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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
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[17] 「幻子」3


『見誤った。あれはとんでもないものだ。家が振動するどころの騒ぎではない。Uの症状が頭痛や寒気で済んでいたことが信じられない程強力で禍々しい呪いの集合体である。あるいはかねてより聞き及んでいた今世紀最悪の呪、ク(塗潰した痕)ではないかと思う。一旦Uを病院へ避難させ、なんびとも立ち入らせぬよう家全体を封じたいと思う。現場には幻子を同行させる気でいる。しかし私の見立て通り、あれがク(塗潰した痕)の仕業なのであれば家を封じた所で意味がない。我が師、二神七権(フタガミシチケン)にも支援を乞いたい所だが、師は数年前から高齢故の老いが急激に加速し、実年齢に追いついた印象があり一抹の不安が残る。さらにはUに潜伏するものがク(塗潰した痕)であった場合、最悪でもあと


(数行の謎の空白)


なんの音だ   なにかがきこえる』


 ここで、父の日記は途切れている。

 確かに、父はこの最後のページにて「呪いだった」と書き記している。

 だが突飛なことを言うようだが、私はこの日の父の日記をそのまま受け止めてはいけないと思っている。錯乱しているようには見えないが、父は「U」の自宅を訪れた段階で何某かの残滓に触れている。普段通りとは言えない可能性が高い。

 そして私が「もしや」と考えるきっかけの一つとして、次のことがある。


『昔のよしみを頼んで本部団体から(Uの自宅に)人を派遣してもらった』


 日記にはそう記述されているが、調べてみるとこんな事実はなかった。

 小原さんが私に噓をついていれば話は別だが、さすがにそこを疑う気にはなれない。そもそも、残滓ならまだしも、父が本格的な呪いを受けるより前に「U」の自宅へ人をやっていれば、今頃こんな事態にはなっていない。「U」が今もって消息不明であるからこそ、私たちは後手後手に回らされているのだから。

 そしてもう一つある。

 父はご丁寧に『九坊』とされる箇所をペンで塗潰している。ヒントを残したつもりであろうが、父の性格を考えれば、この部分も気に食わない。もし霊障の正体が本当に『九坊』であった場合、父はそれを軽はずみに他人に知らせたりはしないはずだ。更に言えば、父の師である二神七権に対して「不安である」などといった不敬は口が裂けも言わないだろう。

 結論を言えば、私はこの日記の最後のページだけは、父の手によるものではないと、そう考えている。

 だがそうなれば、



 ゴト……。



「……?」

 物音が聞こえ、思考が停止する。

 まるで父の書いた日記そのものだが、確かに、何かが聞こえた。

 私は日記をテーブルに置いて立ち上がると、物音がしたらしい廊下へと出た。オープンスペースであるため、リビングと廊下を隔てるドアなどはない。

 普段は後ろで束ねておく髪も、風呂上りにはいつもそのままにしておく。私は溜息をついて再び髪をくくり直し、廊下にある照明のスイッチを点けた。もちろん誰もいないし、何もない、……だが。

 


 ゴトリ。

 またも音がする。



「ふーん」

 姿は見えないが、音は確かにこの場に現れ出ているようだ。

 実体は掴めないが、何かが来ているのだ。

「新開さん、不用心なんじゃない? こんな簡単に入られちゃあ、駄目ですよ」

 私は独り言ち、あ、と思いつく。

「新開さんの仕事部屋ってことは、きっとここには、アレがあるなぁ…」

 思い至った私は少しだけ楽しくなって、別の部屋へと向かった。

 廊下を通って先程使用した洗面所の前を通過した時、鏡の中で何かが動いた。

 視線を走らせるも、影形はもう見えない。

「…素早いな」

 玄関から一番近い部屋、おそらく書斎であろう部屋の扉を開けて灯りをつけると、

「ピンポン」

 四方の壁を本棚で埋めた六畳ほどの部屋の中央に、一脚の椅子が置いてあった。

 その椅子の上に、それは座っていた。

「お久しぶりです、大福ちゃん」

 デパートの幼児玩具売り場で見かける、女の子タイプの着せ替え人形である。見た目はどこにでもある有名メーカーのものだと思うが、その愛らしい姿形からは想像もつかない力を彼女は秘めている。

 私は足音を忍ばせに部屋の中に滑り込むと、その人形の頭部にそっと指先で触れた。

 新開さんは天正堂に入った後、自分の霊能力の特性を生かした呪具を作り上げた。最初の一体目は父である三神三歳と共同で作成し、そのあまりの性能の高さと見た目の怖さに恐れをなし、少しでも和らげようと『大福ちゃん』という愛らしい名前を付けた。チョコレートを食べない新開さんらしいネーミングセンスだと思う。

「おやまあ、これはこれは、大当たり」

 そして、近くで見ないと区別がつかないが、新開さんは同じタイプの人形を二体所有している。そして今、私が再会を果たしたこちらの人形こそがそのオリジナル、『豆大福ちゃん』だ。

「お願いできるかな?」

 そう囁いて彼女を持ち上げた瞬間、私が入ってきた書斎の扉が音もなく十センチ程開いた。

 その刹那、私の手の中で大福ちゃんの髪が伸び始めた。

「来た」

 最初はぞわぞわとゆっくりだった。しかし私の見ている目の前で、まるで水道から流れる水のごとく大福ちゃんの髪は勢いよく伸び、瞬く間に私の足元へと到達して絨毯に広がった。

「強いな」

 そして次の瞬間だった。絨毯の上で放射状に広がった大福ちゃんの髪が、部屋の天井隅へと向かって襲い掛かったのだ。私の眼から見て右上、入り口から入って左の隅である。肉眼で見る分にはそこには何もない。だが大福ちゃんの髪は天井に到達するより前に、何者かの身体を絡めとるように空中でぐるぐると回転し始めた。

 空気に色が付き、やがてシルエットが立体的に浮かびあがる。

 ……異形の何かが、そこにいた。

 通常の人間の倍はありそうな、細く長い手足がまず見えた。まるで蜘蛛のように天井と壁にそれらを突き立て、己の身を軽々と支えながらその何かは私を見下ろしている。確かに、人間の姿形をしている。異常に長い手足を除けば、人間の女性として通用しなくもない。だが私を見下ろす目にはなんの感情も浮かんではおらず、機械に近い印象を私に与えた。生きた人間の離れ業、少なくともそんな風には思えなかった。

 大福ちゃんの髪がギリギリと異形の四肢を締め上げ、バランスを崩したそれは反対側の隅へと飛んだ。

 大福ちゃんの髪は対象物の霊力に反応してどこまでも伸びる。勢いや長さは相手の霊力の強さで異なり、敵意を感じた場合は、このように自動的に襲いかかるようプログラムされている。

 これが出来るのは、『豆大福ちゃん』だけである。






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