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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
28/146

[27] 「新開」6


 専門家ですら裸足で逃げ出すほどの呪いが存在する。名を『九坊』という。

 この仕事を始めた時、僕は三神さんからも、そして坂東さんからも、その他ベテランの諸先輩方からも、決して関わってはならないと釘を刺され続けて来た。だがずっと疑問だったのは、例えば忌み地のように、近付かなければ回避できる事象とは違い、呪いによる被害はピンポイントである場合が多い。つまり、呪いは打たれたが最後、決して逃げられない。呪いと霊障は、厳密に言えば異なるのだ。

 それなのに皆、「九坊からは全力で逃げろ」と言う……。

 その日、呪いと九坊についての話をしに訪れた図書館にて、僕と坂東さんに襲い掛かったのは人と霊体の丁度中間地点にいるような、まさしく異形の者としか言いようのない存在だった。スカートを履いていることや、見た目や年恰好が女子高校生に思える事から、その実態は霊体に憑依された少女である、という見方が正しいような気がする。なぜこのような少女が突如閉館した図書館へ現れ、僕らに牙を剥いたのか。

 『九坊』という呪いにばかり気をとられ、僕らは肝心な事には何一つ辿り着けていないのだと、改めて思い知らされた。

 それは、最凶最悪の呪いを打ったとされる人間の正体だ。

 もしこの少女が利用されただけの霊障被害者ならまだ救いはある。しかし彼女もまた敵側の人間であるというなら、事態は想像していたよりもずっと複雑で、途方もなく闇深いことを覚悟せねばならない。

 坂東さんの放った熱線をまともに受けた少女は意識を失ったまま横たわり、ぴくりとも動かなくなった。少女は確かに携帯電話を所持していたが、確認すると、驚くべきことにどこからも着信を受けた履歴が残っていなかった。ピリリと響いた着信音も、坂東さんを狼狽えさせた秋月六花さんの声も、済んでしまえば全てが無かったことのように、なんの痕跡も残されてはいなかったのだ。

 坂東さんは頭を抱え、どうすべきかを冷静に判断しようと努めている。しかし彼の表情から察するに、その「冷静に」という部分が難しそうだった。

 あの着信と六花さんの声を誰かの仕組んだ罠だと決めつけるには、彼女の語った話の内容と現実がシンクロしすぎていたのだ。スケジュールなどの時間割は知らないが、確かに秋月姉妹は美晴台の崖団地へと向かった。そう指示を出したのはここにいる坂東さんである。例えこれが『誘い』なのだとしても、捨て置ける事態でないことは明白だった。

 やがて坂東さんは意を決したように顔を上げて、僕を見た。

「新開」

「はい」

「お前は一度病院へ戻れ。俺が美晴台へ向かう」

「一人でですか?」

「ああ」

「別行動をする意味がありますか?」

「これが何かの罠だった場合、俺とお前が二人で美晴台へ向かうことで病院が手薄になる。だがお前を行かせるよりは、俺が行った方がいいだろう。どっちにしろ、行かないという選択肢はないんでな」

 言いながら、既に坂東さんは踵を返して歩き始めていた。絨毯に横たわる少女の側を通りすぎる時、一瞥しながら「こいつはうちの職員に拾わせる、お前も早く戻れ」と言った。

「置いて行くんですか!?」

「いたきゃ一緒にいろよ」

 そう答える坂東さんの背中がどんどんと遠ざかって行く。

「ちょっと、もう」

 僕は逡巡しながらも、やはりこんな人気のない場所で不気味な少女と二人きりになるのはごめんだと思った。溜息をついて身震いし、ふと少女の座っていた机を見やると、一冊のノートが開かれた状態で放置されているのが目に入った。

 そこにはびっしりと、こう書かれていた。

 カエセ。

 僕は慌てて坂東さんを追った。




 午後七時を回った。

 図書館を訪れた時にはまだ夕刻のそれだった空模様が、完全に黒一色に塗りつぶされていた。僕たちは来た時と同じく搬入口から出て、建物裏の駐車場へと戻った。坂東さんはタクシーを呼んで美晴台へ向かうと言い、「先に行け」と僕に車のキーを投げてよこした。

