[16] 「幻子」2
父の書いた日記に関して、引っ掛かる点はまだある。
父も驚きをもって記している通り、「U」の方から父の携帯へと連絡がとれてしまったことだ。間違い電話ならいい。だが結果的には違った。何某かの超自然的な霊障被害を受けた人間としての、言い方は変だが『資格を有していた』からこそ、父へと繋がったのだ。『呪い』かどうかは一旦保留するとして、彼女が何某かの霊障を受けていたことの、それは証明に近い。健やかな生活を送っている一般市民が、我々天正堂に対して連絡を取る方法は限られているし、また、取る意味もない。しかも「U」は、電話をかけてすらいないと言ったそうだ。仮にイタズラ電話だとするなら、おそらくそういった返答にはなるまい。そして彼女が本当のことを言っているなら、これはありえない話でもないのだ。
実を言えば、私も同じことが出来る。通話ボタンを押さずとも相手先の電話に着信させることが出来るし、他者の通話に割り込むことができる。だがそれはもちろん、ある程度の高等な技術を要する。つまり、霊力がなくては不可能なのだ。「U」が意識的にそれを行えたかどうか分からないが、少なくとも父の見立てでは、彼女に霊力は備わっていなさそうである。だからこそ父は、自分が天正堂の拝み屋であることを自ら明かしてみせたのだろう。……何かがあると、そう踏んだのだ。
しかしながら、私が引っ掛かったのはその後である。
深夜の電話で「U」が語ったという相談事の内容が、全くもって霊障被害とは無関係な愚痴ばかりだったことだ。大病を患ったこと、離婚経験があること、子の親権を取られそうになったこと、そしてその子供が突然死してしまったこと、さらには母の精神病罹患。
確かに「U」の半生には同情して余りある。父は優しい人だから、「U」に降りかかる数々の不幸に心を砕き、嘆いたのかもしれない。だが文字としてそれを俯瞰で読んだ時、「U」の置かれた状況とその心象を、私はある程度冷静な目で見つめることができる。そうすると、気づくのだ。やはり「U」には呪いを受けている兆候など感じられない、ということに。
もし、「U」の身に起きた不幸の原因が全て呪いにある、などという暴論を当て嵌めるならば、それはすなわち「U」自身ではなく、元夫と「U」の間に生まれた子、そして「U」の母親へと直接呪詛が飛んだ事を意味するからだ。呪いとは複雑な機能でありながら、効果はもっと直接的である。
特定の人物を「不幸たらしめろ」、などという漠然とした祈願は成就されないのだ。それに、「U」を不幸にする事を目的として、本人ではなくその子、その母親を呪うといった回りくどい手段を選ぶ人間など、果たしているだろうか?
「うううーーん」
私はこめかみを指で押して、答えを導き出そうと知恵を振り絞った。しかし出て来るのは唸り声だけだった。何かを見落としているのか、それとも日記に記されていない部分にヒントが隠されているのか。
あるいは逆転の発想で、父に呪いを打った相手が「U」ではないと仮定すれば、幾らか謎は減る。相手が天正堂の三神だと知っていて、それでも呪いを打つ気であったばら、自らの吉凶を占わせたりはしないだろう。だが日記には、「U」は無邪気にも自らそれを申し出た、とある。もし私が「U」の立場なら、そもそも、呪いを打つ予定の人間の前に姿を見せたりなどしない。衝動的に思いつきで打てるものでもないし、相手が自分より上手だった場合、呪いは必ず跳ね返される。極力相手にこちらの情報を与えないのが基本中の基本なのだ。
やはりここでも、「U」は父に呪いを打つつもりなどなかったと推測されるし、自らが受けた呪いを誰かに移動させようと企んだ、という動機も成り立たない。状況だけを見れば何度も言うように、「U」が呪いを受けていた可能性は、やはり低いと言わざるをえないのである。
「だけどなぁ。……これはなぁ」
私はそれでも、「U」は呪いを受けてなどいない、と断ずる事が出来ないのだ。
その理由は父の日記にある。以下、転記。
『まず、家の前に立った段階で強烈な血の匂いを嗅いだ。それから、肉の腐った匂い。玄関前に立って周囲を見回すも、それらしき異変は見られない。遅い時間の為、歩きまわって確かめるわけにもいかず、諦めてUの家の玄関扉に手をかけた。その時初めて、Uの家から好ましくない波動を感じ取った。何かが家の中から私の身体を押し返そうとするのである。私は霊体ならば肉眼で見ることが出来るし、見えない場所にいても存在を感じ取る事が出来る。今回のように全く知覚出来ない何かに侵入を妨げられる経験は久しくなく、不安と気味悪さに苛まれて背筋が凍り付いた。
己に発破をかけ、えいや、と足を踏み入れた瞬間喉元を何か質量のある重たいものが通過した。なんとか飲み下したものの、それからずっと胃の中に留まり続け、ゆっくりと回転している』
これは父が「U」からの連絡を受けて、彼女の自宅を訪れた際、父の身に起きた事の記録である。
ひと口に霊障と言っても、様々な症状がある。まず、対象物が何かにもよる。地縛霊なのか、停滞する負のエネルギーなのか、敵意を持った人間の呪いなのか、それによって受ける霊障は異なる。感度の強い人間であれば、死者の出た場所を通るだけで負の力に寒気がしたり、理由なき恐怖心に苛まれることがある。彷徨い出てきたこの世ならざる者と近接した場合、頭痛、吐き気、意識障害なども起り得る。
それを踏まえ、私が父の記述で最も気になった箇所は、最後の一文だ。
『それからずっと胃の中に留まり続け、ゆっくりと回転している』
父は、霊能者であり呪い師だ。父も、呪いを打てる側の人間なのだ。その父が、あえて直接的な表現を避けて書き記しておおきたかった事実は、一つしかない。その霊障とは何であるか、だ。
『それからずっと~~~に留まり続け、~~~回転している』
付随する部分を何に置き換えても同じことだが、受けた霊障が体内に留まり続けて、蠢くように回転する。これは、我々の間では残滓と呼んでいるものだ。ドス黒い霊的エネルギーとして見止められる事が多い。例えば強い霊障を受けた場合、御祓いを受けても上手く輩出されずに体内に留まり続けることがある。父はそんな残滓を右腕一本で取り除く技を会得しているし、得意分野でもある。
問題なのは今回の場合、それが父の受けた霊障の残滓ではない、という点にある。
父の日記にはこうある。
『家の玄関扉に手をかけた。その時初めて、Uの家から好ましくない波動を感じ取った。何かが家の中から私の身体を押し返そうとするのである』
私は、こう思うのだ。
この瞬間なのではないか、と。
つまり「Uは」、この時初めて呪いを受けたのではないだろうか、ということだ。




