[20] 「坂東」2
俺たちが図書館に到着した時には、すでに閉館案内のアナウンスが流れていた。
俺と新開は裏手の搬入口から入って守衛に顔を見せ、そのまま業務用エレベーターで上を目指した。広域超事象諜報課の職員である身分証明などは、俺も新開も普段から携帯していない。だがこういった公的機関には昔から通達が行き渡っており、昼夜問わず利用できる配慮がなされている。顔パスが効くかどうかは、職員としての仕事振りによるだろう。
チョウジに入りたての頃、活字中毒の新開はこの待遇を非常に喜んだが、そもそも図書館を利用して調査にあたる事件などほとんどないし、入り浸る時間的余裕もない。閉館時刻の迫る夕方に訪れたのも、俺の記憶ではたった二回しかなく、時間帯のことで言えば、新開は今回が初めてだそうだ。
「もっと利用したいんですけどね。僕、行きつけの書店があるんで、調べ物は大体そこで済んじゃうんですよ」
大きな図書館だった。
一階は、児童書と新聞、雑誌のバックナンバー。
二階は、文芸書、文庫、新書、歴史書。
三階は、実用書、趣味娯楽、美術書、医学書などの専門書である。
ワンフロアの床面積が約3300平米。1000坪ほどもあるというかかなりの広さだ。広すぎると言ってもいい。いくら利用者のいなくなった図書館を独り占めできると言っても、調べ物で使うにはまずどこに何の本があるかを把握しておかねばならない。新開が言うように、通い慣れた書店で用が済むならそっちの方が合理的である。では何故、あえてこの図書館に訪れたかと言えば、答えはひとつしかない。
「本当に誰もいませんね」
「だからいいんだ。…呪いなんてもんの話をするにはな」
新開は黙って頷き、三階フロア中央にある巨大な円卓に席を取った。
「だけどこれほど広いと、帰りそびれた人や、あえて隠れて寝泊りしてやろうなんて人が現れたりしませんかねえ」
落ち着かないのだろう。着席後も周囲をキョロキョロと見回しながら、新開が言う。
「思う奴はいる。だが入館と同時にカメラで顔認証を取られてる。閉館時刻を過ぎても退出してない奴がいれば、すぐに守衛の所に警報が行くんだ」
「しっかりしてますね。…僕らも取られました?」
「ああ。その方が何かと都合がいいしな」
「何かと都合が……」
俺の言葉を聞いた後、しばらくして新開は体をぶるっと震わせた。
俺は上着を脱ぎ、円卓の上に投げた。
そして脇腹に装着していた銃をホルダーごと取り外すと、机の上に置いて新開の方へと滑らせた。新開は銃を見つめたままゴクリと喉を鳴らし、そして立ったままの俺を見上げた。
「いつも、持ってるんですか?」
「ああ。特別携帯許可は、いらないんでな」
「撃ったことあります?」
「人にはない。閉じ込められて扉の鍵を壊す為になら、ある」
「なるほど。…何故、今、外したんです?」
「これから先、ヤマが片付くまで俺は銃を持たない。お前が持ってろ」
「はあ? 嫌ですよ!触ったことすらないのに!保管庫に返したらいいじゃないですか!」
「別にお前に撃てって言ってるわけじゃない。何が起こるかわからんからな、戻すのも得策じゃない。だが……壱岐課長に起こりえたことが、俺にも起こらないとは言えないだろ?」
「……ッ」
普段物静かな新開だが、今は荒々しい唸り声に似た溜息を付いて下を向いた。
「分かりましたよ…」
「ああ」
「だけど坂東さん。…そこまで?」
そこまでする必要があるのか。もしくは、そこまで急を要する状況なのか。
「ああ」
答えはどちらもイエスだ。
「教えてやるよ新開」
「はい?」
「……九坊がなんなのかを」
お願いします。
新開は顔を上げてしっかりと俺を見つめ返し、覚悟を決めた様子で銃の上に自分の右手を乗せた。
