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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
120/146

[119] 「坂東」29


 『九坊』それ自体は、正面から相対することを禁止される程の強力無比な呪いとして長く業界内で語り継がれてきた。

 曰く、単独で祓うことは決してしてはいけない。

 曰く、霊能者にその効果を強く発揮する呪いである。

 曰く、解呪のメカニズムはいまだ解明されていない。

 呪いというものが、人間の負の感情を起点にして放たれる超自然的な攻撃法であるという観点に立ってみた場合、解呪出来ないという時点で、呪い師たちや俺たち調査員にはほぼ打つ手なしのお手上げ状態だった。

 これは三神三歳からの受け売りになるが、呪術と名の付くものには全て法則があり、構築に必要なマテリアルと順番が決まっている。逆を言えば、いかなる呪いであってもそれぞれに正しい手順と方法を用いらねば、呪詛も穢れも発動しないし、他に影響を及ぼすこともない。それほどまでに、呪式の構築と実行には強い制約を伴うということだ。えいや、と念じて人を殺すSF漫画とは根本が違うのだ、と。

 だからこそ『九坊』は怖い、と三神のオッサンは言っていた。大概が、呪いが打たれた後にどうなるかは分かるいう。例えば人が死ぬ、そして呪いは止まる。だが『九坊』の場合、未知の呪式であるが故になぜそうなるかが分からないのだ。そして理屈が分からないということは、呪いの到達点が一体どこにあるか、なんであるかも分からないということと同意義であるという。

 例えば、男を寝取られた女が恨みを抱えて呪式を組み、呪いを打ったとする。その時、組んだ呪式が「α」であると知れれば、発揮される効果が「死」である事も分かる。「α」イコール「死」である。

 呪式とは基本、古来より、神仏の力を借り受けることで超自然的な機能を得、効果を発揮するとう心霊システムである。その筋の者が見れば、その呪いにどんなシステムが用いられたかが分かるのだそうだ。

 だが『九坊』の場合、呪式がまず「α」であるか「β」であるかも分からない。発現した事例が極端に少ないほぼ未知と言ってよいメカニズムだからだ。加えて、発揮される効果が「死」であるとも限らない。もちろんこれまでの事例を見れば、『九坊』を受けた人間は例外なく死ぬ(残間京は特例として)。だが本来、効果が発揮されれば消えるはずの呪いが、『九坊』の場合は消えてなくならない。『九坊』が伝染する呪いと言われた由縁がこれであり、三神三歳をして「呪いの成就が一体なんであるか分からない」と言わしめた理由である。

 しかし俺たちはひとつ、誤解していたのだ。

 これほどまでに強力な呪いを打つ人間ならば、相当強い霊能力を有し、恐るべき傀儡を何体も使役する悪鬼羅刹のような相手であろうという先入観を抱いてしまっていた。だが、そうではなかった。傀儡そのものが、『九坊』の一部だったのである。

 


「当然、母菊絵もそれを理解していました」

 と小原桔梗は言う。「ミイラ取りがミイラにとはよく言いましたが、呪いを打つ側が呪いを喰らっては元も子もない。君たちのような霊力を先天的に有していない庶民だったからこそ、この『九坊』という呪式を構築できたわけですから」

 自らの立場を庶民と称する小原桔梗に、

「我らに対する刃であった、と?」

 二神七権は眉を顰めて問う。爺さんの言う「我ら」とはつまり『霊能者』だ。あるいは霊能を駆使して事象の解決に当たる『呪い師』であり、『調査員』だ。

「そうなりますね。すこし、意味合いが違う気もしますが」

 はぐらかす奴に、二神七権は尚も言う。

「闘争の歴史であったというからにはそうなのだろう。何を隠してる……?」

「隠してなどいませんよ、もはやその必要もありませんから」

「菊絵は既に呪いを打ち終わっている、この先何かをすることもないと断言した。そういう意味か?」

「そうですね、概ね、その通りです」

 チッ、と二神七権が舌打ちする。

 人に堪えろと言いながら、やはり爺さんも大分と痺れを切らしていた。俺は小原桔梗の仕事現場での振る舞いについて詳しいわけではないが、今だから言える話、そもそもこの男が最初から好きではなかった。今こうなってみて理由がはっきりした。自分を全くといっていい程曝け出さない姿勢が、『天正堂』らしくないからだ。いや、それは別にいい。ただ、二神七権とも三神三歳とも、そして新開水留とも似ていないこの小原桔梗を、人として信用できていなかったのだろう。

