない。

 私はこの呪いによって死ぬだろう。

 呪いを解く方法があるとすれば呪詛返しが唯一のそれであると思われるが、単独ではそれも叶わなかった。もしこの呪いが私やそこもとらの考える例のもので間違いないとすれば、抗う術はないのだと前もって断言すべきであった。わが子やわが友らが駆けつけた折、そうしなかった己の弱さには甚だ寒気がする。

 

 

 恐れはなし、感じるのは疲労である。

 常に浸食の力を受けつつそれを跳ね返す為に微力を放出しつづけるが故の、生気の枯渇である。

 用意された食事をなんとか口に含んで呑み込むも、次の瞬間には血となって吐いてしまう。栄養を取り込む暇さえ与えてくれぬのであれば、そもそも長くはもつまい。



 とある晩、これまで同様悪鬼のごとき怨念の塊がベッド脇を囲み始めた時のこと。不意に病室の扉をすり抜けて誰かが入って来た。見ればそれはわが師、二神七権であった。師が下界に降りているとは夢には思わず、目を疑う。師は私が座していたベッドの足元にお立ちになると、側にあった椅子を引き寄せて腰を降ろされた。

「御大」

 私がそう呼びかけると、師は目鼻を覆う包帯らしき布切れを額にずらし上げ、

「今回はワシの負けだ」

 そう仰り、フと笑われた。

「そうですか。ならば致し方ありませんね。御大で無理ならワシもお手上げです」

 正直な気持ちで私がそう申し上げると師は寂し気に微笑まれ、私の目を突き抜け、背後を見据えるような強い眼差しでこう仰られた。

「あとは任せた。お前が終わらせろ」

 正直戸惑った。だが師の見据える焦点が私に定まっていない事が分かると、自然と幾人かの顔が思い浮かび、なんとなく私も笑ってしまいそうになった。無責任ではあるが、この時ばかりはどうしようもなかった。


 

 後悔はしていない。

 間違いがあったとすれば、私は多くの友と出会いすぎたのだ。

 私と関わったばかりに、類を見ない災厄に巻き込まれるやもしれぬ顔触ればかりが思い出され、震える。

 だがこれだけは分かって欲しい。

 私はUを救わねばならなかった。

 救いたかった。

 そういう人間であらねばならなかった。

 Uに何があったのかを私の口から話すことは永遠にない。

 だが困っている人間を前にして、何もしないことなどありえないのだ。

 Uは幻子ではない。

 Uは赤の他人である。

 だが、だからなんだというのだ。

 幻子でなければ救わないのか?

 新開のであればどうだ、救わないのか?

 六花嬢は?

 めいは?

 辺見嬢は?

 困っている人間の素性など関係ない。

 Uを救わない理由など私には存在しない。

 他人を救わぬ人間として生きるのであれば私はこの道を歩いてなど来なかった。

 誰のために生きるかなど私にとっては重要ではない。

 誰のために死ねるかだけを考え生きて来た。

 私は宗教家ではない。

 私は仏になりたいわけではない。

 私は神ではない。

 よき父でもよき夫でもなかった。

 私はただ、救いを求める人間のために死ぬことだけを己に課してきたのだ。

 全てこれで良い。

 今は唯一、いずれ向こうで会えるであろう西荻のお嬢に笑って胸を張りたい、そう願うのみである。

 そして私はこう告げる。

 三神三歳は己の生を全うし、死に切りましたと。





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