「まず」
錯綜している情報を断片的に見つめただけでは、おそらく『九坊』には辿り着く事が出来ない。時系列の話をすれば、一番最初に九坊の存在を匂わせたのは、三神のオッサンが残した日記の記述、『ク』である。だがオッサンが運び込まれた日、新開から受け取った日記を病院で読んだ俺はある事に気が付いていた。
「ある事?」
「大事な話だ、良く聞けよ。九坊の呪いを受けた人間はな、自分自身ではそうと気付けないんだよ」
「……え?」
三神のオッサンが日記で九坊に触れているのは、最後のページのみである。それまでは一貫して、呪いのノの字も書き記してはいない。ギリギリまで、「U」という女の身に起きる、霊障とも断言しづらい事象についての考察を重ねていたのだ。「U」から『赤い痣が出た』との知らせを受けて自宅を訪れた後も、それが呪いであるとは明言していない。
「三神さんは、不確かな事柄についてこうと決めてかかるような真似をしません。だからでは?」
新開の疑問も、理解は出来る。だが、
「日記なんだぞ? 可能性を全て書き殴るぐらいの事はすべきじゃないか? あるいは、その逆。呪いである可能性に全く思い至らなかったか、だ」
そう告げる俺に新開は眉根を寄せ、どういう意味かと聞いた。
「Uは何かの霊障被害にはあっていたかもしれん。だが三神のオッサンの眼には、それが呪いだとは映らなかった」
「いや、最後のページで九坊の話をされているじゃないですか!」
「だからおかしいんだ。ただの人間が垂れ流す、妬み嫉み僻み辛らみ、その程度の呪詛であったなら、あのオッサンは半日ありゃあ解きほぐせる。だが新開、もう一度言うぞ。九坊の呪いを受けた人間は、その事に気づけない。つまり日記になんて書けないんだ」
「ど、…ええ? どういうことなんですか、もっと分かるように説明してください!」
「俺たちはオッサンが病院に運び込まれた後、あの日記を読んだ。だからオッサンに纏わりつく霊障を側で感じ、それが呪いだと知った時、真っ先にUという女を疑った。だが俺も、幻子と同意見だ。Uはオッサンを呪ってなんかいない。オッサンが、Uから引き受ける形で呪われちまったんだよ」
「……何故そう思うんですか?何を根拠に?」
「九坊という呪いは……霊力を持った人間にしか発動しないんだ」
「な…」
なんでそんな大事な事を僕は今まで知らされていないんだッ!!
新開は吠え、円卓を両腕で叩いた。
無理もない。
俺ならば、目の前の銃を一発や二発ぶっ放すだろう。
新開は血走った眼を震わせ、肩を震わせ、そして唇を震わせて叫んだ。
「初めからそうだと分かっていれば、僕は……ッ」
初めからそうだとわかっていれば、おそらく新開はこの仕事に就かなかった。
そう言いたかったのだと思う。
しかし、新開はそれを口にしなかった。
三神のオッサンの元で修業し、俺とともに現場へ赴き、こいつは何人もの霊障被害者を救って来た。弱虫で臆病者ながら、こいつにしか出来ないやり方で、被害者に寄り添う姿を俺は何度も見て来た。そんな日々の積み重ねが、天正堂・新開水留の自信につながっていただろうし、例え本人がそれを自信へと換えていなくたって、俺から見ればそれは立派な人生の根幹に成りえたと言える。
困っている人間を助ける。
当たり前だが、決して当たり前には出来ない事を、こいつはこの十年やり続けて生きて来た。命をかけてだ。だが自分の命ではなく、大切な家族や仲間の命がずっと危険に晒されていた事実を今になって知り、心の奥底に封じていた葛藤が、マグマとなって突き上げて来たのだ。
分かる……。そう言いたかったが、俺もそれを口にするのはやめておいた。




