[19] 「坂東」1
ある時俺は、一度だけ新開にこう尋ねたことがある。
「お前、今でも信じてんのか」
「何をです?」
「西荻が戻ってくるって」
すると新開は一瞬何を言われたのか分からないという表情をして、そしてゆっくりと笑った。
「当たり前じゃないですか」
ただひと言そう答えた奴の笑顔は、その後の俺に一切の質問を許さなかった。生身の人間が、霊穴と言われる霊体の通り道に身を投げたのだ。普通は、帰ってくるとか実は生きているとか、そんな風に考えるのは現実逃避に過ぎない。だが新開の場合、本当にそう信じているから怖い。だがその怖さは恐怖じゃなく、恐れ入った、の方だ。
二年程前、黒井七永と同じ名前の人間が現れた。いわゆる同姓同名というやつだ。
それは今から十年前、俺たちの命を好きなように弄び、自分に死なずの呪いをかけた男を憎しみ抜いて消えた女と、全く同じ名前だった。奴は姉である西荻文乃と同じく、新開の開けた霊穴に落ちたはずだが、テレビ画面を通してその名前と若い女の顔を見た時、恥ずかしながら、俺は凍り付いてその場から一歩も動けなくなってしまった。
当時は、同じ名前、同じ背格好の別人だろうという話で落ち着いた。顔は、正直よく覚えていない。似ていたような気もするし、似ていなかった気もする。そもそも黒井七永は、霊能力を用いて他人に幻覚を見せる事を得意としていた。やろうと思えば、全くの別人になりすまして俺たちの中に紛れ込むことができるだろう。
ただ、天正堂代表を今も務める齢九十オーバーの爺様、二神七権いわく「人間に刻まれた生命の印だけは変えられない」との話だった。それは暗に、突如現れた同姓同名の女と黒井七永は、別人であることを意味していた。
だが、もしもだ。
心肺蘇生ともまた違う、医学的には完全な死を迎え、全てが無に帰して尚戻って来た人間がいたとしたら、一体どうなる? 無から蘇った人間の生命の印はやはり、以前と全く同じというわけにはいかないんじゃないか? 一度死んだ人間が、それでも自分はなにも変わらないと思い込んだまま戻って来たとして、だが果たしてそれは、同一人物ということで良いのだろうか? 単なる奇跡、単なる幸運と片付けて良いのだろうか。
例えば、……この俺だ。
俺はこの世に生まれてから二度、死んでいる。
一度は二神七権に救われ、二度目は西荻文乃に命を貰った。
そんな俺を傍で見ていた誰かが、死んだはずの俺を見て驚き、こう言うのだ。
「坂東美千流は死んだはずだ。今のお前は、一体何者なんだ?」
俺は本当に、俺だと言えるのか?
新開。
十年を経て、もし本当に西荻文乃が戻って来たとしたら。
それでもお前は、あの女の名前を心から叫べんのか?
お前はそれでも俺を疑いもせず、坂東さんって、……呼んでくれんのか?
「九坊の正体は、まだ誰も掴んでいないんですか?」
三神さんのオッサンの様子を見に病院を訪れた後、調査の為に図書館へと車を走らせた。時刻は、午後四時二十分。新開が率直な質問をぶつけて来たのは、その車内でのことだった。
「いや」
俺はどう答えたものか思案した後、結論を先に述べた。「正体は、分かってる」
「え?」
車外を眺めていた新開の顔が、運転席に座る俺の方を向いた。「分かってるんですか?」
「ああ」
俺は頷き、チラリと奴を見やる。「お前、九坊について三神のオッサンからどういう風に聞いてるか知らないが、呪いについては、ある程度詳しいよな?」
「まあ、一般人よりは」
「頼んないこと言うなよお前」
「いや、だってそんなの坂東さんよりは全然でしょうし」
「すねんな!」
「ただ…」
「ただ?」
「呪い、なんですよね。九坊も」
「…ああ」
「地縛霊や迷い出る霊体やなんかと違って、それは呪いを打った人間がいるってことを意味しています」
「……まあな」
「その場合、どちらが驚異なんです?」
「どういう意味だ?」
「いくら強力な呪いだとしても、術者を止めればいいだけじゃないんですか? 正体が分かってるんですよね」
「ああ」
「なら」
「いや、逆なんだよ新開。確かに一部の人間は、九坊のシステムを理解してる。だけどな、メカニズムが分からないんだよ。術者を特定して例えぶっ殺した所で、メカニズムを理解してなきゃ呪いそのものは止まらん」
「ええ? じゃあ例えば、幻子みたいな特異体質が、術者へと呪いを打ち返せば」
「現状それが唯一、俺たちに打てる最良の手だ。ただ、誰のもとへ飛んでくるか分からん呪いをその場で待ち構えて打ち返すなんざ、いくらあいつでも無理だ。斑鳩はたまたま助かったんだ。それに、術者が一人だとは限らんぞ?」
「ああ」
新開は情けない声を出し、窓の外を向いた。「…その、メカニズムってのはなんですか?」
俺は少し考え、助手席に座る新開を見た。今日は手ぶらのようだが、こいつは時々現場にボストンバッグ持参で来ることがあるのだ。
「お前、今日はあの気持ちの悪い人形持って来てないのか?」
新開は目を見開いて振り向き、
「なんだって?」
と牙を剥いた。
「あの…変な人形」
「やめてくださいよ、大福のことですか? 怒りますよ、いくら坂東さんでも」
「俺も何度か現場で見た事があるが、あいつはその場の霊体に反応し、姿形が見えない奴らの居場所を特定してくれるよな?」
「ええ」
「この世ならざる者に反応し、髪が伸び、場所を教える。これが、お前の用いる索敵の『システム』だ。じゃあ、一般人にそのシステムを分かりやすく説明してみろ」
「え? え…っと、現場に漂う事象の残滓を辿って、発生元まで追いかけるんです。僕と三神さんの持つ感知能力を応用したものです」
「事象って?」
「俗に言う心霊現象です」
「なぜ残滓が留まる? 穂村光政の鼻とは違い、お前はどうやって嗅ぎ分けてる? 何故感知できる?」
「い、いや、それはー…その…」
口ごもる新開に俺は鼻から溜息を逃がし、先を続けた。
「九坊が発動し、何が起こるのか、それは分かってる。俺も、三神のオッサンも、小原さんも分かってるんだ。ハンドルの真ん中をぶっ叩きゃあクラクションが鳴る。これがシステムだ。だけど何故、どうしてそうなるのか、呪いの専門家である天正堂ですらそのメカニズム(仕組み)が分からないんだよ」
「そんなこと…」
「起こりえるのかって? …それが起こるから、どうにもならないんだよ」




