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『九坊 - kubo -』  作者: 新開 水留
118/146

[117] 「新開」38


 ミナガセ……クボウ……。


 ミナガセとは皆瀬、つまり大謁教創設者での姓である。そしてクボウとは、ここまで来れば疑う余地すらない。

 『九坊』である。


 ……丸顔で、少し腹の出た、頭髪の薄くなった人の良いおじさん。

 それが一見した小原桔梗の印象である。秋月六花さんは昔、小原さんに対して「日曜日の教頭先生」というニックネームをつけたという。それほどまでに害のない、大らかに人を包み込む、名実ともに『天正堂』本部の看板呪い師だった。

 だが今は、僕たちの目の前に立つその男の全てが不気味に感じられた。途端に得体のしれない存在へと変貌したように見え、僕以上に彼をよく知る坂東さんや、おそらく小原桔梗を『天正堂』へと引き入れた張本人であろう二神七権などは、一体どのようにこの事態を受け止めているのだろうか。


「『九坊』という呪いが当て字だってことは、俺も調べて知っていた」

 と坂東さんは言う。「霊能者に対し発現する呪い。記憶を削り、幻聴を引き起こし、やがて血を吹いて死に至る呪い。たとえ何度祓っても地獄の底まで追ってくる。……そういう通り一遍のシステムは俺だって知ってたさ。だがまさか、『九坊』そのものがあんたの名前だったなんてな。どこまでも人を喰うじゃないか」

「たまたまですよ」

 と小原桔梗は軽く受け流す。「実際に呪いを受けたことのある君は忘れてしまったのかもしれませんが、当時も九人死んだんですよ」

「なに!?」

 坂東さんの顔に明らかな動揺が広がる。「……嘘じゃないだろうな?」

「ええ、本当です。ですよね、御大」

 話を向けられた二神さんは鼻を鳴らし、

「貴様のそういう所は昔から変わらんな」

 と返した。

「そうですか? なんのことでしょう」

「確かに九人死んだ。だが全員が全員、呪いを受けて死んだわけではない。貴様はなぜそこを隠す。いかにもすべて己が手柄であったように事実を捻じ曲げる辺り……」

「昔から嘘も方便と言うではありませんか。それもあなたに教わった呪い師としての技術でしょうに」

「貴様に教えたことなど何もないわ」

「あは。あは。あはははは」

「あの時『九坊』によって死んだのは、俺とアユミさんだけじゃなかったのか……」

 呻くように言う坂東さんへ、

「貴様らが最後だったのだ」

 と二神さんが補足を加えた。「もちろん当時の貴様は呪いによる事件を追っていた。だが死んだ貴様を蘇らせた後、どこまで失われた真実を伝えるのかは、ワシが直接壱岐に預けたのだ」

「……課長に」

「聞いてはおらなんだか」

 『チョウジ』である坂東さんが『九坊』という呪いによって命を落とした二十代の頃、当時の上司は壱岐琢朗という凄腕の霊能力調査官だった。とにかく自分にも他人にも厳しい人で、実際僕も過去にやり込められた経験を持つ。だがその実、背中に一本真っ直ぐな芯の通った、とても優しい人物でもあったのだ。

「まあそういうことがありまして」

 と小原桔梗が言う。「ただ一言『呪い』と言ってもその他の事象と区別する必要がありましたから、『九坊』と呼ぶことにしましょうと、当時私が進言したわけです。むろん、この呪いの構築自体ははるか昔から存在していましたが、『九坊』と名付けるまではもっと違った呼ばれ方をしていたかもしれませんね」

 だが実際にその呪いが打たれることはなかったのだ。

 一般的な呪術と呼ばれるものの系列にはどうしたって組み込めない、超高度な呪式が用いられていることはもはや明白である。霊能者だけに発現する呪いなど現代科学を持ってしても生み出すことは不可能に近く、物質や数値に置き換えることの出来ない霊力という魂の源流を追いかける呪いなど、本職の呪い師ですらやすやすと構築できるとは思えない。大福シリーズのような、単純な霊障の索敵とはわけが違うのだ。

 つまり、「皆瀬」あるいは「柳」を名乗る人間が意識的に打たない限り、その呪いが表に出ることはなかったはずなのだ。

「ちなみに」

 小原桔梗は足元に横たわる柳菊絵を見下ろし、右手の人差し指を向けた。

「これは母です」

 その口調に僕はぞっとした。

 今更その事実関係に大した驚きはない。いや、冷静に立ち返れば驚くべき事実なのだ。この美晴台という土地や崖団地にまつわる霊障の噂などは、大分と以前から『天正堂』内でも噂されていたと聞いている。まさにその『天正堂』の代表代理の実母が、この美晴台で長年権力を振るって来た柳家の女主人なのだ。だが今僕の耳から入って背筋を凍り付かせたのは、小原桔梗の声だった。険のない、温和な口調にも関わらず、そこには一握りの愛も感じられかったのだ。

