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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
22/146

[21] 「坂東」3


「開示されてないんだ」

 と、静かに俺は告げた。「天正堂でも一部の人間しか、その情報は知らされていない。階位第三までがその範囲だと思う。小原さんは第四だが今は代表代理ということもあって、実質三位みたいなもんだから…。そういう意味じゃあ、六花姉さんも幻子も知らないはずだ。まあ、あいつは自分自身の力でその答えに辿り着いてる可能性があるけどな」


 『九坊』という名の呪いは、霊力をもった人間にしか効力を発揮しない……。


「チョウジの人間ならなおのこと、知っている人間は極端に少ない。だが考えてもみろ、俺たちは超常現象を相手にする諜報員だぞ。霊能を持った人間だっている。そんな連中が、自分たちだけに襲い掛かる呪いがあるなんて知っちまったら……。続けていけると思うか?」

「騙し打ちじゃないか」

「そうさ。その通りだよ」

 冷たく突き放す俺の返答に、新開は再び円卓を叩いた。

「それに、開示しない方が良い理由は他にもある。例えば、A子だ」

「……正脇、茜?」

「そうだ。もし今回の呪いの正体が本当に九坊なら、正脇茜もまた霊能持ちってことになる」

 俺の指摘に、新開の表情に仕事人としての閃きが浮かんだ。奴なりに、何かに思い至ったのだ。だが正義漢としての怒りがそれを上回っているらしく、相変わらず眉間には嫌悪感が縦皺となって刻まれていた。

 新開を見下ろしたまま俺は先を続けた。

「時間も距離も超越する呪殺の被害者が、もし同時に複数いた場合でも、その共通点を探るのは一般の殺しとは違って容易じゃない。遺体から霊障の残滓を辿るのが専門家でも難しいのは、お前も分かってるはずだ。だが、その逆はある。九坊にやられたのなら、そいつらは霊能力者であるという共通項を見出せるからだ」

「それは分かりますっ、…だけど捜査に都合がいいからって!」

「いたずらに恐怖心を煽るだけだと思わないか?」

「それでも!各々が人生の選択肢として知っておくべき重大な情報だと、僕は思います!」

「それでも、俺達は恐れずに捜査しなくちゃいけないんのだ。俺たちは、拝み屋とは違うんでな」

「今僕はそんな話をしているわけじゃ…ッ」

「まあ聞けよ新開」

 トーンダウンして落ち着かせようにも、一度ついた火はなかなか治まってはくれなかった。十年間この男と仕事をして来たが、ここまで感情を剥き出して怒る姿は久しく見ていない。やはりという言い方は失礼なのかもしれないが、母親と死に別れ、仕事で忙しくしているという疎遠な父との関係性もあって、新開にとって家族とは、やはり何物にも代えがたい存在となったのだ。幼い娘にも霊感があると聞いている。敵の目的がなんなのか、どういう手段を使ってきているのか掴めていない以上、新開の焦りは極限の恐怖へと目に見えて高まりつつあった。

「ひとつだけ確かなことがある」

「……なんですか」

「九坊って呪いはそもそもが、そう簡単に発動するもんでもない。三神のオッサンは自力で持ちこたえてるから例外と言えなくもないが、斑鳩や俺たちがまだ生きていられるのには理由があるんだ」

「その前に」

 新開は顔を上げ、俺の目を睨むように見つめ返した。「九坊を受けても気が付けないって、どういう意味ですか?」

「ああ」

 それは今回の被害者たちの状況や、証言を引き合いに出せば自ずと見えて来るはずだ。そしてそれは、今まさに俺が説明しようとしてた事情とも符合する。

「九坊についての話は、お前もいくつかは聞かされてきただろう」

 俺の問い掛けに、新開の目が光る。

「覚えてないか? 『九坊とは、単独では絶対に相対してはならない』、という不文律だ」

「覚えています。それ程強力な…」

「記憶を失うんだよ」

 断言する俺に、新開は大きく目を見開いた。

 九坊は、その効力を完全に発動させるまでに幾つかの段階を踏んでいくのである。

 まずは倦怠、頭痛、悪寒などの一般病理にも見られる身体的な症状。

 次に、健忘症。身の周りのちょっとした習慣や、数日前の記憶を忘れがちになり、果ては己が誰であるかを見失う所まで症状は進行するという。

 そして最後が、幻聴である。今回のケースでは「怖い、怖い」と繰り返す声を聞くようになるとの事だが、実際にめいがその耳で聞いているそうだから、あながち幻聴とも言い切れない。何か得体の知れないものを呼び寄せている可能性だってある。この幻聴に関して言えば、軽度の健忘状態と併発するとの報告もあり、段階の見極めを難しくさせている。

 そして問題は、記憶障害を引き起こす二段階目にあった。

「そうなると自分が呪いを受けた事にも気付けないし、三神のオッサンが日記に書けるはずもない。あるいはもっと前の段階で、当て推量でそうかもしれないと書く事は出来る。だがその時点ではまだ発動してないわけだから、確証はないに等しい。だからこそ九坊の呪いを受けた霊能者は、抗うことすらできずに倒される。……アユミさんのようにな」

 強い眼差しで俺を見つめる新開の目が、微かな憂いを滲ませて揺れた。

 随分と昔の話になる。

 かつて一度目に俺が死んだ時、俺は九坊に呪い殺された。

 そしてその時、真っ先に俺を庇って死んでいったのか、同じチョウジの先輩職員、中之島亜弓(ナカノシマアユミ)さんだった。俺は二神さんに救われるまで自分に何が起きたのか記憶を失っており、やがて、職場の仲間からアユミさんが死んだ事を聞かされた。だがそれでも、俺は何も思い出せなかったのだ。いつまでもいつまでも、何年も何年も、俺はアユミさんが死んだという事実を受け入れる事ができなかった……。

「段階を経ると言っても個人差がある」

 立ち止まらずに先を続けた俺の言葉に、まるで救われたように、新開は頷いてみせた。

「三神のオッサンのように、受けてなおギリギリで押し戻せる場合だってある。だが一度呪いを受けた以上、それがなんの問題解決にもなってない事はお前も知っての通りだ。だから俺達は、九坊を打った人間を突き止める必要があるんだ」

 あえぐように、

「相手は、個人なんですか?」

 と、新開が聞いた。

「うん?」

「つまり、たった一人で、呪法を仕組んだ奴がいるってことなんですか?」

「それは正直、まだ分からん」

「そんな…」

「それに九坊が厄介なのは、他にもあるんだ」

「他?」

「伝染する呪いだってことだ。そこを利用すれば、単独でも呪法を用いることが可能だ」

「それは、確かに僕も聞いたことがあります。本来呪いがもつ効果を発揮するには……」


 

 カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ



 俺たちは一斉に振り返った。

 俺は危うく『幽眼』を開きかけ、新開は上着の懐へ手を突っ込み何かを握り締めた。俺が渡した拳銃ではない。もっと小さくて、もっと恐ろしいあれは……あれは一体なんだ?

「坂東さん!」

 思わず新開の左胸に気を取られた俺を叱るように、奴が叫んだ。

「……あ?」

 三十メートル以上は離れているだろうか。俺たちが今いる円卓に辿り着くまでに通って来た通路の、脇。図書館三階フロアの入り口に程近い大机に、そいつはたった一人で座っていた。







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