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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
23/146

[22] 「坂東」4


 

 見た目は高校生くらいの、髪の短い女だ。…いや、男かもしれない。

 机に座ってノートに何かを書いているらしいが、顔が下を向いているせいで区別がつかない。だが遠目にも、その右手が尋常ではないスピードでペンを走らせていることは分かった。とっくに芯の尽きたシャーペンの先がノートを削る音だろう。不快で、そしてあり得ない程大きな音をカリカリと響かせ、そいつは一心不乱に何かを書き殴っていた。

「おい!お前!」

 驚きからくる腹立たしさもあって、俺は横柄な口調で怒鳴りつけた。閉館時間はとっくに過ぎてるぞ!

 だがそいつは顔を上げもしなければ、書くのをやめようともしなかった。

「おま…ッ」

「坂東さん、無駄ですよ」

「あ?」

「アレは多分…」

「何だよ」


 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカッ……


 不意に音が止み、そいつが顔を上げてこちらを見た。両目の間隔が近すぎる事を除けば、いたって普通の人間の顔だ。だがそれでもやはり、男か女かは分からなかった。

「どこ見てやがんだ…」

 そう呟く俺の声が聞こえたのか、そいつは視点の定まらない顔をゆっくりと横に倒して行き、最後にニュッと紫色のベロを出した。真横を向いた白い顔が、俺を見て嗤っていた。その動きが加藤塾でのめいを思い出させ、ただでさえ気の短い俺に一瞬で火をつけた。

「上等だよお前ェ」

 俺が右腕をぶん回しながら足を一歩を踏み出し時、背後で新開がぶつぶつと呟くのが聞こえた。

 行け……コフク。

 振り返った俺の眼前を、小さな人形が放物線を描いて飛んだ。

「なっ…!」

 見た目は小さな人形だった。だが手の平サイズのその人形は、プロペラが付いてるわけでもないのに俺の目の前を飛んで横切った。新開が力一杯投げたのかと思った。しかし驚くべきことにその人形は、部厚い絨毯の上に音もなく着地すると、もの凄い早さで『ベロ出し』目がけて走り出したのだ!

 俺は自分の見ているものが信じられず、唖然として新開を振り返った。

「あれも、大福か?」

「小福です」

 …シャレてんねえ。

 俺は自分の右頬が引き攣るのを感じ、再び人形へと視線をやる。

 赤い服を着た小さな人形は、まるで生きた人間のように絨毯敷きの通路をダダダと駆け、そのまま『ベロ出し』の顔面へと飛び掛かった。途端、『ベロ出し』が椅子をひっくり返しながら後方へ飛び、そのまま机の上に着地した。見れば下半身は制服のスカートらしきものを履いている。

「女か、ありゃ?」

「さあ」

 一人戦闘態勢に入った新開がドスの効いた声を出し、己が放った小さな人形の奮闘を注視している。どういう原理であの人形が動いているかくらいは、なんとなく理解出来る。だが、分かっていてもやはり驚きが勝ってしまう。人形といったって色々ある。だが小福はどう見ても出来のいい塩化ビニール製なんかじゃない。ただのフェルト人形なのだ。

 小福は一度通路に落下したものの、そのまま起き上がって椅子と机を器用によじ登っていった。そして机の上で再び『ベロ出し』と向かい会った瞬間、今度は、ギャアアアアと『ベロ出し』が叫び声を轟かせた。

たっぷりと怨念を含んだ霊障の塊みたいな声だった。そのまま『ベロ出し』はバンバンと両手で机を叩き、右手の甲で顎のラインをなぞって見せた。馬鹿にしているようにも見える挑発的な仕草に、新開は苛立たちを滲ませた声で「なんのつもりだよ」と独りごちる。

「あいつは人か? バケモンか?」

 俺がそう問うと、

「じゃあ、試してみましょう」

 と新開は応え、あ?と聞き返した俺の隣で両足を肩幅に開いた。

 パァァァン!