 今も僕の背後に立ってるであろう亡き母を思うだけで、僕はいつだって泣きそうになる。僕には生身の母の記憶はない。だが死してなお子を思う強い愛情が、僕と僕の家族を今でも見守り続けてくれている。辺見先輩と夫婦になり、成留が生まれて三人家族となった今、母の愛情の強さを以前にも増して感じるようになった。感謝してもしきれないほどに、僕も母を愛している。

 だが、この男はどうだ。この男はなんなのだ。本当に僕らと同じ人間なのか。

 人の命を、人の愛情を、一体何だと思っているんだ?

「新開くん」

 と小原桔梗は言った。「君が悪いんですよ?」

「ぼ」

 僕が……?

「君だけはありません。坂東くんや、二神七権、三神三歳、秋月六花に妹のめい。僕は、みーんな嫌いです」

 僕の隣で、坂東さんの体温が上昇するのが分かった。きっかけさえあれば、幽眼から放たれる熱線によって一瞬で小原桔梗を焼き尽くすことだろう。坂東さんがそうしないのは、彼が刑事だという、その一点を頑なに守り続けているためだと僕には思えた。

「僕はね、新開くん。こう見えて、霊力がないんですよ」

「……は?」

「ええ」

 思わず二神さんを見ていた。

 僕には理解できない話だった。確かに理論上は、拝み屋に霊力は必要ない。僕たちの『天正堂』内にも、学問から入って知識と経験を武器に拝み屋を生業とする呪い師は大勢いる。というよりも、そちらの方が多い。だが相手は小原桔梗である。『天正堂』独自の序列である階位・第四といえば、第三である三神さんが本部を抜けた後の現場を指揮する、いわば大看板なのだ。階位・第七である僕にいたるまでの全員が、何かしらの異能、霊能を所持する人材であると聞かされてきた。その小原桔梗が……。

「霊能が……ない?」

「そうです。ありません」

 坂東さんが唸った。

 『九坊』を打った人間には霊力がないかもしれないと彼に忠告したのは、何を隠そう小原桔梗である。つまりここでも小原桔梗は、自分が犯人である可能性を示唆していたのだ。だが普通はこれにも気づけない。呪いを食らい、死を覚悟したかもしれない男の言葉を咄嗟に疑う思考回路は、僕らの脳には組み込まれていないからである。

 そして小原桔梗は先を続ける。

「これは、我々生粋の呪禁師たちと、世に突然変異として出現した君たち異能者たちとの間で繰り広げられてきた、はるか大昔から続く闘争の歴史なんですよ」

「僕たちが……突然変異の、異能?」

「ひとつ、種明かしをしましょう」

 そう言って小原桔梗はしゃがみ込むと、変貌した柳菊絵の腕を掴んで、その先端をへし折った。

 い、と喉を詰まらせて残間京が顔面を蒼白にし、そのままへなへなとへたり込んだ。だがその目の前にはうねうねと蠢く木のような傀儡化した老女の腕があり、残間京はついには堪え切れない様子で地面に吐いた。

「……実に汚らわしいですねえ、あなたは」

 言うが早いか、小原桔梗は右手を振りぬいて残間京の顔面を殴打する。

「ああッ」

 飛び出しかけた僕の胸を坂東さんが抑え、僕達が見ている前で残間京は仰向けにひっくり返った。小原桔梗はそのまま柳菊絵の腕を掴む手に力を込め、折れた部分から先を引き千切った。

 ビシャ、と辺りに鮮血が飛んだ。

「これが、その種です」

 と小原桔梗は言い、立ち上がって僕たちの前に放り投げた。

 変わり果てた柳菊絵の手首から先が、見る間に枯れ枝のよう萎んで、やがて灰のようになった。

「私の母は本来、私と同じで霊力など持ち合わせていないはずでした。だがあることをきっかけにしてその身に僅かばかりの霊力を宿すこととなった。これが、母の運の尽きです。九坊と名付けた呪いには段階があることは、坂東くんが先程述べた通りですが、一つ、抜けていることがあります。それが、傀儡化です」

 その言葉を受けて僕たちは黙り込んだ。

 必死に答えを探しているのだ。

 この悪夢を一刻も早く終わらせる答えを。

「じ、じゃあ」

 坂東さんが前のめりに声を発した。

「そうです」

 と小原桔梗は言う。



 ……まず初めに呪いが飛びます。受けた人間に霊力があれば徐々に効果が発現し、もし霊力が無かった場合は、その者は呪いを運ぶ器になります。それが、柳が使役していた傀儡の正体です。

 



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