「せっかく、好きになりかけてたのによー」

 思わずそう零した俺の言葉に反応し、小原桔梗はニヤリと笑う。

「意外ですね。一度は殺すと息巻いておきながら」

「格好つけて前のめりに倒れる姿なんて思わず惚れそうになったよ。今は本気で殺したいけどな」

「あはは。あはは。あははははは」

 高らかに響かせるその笑い声に、新開から立ち昇る気迫が静かに燃え盛るのを感じた。だがチラリと横目で見やった時、新開は小原桔梗を見てはいなかった。視線が左右に揺れていることから、集中して何かを考えているのだ。おそらく家で父親の帰りを待つ成留のことか、先程立ち去った由宇忍のことだろう。

「あ」

 と小原桔梗がふざけた声を出した。

「……今、母が逝きました」

「な」

 柳菊絵が死んだ。

 小原桔梗の母親が死んだ。

 その事実に対する反応が、それなのか。

 俺は愕然としながらも、注意深く柳菊絵の小さな背中を睨んだ。意表を突いて襲い掛かってこないとも限らない。

「お疲れさまでした」

 感情の伴わない声で奴はいい、そして母親の亡骸を見下ろしながらこう続けた。「まだ逝ってない候補者を押しのけて、自分が六人目になっちゃいましたねー」


 ふざけんなよ……。


「なんですか?」

 と小原桔梗は笑顔を上げた。

 新開の声は確かに小さかった。俺はまだしも、二神七権にさえ聞こえなかったかもしれない。だが俺の耳に届いた新開の声は、覚悟に満ちていた。

「ふさけんなよお前!人の命をなんだと思ってるんだ!」

 新開はそう言いながら小原桔梗に向かって歩き始めた。その背中には依子がビタリと貼り付いている。肉眼ではブレて確認出来ないが、おそらく開きっぱなしの霊穴も同じく移動している。

 新開は、小原桔梗を落とすと決めたのだ。

「新開!」

 と二神七権が名を叫ぶ。しかし奴は止まらず、それを見た小原桔梗の鼻が喜びに膨らんだ。

「そっくりそのままその言葉をお返ししますよ、新開くん!」

 小原桔梗の言葉に、新開は歩を止めた。

「私は非道ですか?」

 と丸顔の呪禁師は言った。

 新開がギュッと拳を握るのが、背後からでも見て分かった。

「母がどのような話をしたのか分かりませんが、私からも少しお伝えしておかねばなりません。別に命乞いをするわけではありませんよ。年は取りましたが、今でも君程度の霊能者なら負ける気はしませんので」

「……何が言いたい」

 そう問う新開を見つめ返し、小原桔梗は言った。

「考えたことはありませんか。何故この世に呪いが存在するのかを」

「……」

「気が遠くなるほどの我が国の歴史の中で、おそらく君も知っての通り、呪いは呪術と名を変えて、時の権力者に使役されてきました。様々なバリエーションを生み出し、医学、天文学、占い、政敵調伏などに用いられ、今日に至るまでその技術は継承されてきました。大きな流れの中で言えば、我ら『六文銭』もその一つにすぎません」

「……だからなんだ」

「君は、大学を卒業してから『天正堂』の門を叩き、そこにいる坂東くんの縁故で『チョウジ』の臨時職員になったんですよね」

「……そうだ」

「ふざけるんじゃありませんよ。そんな新参者の君が、どうして人の命について語れるんですか?」

「……それは」

「君にその資格はありますか?」

「……」

「私は……いや母と私は、失われつつある古惚けた禁呪を再構築し直しました。ですがその呪式そのものは大昔、一般庶民の為に組み上げられた、いわば正義の剣でもあったのです。歴史を知らず、犠牲というものが何を意味するかも知らずに他者の命を語る君に、我々の前に立ちはだかる資格がありますか?」

「……」

「君の正義に、根拠はありますか?」

「……」

「君の怒りが個人的な怒りではないと証明できますか?」

「……」

「君の……」


 小原桔梗が右手の平を腹の前にかざした瞬間、俺の放った熱線が見えない空気の壁に激しい音を立てて弾き返された。跳ね返った熱線は地面の土と砂利を焼いて穴を穿ち、もうもうと舞い上がる土煙が小原桔梗と新開の間で対流した。


「猿が」

「新開」

 悪態をつく小原桔梗を無視し、俺は新開を呼んだ。新開は首をひねって俺を見た。その目にはやはり、迷いが浮かんでいた。

「約束忘れんなよ?」

 と俺は言った。

「……約束?」

 と新開は聞き返した。


 俺はこの時すでになんとなく、これがそうなんじゃないか、と感じていたのだ。二神七権の語った「発車のベル」が、俺にも聞こえ始めていた……。



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