 新開が柏手を打った瞬間、小福が跳躍してベロ出しの鳩尾あたりへ突っ込んだ。

「どおおおおん!」

 新開の口から地鳴りのような声が出て、小福を抱えた『ベロ出し』が身体をくの字に折り曲げた。その時だった。

「…ああ?」

 俺は見た。『ベロ出し』の背中から、半透明の幽体が脱皮するセミのようにその身を分裂させ、激しくもだえ始めたのだ。見ようによっては幽体離脱だ。だが、それを見た新開の表情が一瞬曇った。俺もやはり、その光景には違和感を抱かずにはいられなかった。半透明の幽体の顔は、今俺達が見ている『ベロ出し』とよく似ていた。しかしその半透明な女の顔は、明らかにもだえ苦しむ表情を浮かべていたのだ。その様はまるで、肉体を伴ってそこにいる『ベロ出し』に囚われた、哀れな地縛霊を連想させた。

「なんだ…?」

 予想に反した手応えだったのだろう、不意に新開の気が緩んだ。すると見る間に幽体は『ベロ出し』の肉体へと引きずり込まれ、奴はペロペロと舌なめずりをしながら小福をその手に握りしめた。両手で握ったその持ち方は、奴め、……小福を捩じ切るつもりだ。

「まずい」

 気を練る新開を横目に、俺は溜息を付いた。

「まったく」

 右拳で自分の額をトンと叩いた。

 二神七権から譲り受けた、第三の眼が開く。

「坂東さんここ図書館の中ですよ!」

 新開が叫ぶ。

「うるっせーなー」

 ビンッ!

 太い糸を両側から強く引っ張るような音が空気を震わせ、俺の額から真っすぐに熱線は飛んだ。そいつをまともに腹に喰らったベロ出しは、五メートル程後方の壁に激突し、どさりと通路に落下した。奴の手から、小福がポトリと落ちた。

 破壊するしか能がないとでも思っていたのか、新開は驚愕の表情で俺を見ながら小福の元へと駆けだした。

「おいっ。油断するなよ」

「分かってます」

 

 ピリリリリリ。


 突然鳴ったその音に、新開がぎょっとして立ち止まる。

 携帯の着信音らしいが、もちろん俺のものじゃない。

 新開が振り返って俺を見た。

「……」

 どうやら、この着信音は『ベロ出し』から聞こえているようだ。

 『ベロ出し』はやはり、人間の女……か。


 ピリリリリリ。


 ピリリリリリ。


 ピリリリリリ。


 ピリリリリリ。


「どうしますか、坂東さん」


 ピリリリリリ。


 ピリリリリリ。


 ピリリリリリ


「俺が出てみる」

 そう答えて一歩を踏み出した、その時だ。


 ピリ。


 短い音とともに、姿形のない携帯電が着信状態に切り替わった。


「坂東さん、これって…」


 ああ、うん、私。どうした、なにかあった?


「……え?」


 俺の足が、もつれながらドタバタと通路を駆けた。


 こっちはまあ、かなりの収穫があったと言ってもいいねえ。この後も、まだちょっと見に行くんだよ。ああ、馬鹿だな。変に隠し立てしてる場合じゃなかったんだ。あのねバンビ。私らはこれから、実際に崖団地を見に行こうと思ってるんだよ。


「姉さんッ!」

 俺は叫んで新開を突き飛ばし、ぐったりと体を横たえたまま動かない『ベロ出し』の前に膝を着いた。こいつの身体から聞こえてくる電話の内容は、間違いなく秋月六花との通話音声だ。何故だ。俺も新開も電話なんかかけてない。それなのに何故、秋月六花はこの俺と電話で話をしてるんだ!


 夜中に知らない土地を出歩くのは、めいのためにも避けたいのが本音だけどね。そうも言ってられない。時間との勝負だからね。戻ったら色々話せると思う。……じゃあ、新開にもよろしく。気を付けるんだよ。


「姉さッ!」


 ツー…、ツー…、ツー…、ツー…、ツー…。





 

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