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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
119/146

[118] 「三歳」


 正直に言えば、土井零落から聞いた話はとても面白い作り話のようだった。

 彼が、記憶を失った私に対し、失くしたものはこれですよと教えてくれているであろうことは分かっていた。だが思い出せぬ以上はその話を我がことのように受けいれることは出来ないし、だったら、純粋に創作物として楽しんでやろうと腹を括って聞いていた、そういう心持でもあったのだ。

 ただやはり、話の中に登場した三神幻子についてだけは、胸にぐっと来る感情があった。何かを思い出したというわけではないのだが、私ではない人間の、しかして私に近しい存在として生きて来たという少女の健気な魂の輝きというものが、とても眩しく、そして非情に尊いものであると感じられたのだ。

 先ほどその少女が現れて、どこかへ行くと言って挨拶をしに来た。もう夜も遅いし、思い詰めたような顔を見た瞬間、止めるべきだろうかと私も迷った。だが同時に、今を生きるその少女は、とても強い大人の女性になったのだという、おかしな話ではあるが、私なりの喜びのようなものもあったのだ。

 自分を知らない私が他人の決断を遮ることなどあってはならない。不思議と、そんな信念めいた感情が私を押し留め、少女の背中を見送る結果となった。

 その後、小便がしたくなってお手洗いに行った帰り、通りかかった看護師の詰め所から呼び止められ、封筒と紙切れを手渡された。聞けば、とある人物から預かった物と、そして私がこの病院へやって来た時から保管していたという、私の落とし物とであるらしかった。

 遅くまでご苦労さまです。私は礼を述べて病室へ戻り、まずは封筒を開けてみた。その封筒を預けて行った人物とは、実は件の三神幻子なのだという。病院を後にする直前、詰め所の看護師へと手渡して行ったそうだ。

 直接会って渡せばよかろうに。そう思いながら開封すると、中には破損した数珠が入っていた。手首に巻くタイプの小さな数珠だったが、珠をつなげる糸が切れてしまっていた。珠のひとつを手に取り指の腹で転がしてみる。確かに懐かしいような気もする。三神幻子が私あてに預けていったのなら、これもやはり私の数珠なのだろう。土井の話では私は占い師のような人間であるそうだから、商売道具かなにかなのだろう。

 もうひとつの白い紙切れは、私が所持していたものを別の看護師が拾ってくれたのだという。もちろん私に覚えはないし、いつ落としたのもかも分からない。酷く年季が入って黄ばんでいるものの、上等な和紙であるらしかった。

 中には筆文字で、こうしたためられていた。


『我、生まれいずる歳

 我、生きるを忘るる歳

 我、泡沫と消え去る歳

 たとえ我が身、いずれたゆたえども


 我が名は三歳

 ただ人となり、人であればこそ』


 声に出して読んだ途端、水道の蛇口をひねるが如く涙が出た。

 言葉の意味も、誰による言葉かもわからなかった。

 しかし何度も繰り返し読み、それが自分の名の由来であることを知った。

 この体のどこかに眠っている三神三歳という男の、魂の声を聞いた気がした。

 やはり私は、三神三歳であるらしい。

 この落涙がなによりの証なのだろう。

 再び千切れた数珠を手にし、手の平に乗せて琥珀色の珠を覗き込んでみた。


 その瞬間、私は思い出したのだ。

 ある一人の女の、地獄の底から叫び続ける悲しい鳴き声を。

 以下、私の呼び覚まされた記憶の一部をここに書き記す。

 これは地獄の底に今もいる、とある女の告白である。

 この言葉と声が、力ある人物の目に触れることを期待したい。

 私には何もできないが、私にしか伝えられない言葉なのかもしれない。



『…ずーっとね。雨が降ってるんだよ。不幸自慢なんかする気もない。だけどどこかの段階で、一度くらいは誰かに向かって愚痴っておかないとさ、こういう人間がいたんだってことが誰にも知られずに終わるんじゃないかって。……そう思うと、なんか、腹がたつじゃない?』


