[14] 「六花」5
ゆらゆらと煙を漂わせていたお線香の火が、三本同時に消えた。
私が驚いてそちらを見やると、菊絵さんが「いけない」と呟いて立ち上がり、そそくさと火を点け直した。
もしかしたら仏壇の種類にもよるのかもしれないが、一般的に線香立てというのは仏壇の扉の内側に置いてある。その奥には遺影が、そして宗教によってはご本尊が祀られている。仮に線香立てを外に置く造りになっていたとしても、火を灯すということはお参りである。扉を閉めたままで行う、ということは流石にないだろう。
人から言われれば分かる。だが他所の家の仏壇などしげしげと観察するものではないし、そもそもめいが気が付いた理由だって、見た目の違和感からではなかったのだ。
その、めいが言う。
「……カエセ、というのは、私を帰らせろという意味でしょうか。それとも、持ち去ったものを返せ、そういう意味でしょうか」
それは常人が聞けば不信感を募らせ、異常だと受け止めかねない発言だった。しかし菊絵さんは驚いた様子など微塵もなく、着物の裾を整えながら私たちの前に戻って来た。ご高齢な割に、淀みのない美しい所作だった。
「そうですか。あなたにも、聞こえていらっしゃるのですね」
菊絵さんの言葉にめいは頷き、
「菊絵さんの御力は、あちらにいらっしゃる方の?」
と聞いた。閉ざされた仏壇の中に誰がいるのか分からないが、菊絵さんの持つ霊力は本来その者から来ているらしかった。めいは、この部屋に入った瞬間からずっと、その者の声を聞いていたそうだ。低く、しわがれた老人の声だという。
カエセ……カエセ…
そう繰り返しているそうだ。
「いかにも、仰る通りです。決して望んで手に入れた力ではありませんが、私がこの力を手にしてからずっと、アレは恨みのこもった言葉を唱え続けています」
「ご主人様では、ないのですか?」
アレという表現に狼狽え、めいが尋ねた。だが菊絵さんは口を閉ざして押し黙り、やがて、
「……用件を伺いましょう」
と答えて、背筋をしゃんと伸ばした。決して上手いとは言えないはぐらかされ方だったが、追及は出来なかった。
今から二十五年程前に遡る。
以前この『美晴台』に住んでいたことのある新開希璃の言を借りるなら、それは大規模な開発事業の一環ということになる。建設業者、土木作業員、設計者など、プロジェクトに関わる者たちの為にその集合住宅は建てられた。当時、この美晴台には大掛かりな商業施設を誘致し、新興住宅地として山を切り開いて発展させていくという壮大な計画があったのだ。その集合住宅も、関係者たちの一時的な仮住まいとしてだけではなく、その後も運営される予定でしっかりとした造りのものが建てられたそうである。ただ、私たちが今いる柳家とは真反対に位置するその場所は、山の急勾配にあり、尚且つ幹線道路とは逆向きに建っているため、『崖団地』、という不名誉な呼ばれ方をしていた。
私たちの盟友、新開とその妻、希璃が暮らしていたのも、その崖団地である。もっとも希璃は小学校時代に一年を待たずして転居し、東京へ戻った。新開の方も、何才から住んでいたかは知らないが、少なくとも中学二年生以降はずっと東京暮らしであることから、私たちの持っている情報は二十年以上前のもの、ということになる。しかも、今はもうその崖団地は存在しないと聞いている。
「ありますよ」
と、不意に菊絵さんが言葉を差し挟んできた。短いフレーズだった為一瞬理解が追い付かなかったが、次の瞬間にはめいと二人して声を上げた。
「あ、あるんですか? 今も?」
「ええ、まだ、人も住んでいますよ」
驚きだった。つまり新開は、希璃に対してウソをついていたのだ。だがその理由を考えるのは、ひとまず後回しにした。
「私の友人が以前その集合住宅に住んでいたんです。その当時、その付近で、拝み屋のような人物が目撃されていませんでしたか? 二十年以上前ですが」
すると菊絵さんは懐かしそうな微笑みを唇に浮かべ、
「もちろん、存じ上げています」
と私の質問に答えた。「目撃と言いますか、そも、この私があのお方をお呼びたていたしました」
隣でめいが息を呑むのが分かった。
上手く事が運びすぎる。怖いくらいだった。
私は逸る気持ちを抑えて、さらに続けた。
「呼んだ、というのは、どういった理由があったのですか? 私が聞いた話によれば、その方も強い霊能力を持っていたようなんです。ということは崖団地に、なにか問題が起きたということですか?」
「問題と呼べるほどのことなのか分かりませんが、あの辺りに良くない噂が持ち上がり、ちょっとした騒動になりました。当時はまだ開発事業がとん挫する前でしたから、新規参入の住民が増えた事もあって、そのまま放っておくのはまずいだろうという気運が高まったのです」
「噂」
と、私が言葉を拾う。「…事業計画に問題が持ち上がったとか、地元住民と業者の間で軋轢が生じたとか。直接的な被害につながる何か、ということでしょうか?」
菊絵さんは小さく何度か首を縦に振り、
「それも、ありました」
と意味深な発言をした。「今でも当時のことを調査に来られる方々のほとんどが、土地や利権に関する問題で、私に話を聞きに来られますから」
「そうなんですか?」
「この辺りは特に、柳もそうですが、昔から林業が盛んでした。山々と一緒に生きて来た我々にとっては、土地開発自体がそもそも反対だったのです」
「なるほど、それは確かに」
……揉める。
「柳の家は代々の土地持ちであったことから、死活問題までにはいたりませんでしたが、まあ、あまり余所様の事は……」
「なるほど、よく分かりました。では噂というのは、別のなにかですか?」
尋ねた私が言い終わるのを待って、
「幽霊騒動みたいなことですか?」
と、めいが聞いた。
天正堂を呼んだのだ、それしかあるまい、…しかしなぁ…。
直接的すぎると私は感じたが、前のめりになるめいの気持ちも当然理解出来た。
すると菊絵さんは、ほのかに苦々しさの漂う表情で視線をそらし、
「古い村ですから、今更と、私どもは気にもしなかったのですがね」
と間接的な返答で応じた。
つまりは、当たりだということだ。
「具体的に言うと、どういった現象でしたか?」
尚も聞くめいの質問に、菊絵さんは記憶を辿りながら畳に視線を走らせた。
「すみません、そこまではさすがに…」
噓だ。
と、直感した。
はっきりとした年齢は知らないが、高齢者にしては記憶力が相当高い。当時の事を振り返る際の目付きや返答する声、口調、それらを加味して考慮すれば、崖団地で何が起こったかを覚えていないはずがない。そもそも、『御曲りさん』を呼んだのは自分だとまで言ったのだ。
今更何を隠そうと言うのか…。
「そうですか」
私は一旦引いて答え、「ひとつ、お願いがあるのですが」と押した。
「なんでしょう」
「崖団地と呼ばれたかつての集合住宅を訪れたいのですが、かまいませんか?」
菊絵さんは無表情のまま思案し、
「何故ですか?」
と聞いた。
「出来れば夜にもう一度戻って来て、訪れたいと思っています。住人の方には迷惑にならないようにします。私とめいの、二人だけです。大勢で押しかけたりしません。わた…」
「何故ですか、と聞いています」
喋り続ける私をぴしゃりと押さえて、菊絵さんがそう聞いた。
私は彼女を真っすぐに見据えて、こう答えた。
……実を言うと私も、天正堂の拝み屋なんですよ。御曲りさんと同じ。




