[23] 「六花」6
柳家の当主である菊絵さんとの面会を終えた時、時刻は既に午後一時にもなろうとしていた。午前の早い段階で『美晴台』には到着していたはずだから、携帯電話で時間を確認した時、まるで時間が飛んだような感覚に陥り驚いた。
崖団地に向かうことについて、菊絵さんの了承を得られたか否かの線引は難しい。
私が『元』天正堂である事を打ち明けた時、怖いくらいに彼女の無表情さは極まった。
しかし、あえての無、あえてのだんまりだと分かった。この時菊絵さんが何を思っていたのか、そこまで分からない。だが隣に座っていためいが気を遣い、「あまり長い時間お邪魔してもあれだから、この辺で失礼した方が」と私に囁きかけた時、ほんの僅かだが、菊絵さんはほっとしたような表情を見せた。後にめいから聞いた話では、この時菊絵さんの心臓は早鐘を打っていたそうだ。
菊絵さんはまだ、大切なことを私たちに話していない。しかし詮索されて困るようなことが仮にあったとして、それが一体何なのかまでは、今考えてもまったく先が見えてこなかった。私はその後、崖団地を訪れることについて再度触れなかったし、菊絵さんの方でも何も仰らなかった。ただ、礼を述べて腰を浮かせたタイミングで、彼女はめいに向かってこう言ったのだ。
「あまりこういう事は言いたくありませんが、急がれた方がよろしいですね」
「どういう意味でしょう」
とめいが問うと、菊絵さんはそれでも表情を変えず、
「お分かりの筈です」
とだけ答えた。
私たちに対して何か敵愾心のようなものを抱かせたかと内心悔やんでいただけに、結果そうではないと知れて胸のつかえがとれた。深々と頭を下げ、礼を述べて家の外へ出た所で「あの」と声をかけられた。
「ああ、どうも」
菊絵さんの孫、奈緒子さんだった。
「もうお帰りになるんですか?」
と聞かれ、私は正直に答えた。
「夜になるのを待って、崖団地に向かおうと思っています」
普通ならば、そんな突拍子もない話を聞けば眉を顰めてもおかしくはない。まだ人が住んでいるという集合住宅にあえて夜中に見物に行こうと言うのだ。変人の類と思われても仕方がない。だが私にはどこかで、そうはならないという不思議な確信があった。
するとやはり奈緒子さんは一瞬ぽかんと口を開いた後、ニッコリと笑ってみせたのだ。
「じゃあー……それまでうちで休んでいかれませんか?」
私は自然と頬を緩ませる微笑を奥歯で噛み潰し、めいだけが唖然とした顔で私の横顔を見つめていた。
だがある意味、これは奈緒子さんのご厚意であると同時に、彼女の願望でもあったのだ。その理由は、彼女が進路に悩む高校生であった事が大きい。実は奈緒子さんは高校を卒業後、東京都内での就職を志しているという。私たちが乗って来た車のナンバーが都内のものだと見るや、僅かでも話を聞けまいかとこうして待っていたのだそうだ。そうなれば身に覚えのあるめいが俄然張り切ってしまい、昼食をとっていない事など忘れて夕方まで盛り上がった。
路地はいわば、巨大な丁字路である。
アルファベットのT、T字路でもいい。
幹線道路を折れて脇道に入り、途中寄り道した小さな郵便局のある道路。あれがT字の縦線部分だとすると、柳家はT字の上半分、横線の左端に位置する。そして私たちがこれから向かう『崖団地』とは柳家の真反対、横線の右端にある。直線距離にして、二キロ半ほどの長い道だ。
山間では夕暮れといえども辺りは既に仄暗く、今から歩いて目的地まで向かうとなれば、到着した頃にはどっぷりと夜の闇に呑まれていることだろう。だが、人目を忍んで向かうからにはそうでなくてはならない。私たちはまだ残念ながら、何かの確信に基づいて調査を行う段階にまで至っていない。そもそも事前に聞いていた情報とは違い、存在しない筈の『崖団地』がいまだ残っている時点で想定外である。そこに加えて居住者がいるとあっては、大手を振っていざ見物へ、とはいくまい。
「車をこのまましばらくの間、この敷地内に置かせてもらうことは出来ますか」
見送りに出てくれた奈緒子さんにお願いすると、彼女は怪訝な顔で「え、歩きですか」と目を丸くした。特別止めたりはしないんだな、とわずかな違和感を持ったものの、若い奈緒子さんの言動に今一つ捉え所のなさを感じていた部分もあり、とりあえずこの場は頷いて答えるにとどめた。
不安がる彼女に手を振って別れ、私とめいはようやく『崖団地』に向かって歩き始めた。
「お姉ちゃん」
柳家で借りた二本の懐中電灯を頼りに、めいが足元、私が前方を照らしながら歩く。
「うん?」
「呪いって……なんなのかな」
めいは小声でそう尋ねた。
が、静かすぎる夕刻の住宅街とあって、遮られることのない妹の声はしっかりと私の耳に届いた。
私は歩きながら考えた。どこまでを、どのように説明するのが一番理解を得られやすいのか、いまだに私の中で答えが出ていたなかった。こういう時、三神さんや新開がこの手の話の説明には長けているのに、などと考えていると、
「ツタンカーメンの呪いってあるじゃない?」
と、意外にも明るい声でめいの方からそう切り出した。
「ああ、うん」
「王家の呪いだっけ? あれって確か、お墓を発掘する者には呪いがかかるとか、なんかそういう話だったよね?」
「うん、詳しいね」
「出版社勤務っ」
親指を自分の胸に当てて得意気な笑みを作るめいに、私の胸が痛い程に熱くなる。
「私が聞いてた呪いってそういうものなのよ。誰かの恨みを買う行為というか、その仕返しみたいな」
「ああ…、うん」
「あのね、お姉ちゃん。お姉ちゃんだから聞けるけど……つまり私は、誰かに禁じられていることや、駄目だと言われてるタブーみたいな事を知らずに犯してしまったって、……そういうことなの?」
「……」
私は何か、人に呪われるような悪いことをしたの?




