[12] 「六花」3
東京から車で一時間ほどの距離に、その集落はひっそりと佇んでいる。
幹線道路をそれて脇道に入ると眼前に広がるのは、山間と呼ぶよりかは、山肌に添って建つ、と言った方がしっくりとくる昔ながらの住宅街だ。
その地区の名を、美晴台、という。
脇道に入ってすぐ右手にこじんまりとした郵便局があって、めいがそこで車を止めて欲しいと言い出した。
「仕事でね、投函しなきゃいけない封筒をずっとカバンに入れっぱなしだったの。そこにポストがあるから、お願い」
休憩と呼ぶには短いドライブだったが、いきなり土地勘のない地区に突っ込むよりかはましとの思いもあって、ポストへと向かうめいを横目に郵便局の中へ入った。
小さな受付カウンターがあったが、そこには誰も座っていなかった。この先の地域住民しか利用しないと見え、まだ午前十時を回ったばかりのこの時間だと、職員の姿も二人しかしない。私が足を踏み入れ、無言のままじろじろとフロアを見渡していても、声を掛けてもらえそうにはない雰囲気だった。
「あのー」
そう言って初めて、奥の事務机に向かっていた中年男性がこちらを振り返った。
「…なにか」
「すみません、つかぬ事をお伺いします。この先に用事があるのですが、車なんです。コインパーキングなどの駐車場はありますか?」
「どこに行くの?」
「いや、どこっていうか……」
「何しに行くの? 今から行くの?」
矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくるものの、その中年男性職員は机に着席したまま、顔だけをこちらへ向けている。決して愛想の良い態度とは言えない。
「人を探しているんです。ですが何分情報が古くて、出来ればこの先の集落で、昔からこちらに住んでいる方をお訪ねしたいと思っているのですが」
「人探し…。ふーん、警察じゃなくて? いきなり、住民の家に押しかけるの?」
「あ、いや、家じゃなくてもいいんです、お話をお伺い出来たら」
「あなた何してる人?」
「え?」
「お仕事何してる人?」
苦手なタイプだった。ほとんど無表情に近い顔で、他人に対する関心など皆無なくせして正論を盾にどこまでも弱い部分を突いて来る。面倒臭い。
「あー、まー、何っていうか」
「あなた美人さんだね。芸能人?テレビ局の人?」
「出版社です」
と、私の背後からめいが顔を出した。屈託のない笑顔に、初めて男性職員の表情が少し緩んだ。
愛想のない男性職員から聞いた話では、山の斜面を正面に見て集落の左端に、柳さんと仰る地主の家があるそうだ。そこは戦前からこの一帯に根を張る一族で、今でも三世代が暮らすこの集落の長であるとのことだった。昔話をお伺いする相手としてはもってこいだ。しかし手柄は全て、出版社の名刺を持参していためいのものである。
車に乗り込み開口一番、
「やるじゃないか」
と私が言うと、めいは耳まで赤くなって、
「そお?」
ととぼけた。「なんか…お姉ちゃんと二人で出かけるのが久しぶりな気がするし、なんか、テンション上がってるだけかも」
「そうだね。確かに久し振りかもね。帰りはじゃあ、せっかくだし、なんか美味しいものでも食べていこうか」
私が答えるとめいは両手の親指をグッと立て、
「お寿司」
と言った。
控えめに微笑む妹の清らかな笑顔に、私は目の奥がカッと熱くなるのを感じていた。
絶対に死なせてなるものか。
絶対にだ。
さすがは山の斜面に広がる集落だけあって、まっすぐな道を走っていても車窓から眺める風景は常に左右が傾いて見えた。今日のような晴れた日には、移ろいゆく山々の景色を眺めているだけでも心が洗われることだろう。もう少し日が経ち寒くなってくれば、きっと紅葉が見物に違いない。実際の住所は違えど、かつて新開水留と、今は彼の妻である辺見希璃がこの辺りに住んでいた。そう思うと、なんとなく村全体に親近感を覚え、感慨深い気持ちにもなった。
「あ、えーっと、この奥、を、えーっと、もうちょっと真っ直ぐ進んで、左折、かな?」
めいが地図と睨めっこをしながらナビゲートしてくれるのだが、その口調は実にたどたどしかった。となれば自然とアクセルも緩み、時折通りがかりにこちらを見つめてくる住民たちに会釈して回るはめになった。狭い集落のことだ。よそ者が来たことなんか、あっという間に伝わるに違いない。
車に積んでおいた住宅地図と、郵便局で聞いた名前を照合すると、確かにこの辺りにある柳という家は一軒しかなかった。が、車で向かうには住宅地にある狭い道を苦心しながら通る必要があり、何度か冷や汗をかく場面もあった。
「あ、そこを左に折れて……うわ」
めいがそう声をあげた理由は、私にもすぐに分かった。
「……でっか」
田舎と呼べる程遠くに来た印象もないのだが、『戦前からこの辺りに根を張る家』というだけのことはある。奥行のある広い敷地の中に、二軒の家が横並びで建っている。手前は割と新しく、その奥にある家は屋根の大きな昔ながらの日本家屋だ。
「やっぱどこの地域でも地主ってのは、でっかい家を建てるもんなんだね」
「ねえー、凄いねえ、あ、お姉ちゃん、人がいる」
「ほんとだ、ここに停めていいかな」
私が車を停車した場所から、手前に建っている新し目の家の玄関が見えた。丁度今その玄関扉が開いて、制服姿の女の子が出て来る所だった。高校生だろうか。制服の上に白のパーカーを羽織っており、すぐに私たちの突然の来訪に気が付いた様子で顔を上げた。ショートボブの、利発そうな女の子だった。
「なにか御用ですか?」
と、女の子の方から声をかけてくれた。
私とめいは特に打ち合わせもしないまま車を降り、頭を下げる。
「秋月六花と申します。すこし、この辺りについての昔話をお伺いしたくて。すみません、急で」
「下の郵便局の職員さんに紹介していただいたんです。えっと…柳さん、で御間違いないですか?」
紹介してもらった、は言い過ぎかもしれないが、めいが名刺片手におずおずと近づいて行くと、女の子は特に表情を変えずに歩み寄って来た。警戒はされていないようだ。
「……出版社の人? なんだろ、うちのお婆ちゃんとかですか?」
「あ、いえ、約束などはしていないのですが」
めいが申し訳なさそうに言うと、女の子はうんうんと頷きながら、
「まあ、じゃあ、中どうぞ」
と言って今しがた出て来た家へと踵を返した。
私とめいが呆気に取られて顔を見合わせていると、女の子は玄関扉を開けて上半身だけを中に入れ、
「お母さーん、お客さんお婆ちゃん家に連れて来るー」
と明るい声で奥に話しかけた。返事は聞こえなかったが、女の子はまたこちらへ向き直り、「どうぞ」と言って隣の家へと案内してくれた。
「あ、の、平気なんですか? いきなりお邪魔しても」
と私が声を掛けると、
「大丈夫ですよ」
と、女の子は振り返りもせずに即答した。