「六花さんと合流出来たら一度連絡をください」

「分かった。拳銃を人に見られるんじゃないぞ」

「分かりました。返して欲しい時はいつでもそう仰ってください」

 僕が車の運転席のドアを開けた、その時だった。またしても携帯電話が鳴ったのだ。だが今度は坂東さんが素早く上着の懐から携帯を取りだし、「坂東」と自分の耳に当てた。

「ろ……あ」

「六花さんですか?」

「いや、切れた」

「え?」

 その瞬間、今度は僕の携帯電話が鳴り響いた。僕は思わず車から離れてホールドアップし、坂東さんに向けて自分の上着のポケットを指さした。

「出ろ、馬鹿」

 言われ慌てて携帯を取り出し、耳に当てる。「新開です」

 すると電話の相手は意外にも、チョウジの有紀優さんだった。彼は現在、正脇茜が入院していた病院で聞き込み調査を行っていたはずである。いや、今の時間を考慮すれば、すでに病院を出ている可能性もあるだろう。

「おお、新開か。悪いな突然」

 少し遠いが、確かに有紀さんの声だった。

「どうされました?」

 相手は誰なんだ?という怪訝な表情を浮かべて坂東さんが近づいて来る。

「いやな、坂東にも電話をかけたんだが、何度かけてもすぐに切れるんだ」

 そう有紀さんは言う。

「え?」

 と僕は顔を上げ、「坂東さんなら、目の前にいますよ。代わりましょうか」

 すると有紀さんは、

「ええっ?」

 と若干の苛立ちを含んだ声を上げ、それから「ああ、頼むよ」と答えた。

 有紀さんです、と告げながら僕が携帯電話を差し出すと、坂東さんは眉間に深い皺を刻んで視線を足元へ落とした。

「なんですか? 早く」

「……ああ」

 坂東さんは浮かない返事を口にし、僕の携帯電話を受け取り、そして耳に当てた。

「ばん…」

 彼が名乗ろうとした瞬間、

「……切れちまった」

 電話は切れてしまったそうである。

 僕たちは何が起きているのか理解出来ないまま見つめ合った。




 三神さんたちが入院している病院と、正脇茜の凄惨な死亡現場となった病院は、車で三十分足らずの距離である。僕は事前に双方の病院へ連絡を取り、これから向かう旨を告げた。定められた面会可能時間内に到着出来ないことは、この時点で分かっていたからだ。まず最初に有紀さんに会って電話の件を確認し、その後一緒に三神さんたちのいる病院へ戻る、そういうルートを辿る事に決めた。

 坂東さんと別れる時、彼は、

「病院についたら電話をよこせ。有紀に代わってくれ」

 神妙な面持ちでそう言った。

 僕は頷いて車に乗り込むと、はやる気持ちをそのままアクセルを踏み込む右足に乗せた。

 不可思議な電話が立て続けにかかって来た。

 一つ目は、図書館に現れた異形の少女が持っていたらしい携帯電話に、着信履歴の残らない秋月六花さんからの電話。そして二つ目は有紀さんからの、僕しか声を聞いていない妙な内容の電話。だが確認してもらったところ、坂東さんの携帯には一件も着信はなかった。共通しているのは、着信履歴が残っていないこと、坂東さんとは直接話をしていないことである

 僕は急ブレーキを踏んで、停車した。


 これは、間違った判断なのだろうか。

 ……僕は坂東さんと離れるべきではなかったんじゃないだろうか。


 後ろから追いついて来た車が激しくクラクションを鳴らして追い抜いていった。

「……時間がない。そうですよね、坂東さん」

 僕はハンドルを強く握り締めながら自分に言い聞かせ、予定通り有紀さんがいるはずの病院へと向かった。








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