『閉ざされた村っていうと時代錯誤な感じするけど、なんか、うん、隠された村っていうと違うかもね、側を通りかかる人の目には決して触れない部分に、その村の怖さがあってさ』


『私はずっとそこで、娼婦のようなまねごとをさせられてたんだ。子どもの頃からずっとね。……誰って、誰だったんだろうねえ。ちょっと、記憶がぼやけちゃってるんだけども』


『……なにこれ、数珠? くれるの? ふはは、おっさん臭い』


『ありがとう』


『なんかねー、あんまり記憶に残ってないんだけど、とりあえず男の人を暗がりに引っ張り込んでた記憶はあるんだ。だから多分、そういうことなんだろうね。男の人にはだから良い印象がなくて、別れた旦那ともなんとなく、言われたまんま付き合って、されるがままセックスして。子どもは可愛かったけどね、離婚して、揉めて揉めてした後やっと親権取れたーって思った矢先に……死んじゃったんだけど』


『父親、を、まあ、早い段階で失って……。一緒に住んでた母親もね、まあ、育ての親、みたいな人らしいんだけど。結構もう年いっちゃってて、しかも色々あって心を病んじゃって。そういう病院に今は……入って。……あははは、もー、ねえ、ほんっと。笑ってんじゃないよって自分でも思うけどさぁ。……ボロボロですわ! ねえ、もう、なんだろうか』


『や、だから私はべつにそんなさあ、あれよ。今普通にエロ小説書いて生きてるんだけど、子どものころから私は私で心臓の病気あったりね、した……らしいんだけど。……あはは、いやー、激動の人生だからかな、本当にね、記憶がちょいちょいないのよ。まあ、ないならないで構わないし、最近思うのはさ、記憶が残ってないからこそ、辛い現実から目を背けて生きてこれたんじゃないかなって。自己防衛反応的なさ。あるじゃない、なんかそれっぽいの』


『三神さんさー。私のこと占ってみない? この先なにかひとつでも良いことあったりさ、するかどうか、見ちゃってくださいましよ。軽ーく』


『三神さん。……なんか、体中に赤い斑点みたいなの出来てきたんだけどね、これはなんかのアレかな。やばいのかな』


『これどう思う。こういうの出たらさ、三神さんの経験測で言うと死ぬ兆候とか?そういうやつ?』

 

『……分かってるんだ。本当はもう、子どものころから分かってる。私の人生なんて最低最悪で、今更どうにもなりゃしないって、足掻くだけ無駄なんだって、早く諦めろって、分かってるもん。分かってるよ。ううん、そういうんじゃない、そういうことじゃない。分かってるんだよ、分かってるのよ、世の中には色んな人がいて、私に与えられた人生がこれだった。ただそれだけのことなの。それは仕方のない話で、そんなの世界中の人が思ってること。知ってる、知ってた、分かってた』


『だけどさ……それ、子どもには関係ないよね?』


『私が子どもだったころは、誰も私を幸せにはしてくれなかった。私は幸せが何かを知らなかった。だから生まれた土地を離れて、色んなしがらみを忘れて、たっくさんの幸せを追いかけた。だけど、全部だめだった。何ひとつ手には入んなかった。だけどさ、だからこそさ。今度こそさ、この子の幸せを願うっていうのはさ……、あああ、やっぱり、それもダメなんだろうかなぁ』


『きっとこの子も不幸になるよ。それももう分かってるんだ、生まれる前から色んなことを背負い込んじゃってるしね。ただ普通に生きてるだけじゃあ、絶対に不幸になる。だからこそ、私だけは、この子を幸せにしたいって、そう思い続けてあげたいんだよ。じゃなきゃ、私、なんの為に生きてるんだと思う?』


『なんなんだよ。私、なんなんだよ。私は一体なんのために生きてるの? 私の人生は一体なんのためにあったのよ。三神さん。私はもういいよ。……お願いだからこの子を助けて。この子を見捨てないであげて』

 












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